「……っ!!」
それは地雷だ。羞恥心で意識が吹っ飛びそうになる。
何とか言い返してやろうと思ってると、先生がやってきた。
「光義、体操着に着替えてないのか」
彼の言うとおり。俺はトイレで着替えさせられたけど、彼は制服のままだ。
「はい。実はさっき転んじゃって、脚も痛くなってきちゃって」
彼は絆創膏が貼られた手を翳し、申し訳なさそうに呟く。
「じゃあ今日は休むように」
「はい、ありがとうございます。……ってことだから、頑張ってね望。あまり激しい動きはしない方がいいよ」
「てめ……っ!」
本当にノーパンで体育に出なきゃいけないのか。
よりによって授業は器械体操。マットの上でひっくり返ったり、平行棒に乗らないといけない。
あああ、俺も休みたい!!
皆は知らないけど、光義だけは優雅に、ニヤニヤしながら俺を眺めるだろう。ノーパンであそこをぶらぶらさせ、屈辱と羞恥心に打ちのめされるさまを。
( 俺が前世でどんな罪を犯したっていうんだ )
個人個人でひとつずつ種目をこなしていく為、生徒は二人一組になり、一方が記録を取り合うことになる。
偶然にも俺のパートナーはあのいじめられっ子だった。俺より小柄な、名前は東間くん。
「ああぁああっ!それ以上はだめえぇっ! おかしくなっちゃう!」
東間くんは身体がかたく、背中を押しても全然つま先まで手が届かなかった。
叫び声も何かアレだし、これ以上はまずいと言うので程々でやめる。
かく言う俺は前屈はともかく、開脚前転とかは絶対したくない。皆はともかく、光義だけはスケスケフィルターを瞳孔にかけて俺を見ている。いわば視姦しているんだ。
壁倒立も絶対嫌だ。ズボンが落ちる可能性がゼロではない。
マット運動は全部地獄……と思っていた矢先、件のウェイウェイどもが近付いてきた。
「東間、お前どんだけ運動音痴なんだよ。幼稚園児の方がマシなんじゃね?」
「……っ」
彼らは東間くんを嗤笑する為にやってきたようだ。こうも堂々と馬鹿にされてる姿を見ると猛烈に腹が立つ。
今日はとことん厄日だ。
東間くんはすっかり萎縮し、何も言えず俯いている。
「アンテナぐらいできるだろ? やってみろよ」
アンテナ、いわゆる背支持倒立はマットに仰向けに倒れ、下半身を限界まで天井に向けてぴーんと維持するやつである。普通はすぐにできるが、彼はできなかった。
「カオナシの方がずっと運動神経良いよなー。カオナシ、ちょっとお手本見せてやれよ」
東間が突き飛ばされ、逆に自分がマットへ引き寄せられた時……頭の中で何かが切れる音がした。
「いい加減にしろ! ひとのこと気にするより、自分達が真面目にやれよ!」
今までで一番大きい声で怒鳴ってしまった。だだっ広い体育館は嫌に響く。皆の視線が集まり、東間くんにまで驚いて見られてしまった。
しかし、キャラ崩壊しても絶対やるわけにはいかない。倒立をした時にこいつらが俺のズボンを下ろさないとも限らない。
うん。ないと思うけど、今の俺は過去最高に疑心暗鬼になってる。
「カオナシが喋った…………」
東間をいじめていた数人の男子は唖然とし、肝心の内容は頭に入っていないようだった。そこがちょっとモヤモヤするけど、彼らは無視して東間にアンテナのやり方を教えてやることにした(※立ちながら)。
「……ごめん、もっと早くに追い払えば良かったんだけど」
「ううん、ありがとう。カオ……望君だけだよ、俺なんかに優しく教えてくれるの」
彼は背を丸めて照れ臭そうに笑う。それにはホッとしたけど、こいつ今俺のことカオナシって言おうとしたよな。
不思議に思いながら、懐かしい記憶を辿る。
いじめではないけど、笑われた経験ならあった。無邪気な子どもだからこそできる嘲笑があって、……絶え間なく浴びせられたあの日のことは今でも覚えている。
小さい頃は牛乳が飲めないとか逆上がりができないとか(今もできないけど人生に支障はない)……、親が学校に来た、というだけで笑われたりした。謎社会だ。
苦手な牛乳を頑張って飲んだら案の定お腹が痛くなって、トイレに籠った。皆大爆笑していたけど、唯一心配して様子を見に来てくれたのは、他でもない幼馴染。光義だった。
「望。何か揉めてたみたいだけど、大丈夫?」
ちょうど授業終了のチャイムが鳴って、光義がやってきた。そして目の前にいる東間に笑いかける。
「また東間がちょっかい出されてた? 東間はドMだからなぁ……」
「へっ?」
ここに来て初めて聞く単語に、素っ頓狂な声が出てしまった。
「ドエムって……?」
「彼ちょっと怖い性癖あってさ。雑に扱われたり、いじめられたりするのが大好きなんだって」
何それ怖い。……じゃなくて!
「いじめじゃないの!? どう見てもいじめだったろ!」
「あ、ごめんごめん、いじめじゃないよ。俺から頼んでるんだ。皆本当はすごく優しいんだけどさ、俺は何か冷たくされるとゾクゾクしてきて、すごく楽しいんだよね」
「……とかクラス替え当日に皆の前で言ってたんだよ。やばいよな」
光義は可笑しそうに笑っている。他人事みたいに言ってるけど、種類が違うだけでお前も変態だろうに……。
ていうかちょっと待って。それじゃ俺は彼がイジメを受けてると思って、深刻に悩んでいたのか。カオナシという道化まで演じて、ノーパンであることを必死に隠していたのか?
