無能薬師の娘、最強武将の花嫁候補になります

部屋に戻ると、布団はそのまま敷かれていた。誰にも奪われていない。膳も片づけられ、温かな白湯だけが文机に置かれている。私は濡れた足袋を脱ぎ、布団の上に座った。

眠るのが怖かった。

目を閉じれば、朝霧堂に戻ってしまう気がした。目覚めたら物置の隅で、継母の怒鳴り声が聞こえ、千景の支度を急がされるのではないか。今日のことは全部、湯気の中で見た夢ではないか。

私は母の小袋を握った。

布団は柔らかかった。白湯はまだ温かく、湯呑みを包むと指先の冷えが少しずつ解けていく。障子の向こうでは、笹が風に揺れている。

ここは私の家ではない。

でも、今夜だけは、追い出されない場所だった。

そう思った瞬間、涙が一粒落ちた。

今度は拭わなかった。

声を上げずに泣くことは、朝霧堂で覚えた。けれど今の涙は、あの家で流したものと少し違っていた。痛みだけではない。温かさが怖くて、怖いのに離したくなくて、どうしてよいかわからない涙だった。

いつの間にか、私は眠りに落ちていた。