無能薬師の娘、最強武将の花嫁候補になります

杉さんは私を部屋の奥へ座らせると、まず髪を梳き始めた。櫛の歯が絡まった髪に入るたび、少し痛い。けれど彼女の手は乱暴ではなかった。毛先に椿油をなじませ、少しずつほぐしていく。

朝霧堂では、千景の髪を梳くのは私の役目だった。艶のある髪に櫛を通し、簪を選び、後れ毛を整える。鏡の前で千景はよく微笑んだ。

——小夜お姉さまは、不器用ね。

そう言いながら、鏡越しに私を見る目だけが冷たかった。

私自身の髪を、誰かがこんなに丁寧に扱うことなど、母が亡くなってから一度もなかった。

「痛みますか」

杉さんが尋ねる。

「いいえ」

本当は少し痛かった。けれどそれより、触れられることに慣れていなくて、肩に力が入ってしまう。

「力を抜いてくださいませ。首が固うございます」

「申し訳ありません」

「謝ることではございません」

そう言いながら、杉さんは私の髪を低く結い、細い組紐でまとめた。簪は銀でも珊瑚でもなく、黒檀に小さな白梅の彫られたものだった。派手ではない。けれど、朝の光を受けると、白梅の花だけが雪のように浮かぶ。

着物は淡い若草色だった。

袖口に薄く藤の模様が入り、帯は白に近い灰色。触れると、布は水面のように滑らかだった。私は思わず手を引いた。

「こんな高価そうなもの……」

「着物は着るためのものです」

杉さんは淡々と言い、私の襟を直した。

帯を締められると、背筋が自然に伸びる。胸の奥まで空気が入ってきて、苦しいような、少しだけ清々しいような気がした。

杉さんが小さな鏡を差し出す。

「ご覧になりますか」

私は怖くて、すぐには頷けなかった。

鏡は、いつも千景のものだった。私が映れば、後ろから継母が「土台が悪い」と笑った。だから私は、鏡を見ることが苦手だった。

けれど杉さんは急かさない。

私はそっと顔を上げた。

鏡の中にいたのは、朝霧堂の灰まみれの娘ではなかった。頬はまだ痩せていて、目元には眠りの名残がある。美しいなどとは思えない。けれど、髪は整えられ、襟元は清く、若草色の袖が朝の光にやわらかく溶けている。

まるで、春の野に一本だけ残った細い草のようだった。

踏まれても、まだ折れていない草。

私は喉が詰まり、鏡から目を逸らした。

「変では、ありませんか」

「変ではございません」

杉さんは少し間を置いてから、付け加えた。

「ただ、怯えすぎでございます」

その言い方があまりにまっすぐで、私は思わず瞬いた。

杉さんは表情を変えないまま、布包みを差し出した。中には小さな丸薬入れと、清潔な手拭い、そして薄い紙包みが入っている。

「朔夜さまより。薬師の娘なら、持っておくべきだろうと」

私は息を呑んだ。

丸薬入れは空だった。けれど中を整えて使えるようにしてある。紙包みには乾かした陳皮と生姜、少量の甘草が入っていた。簡単な薬湯なら作れる。手拭いは手当てに使える。

胸の奥が、熱くなった。

朔夜さまは、私に薬師としての道具を持たせてくれたのだ。

朝霧堂で私が薬棚に触れようとすれば、継母は眉をひそめた。千景は笑った。父は、もう何も言わなかった。けれどここで、私は空の丸薬入れを渡された。

中身のない器。

それは、無能の証ではなく、これから自分で満たしてよい場所のように思えた。

「ありがとうございます」

私は深く頭を下げた。