頭の中で処理できず、再び放心状態になる。今日の夜ご飯は何かな……と思ったところで、ようやく色んな感情が溢れ出した。
「望。大丈夫?」
「大丈夫じゃない……!」
光義の手を振り払い、東間くんのことも忘れてその場から走り去った。
今までの俺の努力を返せ! 自業自得だけど!
体育館の真横にある倉庫へ逃げ込んだものの、光義も後を追ってきた。
暗い密室に二人きり。これはこれで気まずい。
「……何だよ」
「望こそ。急にどうしたの」
抑揚がないのに、どこか宥めるような声音。ちょっと振り返って見ると、彼は不安そうな表情を浮かべていた。また胸の辺りがチクッとして、息が苦しくなる。光義を安心させてやらないといけない気になる。実際は、自分が楽になりたいだけかもしれないけど。
「俺は東間くんがいじめられてると思ってたんだよ。だから一人で浮かないようにヤバめの陰キャを演じてたのに……もうどうしたらいいか……何を信じたらいいのか分からない……今すごく混乱してる」
「カオナシは陰キャっていうか、最後に爆発するもんね。忠実に再現できてると思うよ」
「そういうことじゃない!」
いじめじゃなかったことは心からホッとしてる。この学校に来てから、今までで一番嬉しい。でもそれ以上に虚しく、恥ずかしかった。
それなりに深い理由で頑張っていたつもりだったのに、子どもプールぐらい浅い理由になってしまったから。
「もしかして、東間の為にあんなキャラ演じてたの? あはは!」
「うう……好きなだけ馬鹿にすればいいよ」
「馬鹿にしてない。可愛すぎて笑っただけ」
彼は可笑しそうに自身の目元を拭い、こちらに踏み出した。
「望は優しいね。相変わらず」
目の前の影が濃くなる。と同時に、光義に頭を撫でられた。
ずっと昔もこんな風に彼にあやされたことがあるけど、よく思い出せない。
いつだっけなぁ……。
完全に離れるのは心細くて、彼のセーターの裾を握る。
彼は俺を潰さない程度に体重をかけてきた。
「嬉しい。本当に望だ」
「わわ。ちょ、光義」
背中に壁が当たる。身長差があるから、全身を委ねられると受け止めるのが大変。
しかし何とか踏ん張り、彼の背に手を回した。
「望が転校してきたとき、夢かと思ったんだ。触れられる距離にいるって思ったら頭の中真っ白になった」
ぎゅう、と服を掴む手に力が入る。
光義の頬は紅潮していたが、見つめ合うとかすかに笑った。
「……」
彼は中身以上に外見が変わった。俺もそうなんだろうけど、彼は黙ってればイケメンだし、どう見てもモテモテリア充のカテゴリーだ。っていうか、
「俺も……お前に会えたのは嬉しいよ。でも男のパンツ強奪だけは駄目だって」
幼馴染でも擁護できない。
同性愛者ということはさておき、犯罪に手を染めるのだけは阻止しないと。額を押さえて言うと、光義は悲しそうな面持ちで零した。
「男の……じゃなくて、望のが良いんだ。望以外の下着はお金貰っても要らない」
「いや……いいや、この話はまた今度。俺が元気なときにしよう」
もう今日は色々あり過ぎて、光義を諭す自信がない。ちゃんと余裕があるときに解決策を考えよう。
久しぶりに光義と会えた。形はどうあれ、八年間俺を忘れずにいてくれた。
それは……そんなの、嬉しくないはずがない。
「ま、いじめの悩みがなくなっただけ良かったよ」
「そうだねぇ。めでたしめでたし」
「いやまだ終わってない。下着返せ」
微笑ましく手を叩く光義を壁に押しつける。
俺がノーパンなので、またトイレで着替える為に窮屈な個室へ直行した。
もう学校でこんなヒヤヒヤするのは嫌だ。あとスースー。
真剣に見つめてると、光義は静かに息をついた。
「望」
「何?」
「俺と付き合ってほしい」
肩を掴まれ、逆に扉に押しつけられる。追い詰めたはずが追い詰められて、思わず喉が鳴った。
「好きなんだ。一緒にいられなかった時間を取り戻したい。めいっぱい可愛がって、ちゃんと守りたい」
……っ。
甘いというか、熱烈な告白をされて言葉を失う。
顔が熱すぎて倒れそうだ。何でこんなに執着されるのかもわからないし、無責任に受け入れていいかもわからない。
きっと光義は俺が転校したのがショックすぎて、心に深い傷を負ったんだ。今こうして俺に迫るのも、すべては寂しさの裏返し。
なら、傍にいるのは絶対条件か……。
「俺と付き合ってくれたら下着も返す」
「付き合う」
二つ返事でOKしてしまった。
わーい、恋人ができた。……というより、わーい、下着が戻ってきた。と喜んだ。
「履くから外出て待ってろ」
「ううん、壁向いてるから大丈夫」
か───俺が大丈夫じゃないんですけど。光義は個室から出る気なさそうだったから、諦めて下着を履いた。
何だか人権も取り戻した気分だ。
「望。好き」
「わわっ。おい、ちょっと離れろって……!」
改めて、恋人……になってしまったのか。
久しぶりの再会で、本当は幼馴染をやり直すところだったのに。ステップを十段は飛ばしてしまった気がする。
「これからよろしくね」
「…………あぁ」
でも、キスは嫌じゃなかった。というのも本心で、それが尚のことやばい。はっきり言って危機感を覚えてる。
きっと、俺もこいつのやばい性癖が伝染ったんだ。
彼の執拗な愛撫を逃れながら、これから始まる甘そうな日々に頭を抱えた。

