冷酷無比な竜王さまに嫁いだら溺愛型だった



――――翌朝の食事場所には小さなお膳がひとつ、追加されていた。

「……っ」
襖からひょっこり覗く小さな姿に私たちも思わずほっこりしてしまう。

「氷名くん、こっちにおいで」
お膳の場所は私の隣。私と氷名くんが氷月さまに向かい合う形だ。

「……さゆっ」
とたとたと走り出そうとした時。
「やっ」
不意に氷名くんが転倒する。

「氷名くん!?」
「氷名!」
慌てて駆け寄ろうとした最中、一瞬足が見えたのだ。氷月さまは気付いていないようだが、まさか……蹴ったの?

「氷名さま、あまり急がれるから」
そしてなに食わぬ顔で入ってきた桃羽の姿に戦慄する。まさか桃羽が氷名くんを……?

「何?」
桃羽が余計なことを言うなとばかりに睨んでくる。

「どうした」
「氷月さま……その」
私にもう少し勇気があれば。しかし桃羽の鋭い睨みが実家での辛い日々をフラッシュバックさせてくる。

「顔が青いぞ。やはり休んでいた方が」
「い……いえ、大丈夫です。それよりも氷名くんは」
「ああ、怪我はないようだ」
よ……良かった。だが……勝ち誇ったような桃羽の顔が映る。
どうして……どうして私は肝心な時に、いつも……っ。それがもどかしくて、悔しくて。

氷名くんを守ってあげなきゃと思うのに……何も出来ない。

「ごはん!」
その時、ちょいちょいと袖を引っ張ってくる小さな氷名くんにハッとする。あんなことをされたのに氷名くんはこんなにも健気に……。

「そ……そうだね。ごはん、食べようね」
お膳に箸をつける。氷名くんは小さいのにしっかりとお箸を持って賢明に食べている。

「氷名は残さず食べるのだな」
「……っ!」
氷名くんが驚いて氷月さまを見る。

「偉いぞ」
「……っ!!」
氷名くんはハッとして頬を赤らめる。

「うん……っ」
答えた……!

少しずつ、氷名くんが氷月さまと会話をし始めている。これも大切な進歩だ……!

氷名くんが勇気を出して答えているのだ。私も……勇気を出さなくちゃ。

※※※

手習いに行くと言う氷名くんを桃羽と行かせることは一抹の不安を抱かせる。

しかし……それを無理矢理止める度胸はなくて。

「ひ……氷月さま」
「ああ、今日は会話をしてくれた」
「は……はい」
そんな風に嬉しそうに言われればその笑顔を崩したくなくて言い出せなくなってしまった。

私はまだ……弱虫のままだ。

※※※

とぼとぼと書庫に向かう。どうすれば勇気が出せるだろうか。

――――弱虫な自分が嫌になる。

「氷名くんが好きそうな絵本を……」
今日は自分で選びたいと浅黄に打ち明けた。

だけど結局桃羽のことを打ち明けられなかった。それは恐いから?重なるから……?

「だけど……そのせいで氷名くんが……」
やはりもう一度……せめて浅黄には……っ。

意を決して回廊に出る。
その時だった。

「いやあぁぁぁぁっ!やあぁぁ――――っ!」

「……っ!氷名くんの泣き声!」
急いで声のする方に急ぐ。

「煩いわね!静かにしなさいよ!」
桃羽が鬼のような形相で……そこにはいた。

パシン。

え……?一瞬時が止まったかと思った。

桃羽が氷名くんのほっぺをはたいたのだ。

「……あぅ……うぅ……うあぁぁっ」
氷名くんは涙目だ。

「黙りなさい!いいから来なさい!手習いごとに遅れるでしょ!」
「やーぁっ」
「泣くのをやめないとまたぶつわよ!」
い……いけない!私が……私が氷名くんを守らなきゃっ!
臆病な心よりも先に足が動いていた。

「やめて!」
桃羽から引き剥がすように必死に氷名くんを抱き締める。

「あんた……っ、邪魔しに来たの!?」
恐い……怒鳴られるのがどうしようもなく、恐い。

「ほんと目ざわりな女!こんな地味で平凡なのに竜王さまの花嫁ですって……!?」
「……」
「せっかく竜王さまの宮に仕えられることになったのに、花嫁が家で選ばれるって何なのよ!」
頭に硬い拳がぶつけられる。
「……っ」

「その上竜王さまのお世話じゃなくてそんなガキのお守りをさせられるなんて!」
桃羽の足が私の背中を蹴ってくる。
「ずるい……ずるいずるいずるい!」
まるで夢から襲い掛かってくるかのような恐怖。
だけど負けちゃダメだ。
だって氷名くんはこんな風に蹴られて痛い思いをしたのに……っ。

私に勇気がなかったから。弱虫だったから……また泣かせてしまった。

「私の人生、全然上手くいかない!全部、全部!」
ドンッドンッと背中を蹴られる。

「そのガキのせい!あんたのせい!責任取りなさいよ!」
そんな……無茶苦茶な!

