薬蔵は店の奥にあった。
重い引き戸を開けると、冷えた空気が流れ出した。乾いた薬草の匂いが濃く、鼻の奥をくすぐる。棚には木箱が並び、札が下がっている。葛根、黄芩、甘草、桂枝、芍薬。粉薬の入った壺、丸薬の箱、香材の小袋。土間の隅には石臼と薬研があり、壁際には大きな秤が置かれていた。
ここも、私の手が知っている場所だった。
掃除は私の役目だったから、棚の高さも、箱の重さも、床板の軋む場所も覚えている。けれど、中身を改めることは許されなかった。
「香材はそちらです」
千景が先に言った。
「お姉さま、足元に気をつけて。薬蔵は慣れないでしょうから」
私は思わず彼女を見た。
慣れないはずがない。
毎朝、私はここを掃いていた。湿気が入らないよう戸の隙間に布を詰め、鼠除けの香を焚き、棚の埃を払っていた。けれど千景にとって、私はここにいても、いないものと同じだったのだろう。
朔夜さまの視線が私へ向く。
「どこだ」
私は息を吸い、薬蔵の中を見渡した。
最初は匂いが多すぎて、頭がくらんだ。乾いた根の匂い、花の匂い、苦い皮の匂い。けれどその中に、あの匂いが混じっている。
甘い焦げ香。
奥の棚。香材の木箱の下。さらに、その裏。
私はゆっくり歩いた。床板がきしむ。千景の視線が背中に刺さる。誠一郎さまは蔵の入口で腕を組み、父と継母は不満を隠せない顔で立っていた。
「ここです」
私は白檀の箱を示した。
木箱の蓋には、薄い黒い靄がまとわりついていた。触れずとも、指先が冷える。朔夜さまも箱の前で目を細めた。
「気配を感じる」
「朔夜さまにも?」
「ああ。だが、お前ほど細かくは分からぬ。ただ、ここは濁っている」
私は頷いた。
「箱の底に、黒い筋が残っています」
朔夜さまが手代に命じ、箱を開けさせた。
白檀の束が並んでいる。帳面の数より、確かに少ない。さらに箱の底の隅に、粉がわずかに溜まっていた。白檀の粉ではない。灰白色で、ところどころ茶色い粒が混じっている。
昨夜見た香包みの中身に似ていた。
私は布を指に巻き、粉を少しだけ竹匙ですくった。
「同じ匂いです」
千景がすぐに笑った。
「お姉さまには、香の区別は難しいのではなくて?」
「間違いありません」
私は自分でも驚くほど、はっきり言っていた。
千景の笑みが止まる。
「白檀の甘さの下に、焦げた匂いがあります。喉に絡む匂いです。弥太くんの香包みと同じものです」
「弥太……?」
継母が眉をひそめる。
「市場の子のことですか。まさか、あんな子どもの病まで、うちのせいにする気じゃないでしょうね」
「せいにするために来たのではありません」
私の声はまだ震えていた。
でも、止まらなかった。
「確かめに来ました。薬袋、香包み、薬帳、在庫。どこで黒いものが混じったのかを」
父が低く言った。
「小夜。口を慎みなさい」
その声に、心が少し揺れた。
父に名を呼ばれると、私はまた子どもに戻ってしまう。薬草をひとつ覚えて褒めてほしかった頃の私に。
けれど、今は朔夜さまが隣にいる。
私は小袋を握らずにいられた。
重い引き戸を開けると、冷えた空気が流れ出した。乾いた薬草の匂いが濃く、鼻の奥をくすぐる。棚には木箱が並び、札が下がっている。葛根、黄芩、甘草、桂枝、芍薬。粉薬の入った壺、丸薬の箱、香材の小袋。土間の隅には石臼と薬研があり、壁際には大きな秤が置かれていた。
ここも、私の手が知っている場所だった。
掃除は私の役目だったから、棚の高さも、箱の重さも、床板の軋む場所も覚えている。けれど、中身を改めることは許されなかった。
「香材はそちらです」
千景が先に言った。
「お姉さま、足元に気をつけて。薬蔵は慣れないでしょうから」
私は思わず彼女を見た。
慣れないはずがない。
毎朝、私はここを掃いていた。湿気が入らないよう戸の隙間に布を詰め、鼠除けの香を焚き、棚の埃を払っていた。けれど千景にとって、私はここにいても、いないものと同じだったのだろう。
朔夜さまの視線が私へ向く。
「どこだ」
私は息を吸い、薬蔵の中を見渡した。
最初は匂いが多すぎて、頭がくらんだ。乾いた根の匂い、花の匂い、苦い皮の匂い。けれどその中に、あの匂いが混じっている。
甘い焦げ香。
奥の棚。香材の木箱の下。さらに、その裏。
私はゆっくり歩いた。床板がきしむ。千景の視線が背中に刺さる。誠一郎さまは蔵の入口で腕を組み、父と継母は不満を隠せない顔で立っていた。
「ここです」
私は白檀の箱を示した。
木箱の蓋には、薄い黒い靄がまとわりついていた。触れずとも、指先が冷える。朔夜さまも箱の前で目を細めた。
「気配を感じる」
「朔夜さまにも?」
「ああ。だが、お前ほど細かくは分からぬ。ただ、ここは濁っている」
私は頷いた。
「箱の底に、黒い筋が残っています」
朔夜さまが手代に命じ、箱を開けさせた。
白檀の束が並んでいる。帳面の数より、確かに少ない。さらに箱の底の隅に、粉がわずかに溜まっていた。白檀の粉ではない。灰白色で、ところどころ茶色い粒が混じっている。
昨夜見た香包みの中身に似ていた。
私は布を指に巻き、粉を少しだけ竹匙ですくった。
「同じ匂いです」
千景がすぐに笑った。
「お姉さまには、香の区別は難しいのではなくて?」
「間違いありません」
私は自分でも驚くほど、はっきり言っていた。
千景の笑みが止まる。
「白檀の甘さの下に、焦げた匂いがあります。喉に絡む匂いです。弥太くんの香包みと同じものです」
「弥太……?」
継母が眉をひそめる。
「市場の子のことですか。まさか、あんな子どもの病まで、うちのせいにする気じゃないでしょうね」
「せいにするために来たのではありません」
私の声はまだ震えていた。
でも、止まらなかった。
「確かめに来ました。薬袋、香包み、薬帳、在庫。どこで黒いものが混じったのかを」
父が低く言った。
「小夜。口を慎みなさい」
その声に、心が少し揺れた。
父に名を呼ばれると、私はまた子どもに戻ってしまう。薬草をひとつ覚えて褒めてほしかった頃の私に。
けれど、今は朔夜さまが隣にいる。
私は小袋を握らずにいられた。



