無能薬師の娘、最強武将の花嫁候補になります

目覚めた時、私はしばらく自分がどこにいるのかわからなかった。

天井には煤の染みがない。梁から干した薬草も垂れていない。朝霧堂の物置でいつも聞こえていた継母の足音も、千景の支度を急かす声もない。

あるのは、障子越しにこぼれる淡い朝の光と、庭の笹が擦れるさらさらという音だけだった。

布団はやわらかく、頬に触れる布の匂いは清潔な匂いがした。私は思わず指先で襟元を掴む。眠る前に握っていた母の小袋は、胸元のすぐそばにあった。古い布の手触りに触れて、ようやく昨夜のことが夢ではなかったのだと知る。

朔夜さまの屋敷。

黒い門。冷たい視線。花嫁候補という言葉。

そして、夜の離れで見た、朔夜さまの体を流れる黒い禍。

私は息を呑み、起き上がった。

指先にはまだ、あの冷たさが残っている気がした。爪の下に入り込もうとした黒いもの。無能、と囁く声。けれど、同じ場所に、別の声も残っていた。

小夜。

初めて、朔夜さまに名を呼ばれた声。

それを思い出した途端、胸の奥が小さく熱くなった。火傷ではないのに、痛い。痛いのに、嫌ではなかった。