「証拠を押さえる」
朔夜さまは言った。
父が一歩前へ出た。
「証拠などと、あまりに一方的でございます。朝霧堂は藩へ薬を納める家です。根も葉もない疑いで薬蔵を荒らされては——」
「根ならある」
朔夜さまの声は冷たかった。
「城下の幼子を苦しめた香包みと同じ紙片。薬帳の削り跡。在庫の不一致。香炉の灰。札のない小瓶。これだけ揃って、なお調べるなと言うなら、それこそ怪しい」
継母が顔を赤くした。
「それは小夜が持ち込んだのかもしれません。この子は昔から、蔵に出入りしておりました。掃除のふりをして、何をしていたか——」
「母上」
千景が静かに継母を制した。
その声に、私は背筋が冷える。
千景は、なおも優しい顔をしていた。
「お姉さまがそこまでなさるとは思いたくありませんわ。ただ、朔夜さま。姉は今、朝霧堂へ恨みを抱いているでしょう。追い出されたと思い込んでいるのですから。見えるものも、聞こえるものも、少し歪んでしまっているのかもしれません」
「思い込んでいる?」
朔夜さまの目が細くなった。
「首に恥さらしの札を掛けて追い出したのは、思い込みか」
薬蔵の空気が凍った。
父が視線を逸らし、継母は唇を噛む。誠一郎さまは何か言いかけたが、朔夜さまの一瞥で黙った。千景の笑みも、一瞬だけ崩れた。
その揺らぎに、背後の影が嬉しそうに濃くなる。
私はそれを見て、胸の奥が気持ち悪くなった。
あの影は、千景の痛みを慰めているのではない。千景の焦りを餌にしている。千景が私を見下ろそうとすればするほど、父に認められようとすればするほど、御前で名を上げようと焦れば焦るほど、黒い影は甘い汁を吸うように濃くなる。
朔夜さまは手代へ命じた。
「小瓶を布で包め。薄紅の紙片と赤い糸も。香炉の灰は小皿へ移し、封をする。薬帳はこの場で写しを取る。香材の覚え、仕入れの控え、千景の手控えがあれば出せ」
「千景の手控えまで?」
誠一郎さまが声を荒らげた。
「それは個人の調合の覚えです。薬師にとっては技の要。軽々しく外へ出すものではありません」
「技の要か、毒の要かを調べる」
朔夜さまは揺るがなかった。
「城下に禍が流れている。俺が責を持つ」
父は苦しげに眉を寄せた。
「朔夜さま、どうかご容赦を。千景は藩の御前にも出る身。今、あらぬ疑いが立てば、朝霧堂の名は——」
「名を守るために、これ以上城下の状況を放っておいてよいのか」
父の口が閉じた。
薬蔵の中で、乾いた薬草が微かに揺れた。外から入る風はないのに、束ねたヨモギの葉がかさりと鳴る。その音が、ひどく大きく聞こえた。
押収品は、白い布と油紙で包まれた。
小瓶は蓋の周りに黒い筋が残っており、湿った土の底から引き上げたような匂いがした。薄紅色の紙片には赤い糸の繊維が絡んでいる。香炉の灰は、白く見える表面の下に黒い筋を幾重にも抱えていた。薬帳はその場で朔夜さまの手代に写しを取らせ、朔夜さまの家臣が一つ一つ確認した。香材の覚えは、千景が渋々出した小さな折本だった。
その折本を渡す時、千景は微笑んだ。
「どうぞ。何も疚しいことはございませんもの」
けれど、折本の端に触れた瞬間、私の指先に冷たいものが走った。
紙の奥に、黒い線が沈んでいる。
千景の手が離れると、影が細く千景の背へ戻った。
私はそれを、黙って見ていた。
まだ言えない。言ったところで、完全な証にはならない。私に見えている黒いものは、誰の目にも映るわけではない。だからこそ、薬帳、在庫、香炉の灰、紙片、小瓶、手控え。目に見えるものを一つずつ積まなければならない。
朔夜さまは、それを分かっている。
だから斬らなかった。
だから押収した。
