無能薬師の娘、最強武将の花嫁候補になります

日が暮れる頃、屋敷の庭は青い影に沈み始めた。

笹の葉に夕風が触れ、擦れる音がする。池の水面には、月が映らない。新月なのだと、杉さんが灯りを入れながら教えてくれた。

「新月の日は、朔夜さまのお加減が重くなります」

杉さんの声はいつも通り淡々としていた。けれど燭台の火を灯す手が、ほんの少しだけ慎重だった。

「昨夜も……」

言いかけて、私は口を閉じた。

『今見たものは、誰にも言うな』

朔夜さまの言葉を思い出したからだ。

杉さんは私を見たが、何も聞かなかった。ただ、膳のそばに湯を置く。

「夜は冷えます。ご自分のお体も大切になさいませ」

「はい」

そう答えたものの、私の耳はずっと屋敷の奥を気にしていた。

昼間、朔夜さまは何事もないようにしていた。香包みを調べ、家臣に命じ、城下の見回りの報告を受けていた。顔色は白かったが、背筋はまっすぐで、声に乱れはない。

けれど、私には見えていた。

羽織の袖口から覗く手首に、黒い筋がかすかに浮いているのを。脈に沿って、昨日よりも少し深く沈んでいるのを。

新月。

月の光が細くなっていくにつれ、夜の底に沈むものが濃くなるのだろうか。朔夜さまの中に引き受けられた禍もまた、出口を失って重くなるのだろうか。