「ほら!何とか言ったらどうなの!?何も言えないの!?あっはっはははっ!ざまぁないわね!」
また……蹴られる!!氷名くんを抱き締めて身構える。

――――しかしいくら待っても衝撃が来ない。

「……?」
どう言うこと?それに何か……寒いような。

「いやあぁぁぁぁっ!何よこれえええぇっ!!」
桃羽の悲鳴にハッとして顔を上げる。そこには蹴りあげようとした足ごと足元が凍り付く桃羽がいた。

これはまさか……っ。

「無事か!咲柚、氷名!」
「氷月さま!それに浅黄もどうして!?」

「今朝具合が良くなさそうだったからな。様子を見に来た」
「私は書庫に竜王さまをご案内したのです」
それで来てくれたのか。

「しかし……お前、何をしたのか分かっているのか」
この場を包み込む冷気とは裏腹に烈火のごとく怒りを孕む氷月さまの声。

「わ……私は、何もっ」
「白々しい!今咲柚のことを蹴っていただろう!はっきりとこの目で見たぞ!」
「それは……そのっ」

「そうやって氷名にも暴行を加えたのか」
「え……っ」
「妙だと思った。氷名の翼の傷」
「それはその……氷名さまがご自分で転倒して……」
「ああ。報告ではそうだったな。だが子どもとはいえ竜人の子だ。滅多なことじゃなきゃ鱗に覆われた翼には傷なんてつかないんだよ!」
「それは……でも私じゃない!私は何もしてない……っ」

「本当に何も、してないのか」
氷月さまが歩を進める度に氷がピシリピシリと桃羽を侵食する。

「わ……私は悪くない!」
「で……でもっ」
「何なのよっ!私を貶める気!?」
「ひ……っ」
また……また私は何も言えないのか。

「黙れ」
「んぐっ」
え……?桃羽の声が止んだ?驚いて見れば桃羽の口が氷で覆われている。

「そうやって怒鳴り散らして氷名も咲柚も脅えさせてきたのか」
「~~~~っ」
何か言いたげな桃羽だが、その口から怒号が飛ぶとこはもうない。

「咲柚、言ってみろ」
「氷月さま」
「何があっても俺がついている。心配ない」
そうだ……氷月さまはそうやって昨夜も悪夢から守ってくれた。

「その……朝、ご飯の時。氷月さまに見えないように桃羽が氷名くんを後ろから蹴って……それで氷名くんが転んで……っ」
「何……っ」
「それからさっきも、氷名くんのほっぺを叩いて、怒鳴って無理矢理手習いごとに連れていこうとして……っ」
「何てことを。咲柚、よく言えたな」
氷月さまの温かい手と優しい笑み。そのお陰で私は……勇気を出して良かったと思える。

