無能薬師の娘、最強武将の花嫁候補になります

朔夜さまは父へ視線を戻した。

「薬帳を出せ」

父は唇を固く結んだ。

「……奥へ」

手代が慌てて帳場へ向かう。

薬帳は厚い帳面だった。黒い表紙に手垢がつき、角が擦り切れている。私が触れることを許されなかった帳面。幼い頃、母の膝で薬草の名を教わっていた時、父はその帳面を誇らしく見せてくれた。けれど母が亡くなってから、私の指はその表紙に届かなくなった。

帳場の台に置かれた薬帳を、朔夜さまが開く。

「小夜」

呼ばれて、私は近づいた。

父の目が咎めるように動いた。継母の顔が険しくなる。千景はにこやかに首を傾げる。

「お姉さま、帳面の字は細かいわ。無理をなさらないで。薬材の出入りは私が見ますから」

その言い方は優しかった。

けれど、私の手から帳面を遠ざける声だった。

朔夜さまが、薬帳の端を私の前へ滑らせた。

「読め」

たったそれだけで、千景の笑みがほんの少し硬くなった。

私は指先で頁を押さえた。紙は乾いていて、少しざらつく。墨の匂い。古い手の脂の匂い。そこへ、かすかな甘い焦げ香が混じっていた。

目を凝らす。

文字の列の間に、黒い筋が見えた。墨の滲みではない。紙の繊維に沿って、細い黒が這っている。特に香材の項。白檀、桂皮、丁子、陳皮。その並びの下に、ひとつ空いた場所がある。

文字が削られている。

削り跡には薄く糊が残り、その上から別の数字が書かれていた。

「ここ……」

私は声を出した。

「三日前の香材の出入りが、削られています。白檀の数も合いません。帳面では二包み残っているはずですが、ここに黒い筋が……書き直しの跡があります」

父の顔色が変わった。

「書き損じもある」

私は唇を噛んだ。

その時、朔夜さまが帳面の削り跡へ指を近づけ、途中で止めた。

「確かに、ここだけ紙が薄い。墨も新しい」

朔夜さまは手代へ視線を向けた。

「香材の在庫を見せろ」

手代は父を見た。父は苦い顔で頷いた。