朔夜さまは言った。
父が一歩前へ出た。
「証拠などと、あまりに一方的でございます。朝霧堂は藩へ薬を納める家です。根も葉もない疑いで薬蔵を荒らされては——」
「根ならある」
朔夜さまの声は冷たかった。
「城下の幼子を苦しめた香包みと同じ紙片。薬帳の削り跡。在庫の不一致。香炉の灰。札のない小瓶。これだけ揃って、なお調べるなと言うなら、それこそ怪しい」
継母が顔を赤くした。
「それは小夜が持ち込んだのかもしれません。この子は昔から、蔵に出入りしておりました。掃除のふりをして、何をしていたか——」
「母上」
千景が静かに継母を制した。
その声に、私は背筋が冷える。
千景は、なおも優しい顔をしていた。
「お姉さまがそこまでなさるとは思いたくありませんわ。ただ、朔夜さま。姉は今、朝霧堂へ恨みを抱いているでしょう。追い出されたと思い込んでいるのですから。見えるものも、聞こえるものも、少し歪んでしまっているのかもしれません」
「思い込んでいる?」
朔夜さまの目が細くなった。
「首に恥さらしの札を掛けて追い出したのは、思い込みか」
薬蔵の空気が凍った。
父が視線を逸らし、継母は唇を噛む。誠一郎さまは何か言いかけたが、朔夜さまの一瞥で黙った。千景の笑みも、一瞬だけ崩れた。
その揺らぎに、背後の影が嬉しそうに濃くなる。
私はそれを見て、胸の奥が気持ち悪くなった。
あの影は、千景の痛みを慰めているのではない。千景の焦りを餌にしている。千景が私を見下ろそうとすればするほど、父に認められようとすればするほど、御前で名を上げようと焦れば焦るほど、黒い影は甘い汁を吸うように濃くなる。
朔夜さまは手代へ命じた。
「小瓶を布で包め。薄紅の紙片と赤い糸も。香炉の灰は小皿へ移し、封をする。薬帳はこの場で写しを取る。香材の覚え、仕入れの控え、千景の手控えがあれば出せ」
「千景の手控えまで?」
誠一郎さまが声を荒らげた。
「それは個人の調合の覚えです。薬師にとっては技の要。軽々しく外へ出すものではありません」
「技の要か、毒の要かを調べる」
朔夜さまは揺るがなかった。
「城下に禍が流れている。俺が責を持つ」
父は苦しげに眉を寄せた。
「朔夜さま、どうかご容赦を。千景は藩の御前にも出る身。今、あらぬ疑いが立てば、朝霧堂の名は——」
「名を守るために、これ以上城下の状況を放っておいてよいのか」
父の口が閉じた。
薬蔵の中で、乾いた薬草が微かに揺れた。外から入る風はないのに、束ねたヨモギの葉がかさりと鳴る。その音が、ひどく大きく聞こえた。
押収品は、白い布と油紙で包まれた。
小瓶は蓋の周りに黒い筋が残っており、湿った土の底から引き上げたような匂いがした。薄紅色の紙片には赤い糸の繊維が絡んでいる。香炉の灰は、白く見える表面の下に黒い筋を幾重にも抱えていた。薬帳はその場で朔夜さまの手代に写しを取らせ、朔夜さまの家臣が一つ一つ確認した。香材の覚えは、千景が渋々出した小さな折本だった。
その折本を渡す時、千景は微笑んだ。
「どうぞ。何も疚しいことはございませんもの」
けれど、折本の端に触れた瞬間、私の指先に冷たいものが走った。
紙の奥に、黒い線が沈んでいる。
千景の手が離れると、影が細く千景の背へ戻った。
私はそれを、黙って見ていた。
まだ言えない。言ったところで、完全な証にはならない。私に見えている黒いものは、誰の目にも映るわけではない。だからこそ、薬帳、在庫、香炉の灰、紙片、小瓶、手控え。目に見えるものを一つずつ積まなければならない。
朔夜さまは、それを分かっている。
だから斬らなかった。
だから押収した。



