無能薬師の娘、最強武将の花嫁候補になります

門を出ると、朝の城下へ向かう道は眩しかった。昨夜は闇に沈んでいた武家屋敷の白壁が、今は陽を受けて淡く光っている。塀の上には松の枝が影を落とし、どこかの庭から沈丁花の香りが流れてきた。

馬ではなく、今日は徒歩だった。朔夜さまの後ろを少し下がって歩く。

城下へ近づくにつれ、人の声が増えていく。

魚を売る男の呼び声。桶を叩く音。子どもが駆ける足音。味噌汁と焼き魚の匂い。水路から上がる湿った冷気。春の陽を受けた白い湯気が、家々の軒先で立ちのぼっている。

懐かしいはずの町だった。

けれど今の私は、昨日までの私ではない。朝霧堂の裏口から出る雑用の娘ではなく、朔夜さまの隣に歩く花嫁候補として見られている。

視線が集まる。

「あれは朔夜さまでは」

「隣の娘は誰だ」

「朝霧堂の……小夜とかいう」

「死人を出して追い出された娘じゃないのか」

「だが、花嫁候補だと聞いたぞ」

「まさか。あの朔夜さまの?」

囁きは、小石のように足元へ落ちる。踏まなければ歩けない。私は顔を伏せすぎないように、けれど人々の目を直に見ないように歩いた。

朝霧堂の名が出るたび、胸がきゅっと縮んだ。

店先に並ぶ薬包の紙。煎じ薬の湯気。乾いた薬草の束。そういうものを見るだけで、手が勝手に動きそうになる。けれど同時に、継母の声が耳の奥で甦る。

家の恥。
役立たず。
小夜の手が薬に触れると、災いになる。

私は袖の中の丸薬入れを握った。

朔夜さまは、私の横で立ち止まった。

「顔を上げろ」

低い声だった。

私はびくりとして顔を上げる。

「悪いことをした者の歩き方をするな」

「……でも」

「でも、ではない」

朔夜さまの声は冷たいほど落ち着いていた。

「お前は俺が連れている。俺の隣で俯くな」

胸の奥に、強い風が吹いたようだった。

叱られたのだと思った。けれどそれは、私を萎ませる言葉ではなかった。私の背に、見えない手を当てるような言葉だった。