「氷名も痛かったろう。気が付いてやれずに済まなかった」
「……!」
氷月さまが優しく氷名くんを撫でれば、うるうると涙を震わせ氷名くんがわあぁぁんと泣き出す。

「ああ、恐かったな。大丈夫だ。これからは兄さまが氷名を守るから」

「にぃ……さま」
「氷名……っ」
氷月さまが頬を赤らめる。

「ああ、氷名」
もう一度ぎゅっと抱き締めれば、氷月さまが桃羽を見る。

「この女は屋敷から追い出せ」
いつの間にやら竜人の武人たちが集まっていた。

「このままですか?」
「悪いか?」
「いえ、問題有りません」
桃羽は口と足を凍らされたまま運び出されていく。その顔は寒さと怒りでごっちゃになっているようだ。

「咲柚」
「はい、氷月さま」
「気にすることはない。全てあの女の自業自得だ」
「は……はい」

「それから手当てもしないとな」
「私はその、大丈夫ですから」

「なりません。痕が残ったらどうするのです」
「あ……浅黄」
「さ、氷名さまは竜王さまにお任せを」

「ああ。ほっぺに腫れはないようだが、氷名に怪我がないかは俺が見よう」
「は……はい!」

「咲柚さまはこちらへ」
「う……うん!」
別室で痕がないかを浅黄に見てもらい、湿布薬を数枚貼ってもらうことになった。

氷名くんは幸い傷などもなく、暫くは。

「にいさま」
「氷名ったら甘えん坊だな」
兄さまにぎゅっと抱き締めてもらうことが何よりもの治療になっているようだ。

「氷名は当分俺の側で面倒を見ようと思う。お前さえ良ければ日中、氷名を任せられないか?」
「その……もちろんです!」
氷名くんもそれを聞いて嬉しそうに頬を赤らめている。

「そうか、良かった。何かあれば浅黄も頼っていいからな」
「は、はい!」
氷名くんの安全が確保できたのはもちろん、氷月さまに頼りにされていることがなおのこと嬉しいのだ。

※※※

あの日以来、日中は氷名くんと過ごす日が多くなった。

「次は何の絵本にしようか」
「えっとね……これ!」
「それじゃぁ読むね」
「うん!」
氷名くんとの日々は今までの辛い日々すらも癒してくれるように温かくて優しい。

氷月さまがお仕事から戻られれば3人で食事をして、それから床を一緒にする。
平和で穏やかな日々だ。

「咲柚さま、そろそろお昼寝のお時間かと」
「うん、浅黄」
うとうととしていた氷名くんはお昼寝用のお布団に入ればむにゃむにゃとうたた寝を始める。

「氷名さまは私が見ておりますから、お手洗いにでも」
「うん、ありがとう。浅黄」
こうして交替で氷名くんの面倒を見ている。

そして最近では他の侍女たちとも顔を合わせるようになった。

「咲柚さま、お手洗いですか?」
「今は氷名さまのお昼寝でしょうか。もし良ければお飲み物をお持ちしておきますね」

「ありがとう。浅黄がついていてくれているはずだから、よろしくね」
「ええ、もちろんでございます」
他の侍女たちも浅黄のように優しくて穏やかだ。桃羽のようなあからさまな侍女の方が珍しい……と言うことか。

――――そして、お手洗いの帰りのことである。

「……話し声?」
それも何だか必死なようである。

「あっちからだ」
そっと足を向けてみれば、玄関の方のようである。

「お願いいたします、竜王さま!どうか、どうかお許しください!」
玄関口では氷月さまに懇願するように頭をへこへこする人間の男性がいる。

「くどい。お前の娘は我が妻と弟に手を出したのだぞ。許されるはずもない」
もしかして桃羽の父親……!?

「ですがそれで中央から離れた僻地に左遷などあんまりです!」
「それだけのことをしたのだ。本来ならば左遷だけでも生ぬるい」
「しかしその……娘も反省しておりますし」
「反省だけで済む問題だとでも?」
「娘は竜王さまの宮に仕えるのが夢だったのです!」
「だからなんだ。それでやったことが妻や弟への暴力行為。反省していると言うのなら文句を言わず素直に都から去るがいい」
「ぐぅ……冷酷無比と言うのは噂通り」
「それが?」
氷月さまの視線はどこまでも冷たく凍てついている。

「とっととこやつを摘まみ出せ」
「はっ!」
竜人の武人たちが桃羽の父親を強引に宮の外へと引きずり出していく。

「……咲柚?」
氷月さまがこちらに気付いたようだ。

「……見ていたのか」
「その、声が聞こえたから」
「済まないな。竜王としての俺は……恐いだろ」
「そ……そんなことない!」
「咲柚……」

「氷月さまは竜王としても私の夫としても氷名くんの兄さまとしても。とっても優しくてあったかいひと」
「……それは」
氷のように凍てついた表情の裏にも熱い思いと決意を持っている。そんな素敵な方だ。

「だから私は、あなたの妻になれて良かったと思えるの」
「咲柚……ありがとうな」
氷月さまが優しく微笑む。

「今日は少し早く戻るよ。氷名にも伝えておいてくれ」
「分かりました。氷名くんもきっと喜びます」
優しい氷月さまの手に安堵する気持ちと、氷名くんが起きたら喜ぶだろうなとわくわくする気持ち。

たくさんの気持ちを抱きながら私は今日も氷月さまのお帰りを待つのだ。

そんな日々が堪らなく幸せで、大切にしたいと思う。