薬蔵の奥、普段使わない棚を開けると、さらに不審なものが出てきた。
見慣れない薬材の欠片。黒紫に乾いた薄い根。少量の粉が入った小瓶。札はない。朝霧堂で扱う通常の薬材なら、必ず札があるはずだった。
朔夜さまが眉をひそめる。
「これは何だ」
父は答えに詰まった。
千景がすっと前へ出る。
「古い薬材でしょう。棚の奥に残っていたものかもしれません。朝霧堂には昔から多くの薬がございますから」
「千景」
朔夜さまの声は静かだった。
「お前が管理している棚ではないのか」
千景の睫毛がわずかに揺れた。
「香材は私が見ております。ですが、すべてを一人で見ているわけでは……」
誠一郎さまがかばうように言った。
「朔夜さま、千景を責めるのは早計です。彼女は城中でも認められた薬師です。小夜の言葉と、少しの粉だけで疑われては、朝霧堂の信用に関わります」
「信用か」
朔夜さまの目が冷える。
「城下の幼子の喉を塞いだ香より重いのか」
誠一郎さまは言葉を失った。
私は小瓶を見つめた。
瓶の蓋の周りに、黒い筋が絡んでいる。けれど香包みの黒とは少し違う。もっと生々しく、湿った土の底から引き上げたような匂いがした。禁じられた薬材。名は分からない。けれど、普通の病人へ使うものではないことだけは、肌で分かった。
「これは……人の熱を下げるものではないと思います」
私は小さく言った。
「むしろ、熱や息の乱れを、強くするような……」
朔夜さまが小瓶を布に包むよう命じる。
「押収する」
父が慌てて口を開いた。
「お待ちください。それは当家の——」
「城下に妖毒の疑いがある以上、俺の権で預かる」
朔夜さまの声に、父はそれ以上言えなかった。
さらに棚の裏を調べると、薄紅色の紙片が出てきた。
私はそれを見た瞬間、背筋が凍った。
紙は小さく裂けている。けれど色は同じ。桜貝のような薄紅。端には赤い糸の繊維が一本、絡みついていた。紙の裏に、印の欠けが残っている。
丸い月の端。細い草葉の線。
弥太くんの香包みと同じものだった。
「……これ」
私は声を抑えた。
「弥太くんのお母さんがもらったお守りの包み紙と、同じです。赤い糸も。印も、欠けていますが似ています」
朔夜さまは紙片を見つめながら言った。
「弥太を苦しめていた、あの禍が感じられた香包みだな……。たしか、配った者の顔は、布で隠していて見えなかったとか……」
父の顔は青くなっている。継母は千景を見た。誠一郎さまもまた、千景へ視線を向けた。
千景は、微笑んでいた。
けれど、その微笑みの端が少しだけ引きつっている。
「おかしいわ」
千景は小さく首を傾げた。
「そんなもの、誰かが紛れ込ませたのでしょう。朝霧堂には多くの者が出入りしますもの。お姉さまがここを掃除していた頃に、どこかから持ち込んだのかもしれませんし」
また、私だ。
千景は優しい顔のまま、私の足元へ罪を置こうとする。
「私は……」
言いかけた声が揺れた。
誠一郎さまが、すかさず続ける。
「たしかに、小夜は薬蔵に出入りしていた。雑用としてだが、棚に触れる機会はあったはずです。朔夜さま、千景ではなく、まずは出入りしていた者全員を公平に——」
「公平にと言うなら」
朔夜さまが遮った。
「小夜だけを先に疑う理由はない」
誠一郎さまの唇が固まる。
朔夜さまは私へ向き直った。
「小夜。紙以外に何が残っている」
疑う声ではない。その問いに、私は救われた。
私は深く息を吸い、周囲を見た。
棚の木目。薬箱の蓋。香炉。薬研の溝。どれも薄く黒に汚れている場所がある。特に香炉の内側に、黒い靄が濃く溜まっていた。
「香炉です」
薬蔵の隅に、小さな香炉が置かれていた。鼠除けや湿気払いに使うものだ。けれど、灰の色がいつもより暗い。表面は白い灰なのに、下のほうに黒い筋が幾重にも走っている。
私は灰を竹匙で少し掘った。
甘い焦げ香が、ふわりと立ち上がる。
黒い靄が細く伸び、私の指に絡もうとした。私は息を止めず、布越しに灰を小皿へ移す。
「ここで焚かれています。あの香包みと同じものを。香炉の灰の下に、まだ残っています」
朔夜さまが香炉へ近づき、わずかに眉を寄せた。
「禍の気配がある。斬る前の妖ほどではないが、人の弱みに絡む気配だ」
「私は、糸が見えます」
私は灰の上を見つめた。
「香炉から棚へ。棚から紙片へ。紙片から……」
