悪虐非道な盗賊は、燃える紅葉の海で一度だけ姫を抱き締めた。

 最上階に上がると、そこは一辺が五間ほどの広間になっていた。
 最奥が一段高くなっており、そこに座る小柄な男が、五右衛門を目にして驚愕の表情を見せている。五右衛門が近付いて行くと、飾ってあった太刀を手に取り、震える手で鞘から抜いた。及び腰の立ち姿からして、刀が振れるとは思えない。

「こ、この曲者が。この儂を、京極高次と知っての狼藉か!!」
 京極はその場で立ち上がり、小刻みに小刻みに震える切先を五右衛門に向けた。
 五右衛門はそんなら高次の言葉など完全に無視し、目の前に移動して胸倉を掴み上げた。
「摩亜姫はどこだ?」
「ヒイッ」
 高次は至近距離で五右衛門に睨まれ、一瞬にして震え上がった。
「もう一度聞くぞ。摩亜姫はどこにいる?」
 高次は無言のままであったが、その視線が瞬間的に揺らいだ。その先には襖があり、その奥に部屋がありそうな気配がある。
 五右衛門は高次を放り投げると、襖の方向に歩き始めた。その背後で高次が起き上がり、腰を抑えながら叫ぶ。
「ぶ、無礼者が!!」
 そして、懐から短筒を取り出すと銃口を五右衛門に向ける。ダンッという音と共に、五右衛門の背中に衝撃と激痛が奔った。それでも、五右衛門の足は止まらず、襖に手を掛けた。襖を開けるとそこは狭い部屋になっており、手足を縛られ、布を咬まされている摩亜が横たわっていた。

 五右衛門は摩亜に近付くと手足の拘束を解き、口を押さえていた布を外した。
「摩亜姫」
 五右衛門の声に、摩亜の目がゆっくりと開く。
 そして、まるで夢から覚めたかのように呟いた。
「・・・五右衛門様?」

 その時、部屋の外が俄かに騒がしくなった。もしかすると、早くも最上階へと上る梯子を用意したのかも知れない。足下が覚束ない摩亜を抱きかかえると、五右衛門は部屋の外に出る。すると、既にそこには下の階にいた赤尾を始めとする面々が抜刀して待ち構えていた。五右衛門はその様子を見渡すと、笑みを浮かべた。
「勘違えしてるみてえだが、もうオレに戦う理由はねえんだわ」
 そう告げると、五右衛門は摩亜を抱えたまま建物の外に跳ぶ。そして屋根の上を走ると天守閣のてっぺんに飛び移った。もう、武士は誰一人追い掛けて来ることはできない。

 眼下には煙を上げる城門が見える。
 その向こう側には夜に支配された山々。
 そして、微かな月明かりを反射する琵琶湖が広がっている。

 五右衛門は摩亜を屋根の上に座らせると、懐から手渡されていた五寸玉を取り出す。
「何ですかそれは?」
 摩亜の問いに対し、五右衛門は悪い笑みを浮かべて答える。
「打ち上げ花火なんだが、見たことはあるかい?これは先年、宣教師が持ち込んだ南蛮の物だ。鍵屋と玉屋が研究中だが、近い将来一般的になるかも知れねえな」
 摩亜は小首を傾げ、五右衛門は少し離れた場所に屋根で筒を作る。
「でけえ音が鳴るから、耳を塞いでおくんだぞ」
「は、はい」
 五右衛門は五寸玉に火を点けると筒の中に投げ込む。即座に飛び退くと、摩亜が驚いて落ちないように抱きかかえた。

 次の瞬間、ドンという重低音の後で、ヒュルヒュルという音を立てながら花火が夜空に上っていった。そして、空気の振動と共に、一瞬にして辺りが昼間のように明るくなった。
 周囲の山々が照らし出される。
 今は紅葉の季節だ。
 山が最後の力を振り絞り、一年で一番美しく輝く。
 真っ赤に染まった山々。
 一面が燃えるような赤で埋め尽くされている。
 それは本当に、紅葉の海のように見えた。

 五右衛門は摩亜を強く抱き締め、その光景を眺めながら呟いた。

「―――――絶景かな、絶景かな。 秋の眺めは値千金とは小せえ小せえ。 この五右衛門には値万両。 最早静まり返る月夜に、打ち上げ花火に照らされて、燃える紅葉もまた一入(ヒトシオ)。 誠この心を写す、眺めだなあ・・・」

 摩亜はその呟きを耳にし、顔を五右衛門の顔に押し付けた。
 ほんの数秒。
 されど数秒。
 その数秒だけは、確かに二人は一つだった。
 何にも縛られず、心に従った。



 五右衛門の目が、八幡山城へと続く松明の灯りを捉えた。
 再び暗闇に沈んだこの地に、秀吉の軍勢が向かっているのだろう。誰かが何かを起こすまで、付近に兵を伏せていたのだ。犯人が分かっているとはいえ、現在の状況では秀次を処分する理由が薄い。まだ、秀吉と言えど表立って対立する訳にはいかない。秀次は凡庸な人物ではないのだ。
 五右衛門と摩亜はいつもの距離に戻る。
 近付いて来る鎧が摺れる金属音が聞こえてくる。
 城門の前で行軍が停止した。
 秀次に対して、無言の圧力をかけているのだろう。しかし、既に秀次はこの城にはいない。また、城主である高次しても、その手には差し出すべき摩亜はいない。

 五右衛門は摩亜を抱きかかえたまま、天守閣のてっぺんから屋根伝いにトントンと下りて行く。そして、地面に着地すると摩亜を手放して両手を上げた―――――次の瞬間、十人以上の兵が一斉に五右衛門に覆い被さる。
 ここに、天下の大盗賊、石川五右衛門は捕縛された。

 摩亜は何事も無かったかのように、振り返ることもなく、用意されていた駕籠に乗り込んだ。