その先を辿ろうとして、私は息を呑んだ。
見慣れない薬材の欠片。黒紫に乾いた薄い根。少量の粉が入った小瓶。札はない。朝霧堂で扱う通常の薬材なら、必ず札があるはずだった。
朔夜さまが眉をひそめる。
「これは何だ」
父は答えに詰まった。
千景がすっと前へ出る。
「古い薬材でしょう。棚の奥に残っていたものかもしれません。朝霧堂には昔から多くの薬がございますから」
「千景」
朔夜さまの声は静かだった。
「お前が管理している棚ではないのか」
千景の睫毛がわずかに揺れた。
「香材は私が見ております。ですが、すべてを一人で見ているわけでは……」
誠一郎さまがかばうように言った。
「朔夜さま、千景を責めるのは早計です。彼女は城中でも認められた薬師です。小夜の言葉と、少しの粉だけで疑われては、朝霧堂の信用に関わります」
「信用か」
朔夜さまの目が冷える。
「城下の幼子の喉を塞いだ香より重いのか」
誠一郎さまは言葉を失った。
私は小瓶を見つめた。
瓶の蓋の周りに、黒い筋が絡んでいる。けれど香包みの黒とは少し違う。もっと生々しく、湿った土の底から引き上げたような匂いがした。禁じられた薬材。名は分からない。けれど、普通の病人へ使うものではないことだけは、肌で分かった。
「これは……人の熱を下げるものではないと思います」
私は小さく言った。
「むしろ、熱や息の乱れを、強くするような……」
朔夜さまが小瓶を布に包むよう命じる。
「押収する」
父が慌てて口を開いた。
「お待ちください。それは当家の——」
「城下に妖毒の疑いがある以上、俺の権で預かる」
朔夜さまの声に、父はそれ以上言えなかった。
さらに棚の裏を調べると、薄紅色の紙片が出てきた。
私はそれを見た瞬間、背筋が凍った。
紙は小さく裂けている。けれど色は同じ。桜貝のような薄紅。端には赤い糸の繊維が一本、絡みついていた。紙の裏に、印の欠けが残っている。
丸い月の端。細い草葉の線。
弥太くんの香包みと同じものだった。
「……これ」
私は声を抑えた。
「弥太くんのお母さんがもらったお守りの包み紙と、同じです。赤い糸も。印も、欠けていますが似ています」
朔夜さまは紙片を見つめながら言った。
「弥太を苦しめていた、あの禍が感じられた香包みだな……。たしか、配った者の顔は、布で隠していて見えなかったとか……」
父の顔は青くなっている。継母は千景を見た。誠一郎さまもまた、千景へ視線を向けた。
千景は、微笑んでいた。
けれど、その微笑みの端が少しだけ引きつっている。
「おかしいわ」
千景は小さく首を傾げた。
「そんなもの、誰かが紛れ込ませたのでしょう。朝霧堂には多くの者が出入りしますもの。お姉さまがここを掃除していた頃に、どこかから持ち込んだのかもしれませんし」
また、私だ。
千景は優しい顔のまま、私の足元へ罪を置こうとする。
「私は……」
言いかけた声が揺れた。
誠一郎さまが、すかさず続ける。
「たしかに、小夜は薬蔵に出入りしていた。雑用としてだが、棚に触れる機会はあったはずです。朔夜さま、千景ではなく、まずは出入りしていた者全員を公平に——」
「公平にと言うなら」
朔夜さまが遮った。
「小夜だけを先に疑う理由はない」
誠一郎さまの唇が固まる。
朔夜さまは私へ向き直った。
「小夜。紙以外に何が残っている」
疑う声ではない。その問いに、私は救われた。
私は深く息を吸い、周囲を見た。
棚の木目。薬箱の蓋。香炉。薬研の溝。どれも薄く黒に汚れている場所がある。特に香炉の内側に、黒い靄が濃く溜まっていた。
「香炉です」
薬蔵の隅に、小さな香炉が置かれていた。鼠除けや湿気払いに使うものだ。けれど、灰の色がいつもより暗い。表面は白い灰なのに、下のほうに黒い筋が幾重にも走っている。
私は灰を竹匙で少し掘った。
甘い焦げ香が、ふわりと立ち上がる。
黒い靄が細く伸び、私の指に絡もうとした。私は息を止めず、布越しに灰を小皿へ移す。
「ここで焚かれています。あの香包みと同じものを。香炉の灰の下に、まだ残っています」
朔夜さまが香炉へ近づき、わずかに眉を寄せた。
「禍の気配がある。斬る前の妖ほどではないが、人の弱みに絡む気配だ」
「私は、糸が見えます」
私は灰の上を見つめた。
「香炉から棚へ。棚から紙片へ。紙片から……」
その先を辿ろうとして、私は息を呑んだ。



