――――お茶の時間を過ごしていれば萌黄が氷名くんの侍女を連れてきてくれた。
「氷名さま、こちらにいらしたのですね」
「……うー……」
「そろそろ戻られませんと」
「さゆ」
氷名くんが私にぎゅっと抱き付く。
「氷名くん、侍女さんが来てくれたから」
「さゆといっしょ……」
「でも……」
どうしよう。氷月さまを見やる。
「こら、氷名。そろそろ部屋に戻る時間だろう?咲柚を拘束し過ぎたら咲柚が困ってしまうぞ」
「……」
氷名くんがそっと氷月さまから視線を外す。あれ……?そう言えば氷名くんはずっと氷月さまと会話をしていないような。
「氷名くん、明日もまた遊んであげるから。ね?」
「あしたもさゆ、あえる?」
「もちろん……!その、いいでしょうか」
氷名くんの侍女を見る。
「……」
その瞬間、侍女にギロリと睨まれた気がした。
「桃羽さん。氷名さまが望まれるのなら仰せのままに」
「……浅黄さん」
「それから、氷名さまがお怪我をされた経緯についても後程報告を」
「わ……分かりました」
桃羽は渋々頷き、氷名くんを連れて部屋に戻るようだ。
「申し訳ありません、咲柚さま。桃羽はいつもはよく侍女の務めをこなす働き者なのですが」
「そんな……浅黄が謝ることじゃ」
「そうだな。それに働き者……にしてはどうして氷名を長時間ひとりにしていた」
「その点については私から本人に注意いたしますわ」
「そうしてくれ。氷名に何かあったら……俺は」
氷月さまは氷名くんをとても大切に思っていることが伝わってくる。だけど氷名くんが氷月さまに向ける表情だけが気にかかる。
「お任せくださいませ」
浅黄が告げれば氷月さまが安心したように頷く。
「さて、そろそろ邸に戻ろう」
「は……はい。けどその、お仕事は」
「今日は少し早く済んだ」
「そう……だったのですね」
「……氷名のこと」
「はい……っ!」
「その、よろしくな」
「わ、分かりました!」
頼られて……いるのだろうか。何だか嬉しくなってしまう。こんな感覚は初めてだ。
※※※
――――翌日
約束通り、氷名くんが遊びに来てくれた。
「今日は何をしようか」
「えほん、よんで!」
すると萌黄がいくつか用意してくれる。あらかじめ子どもが遊べそうなものを用意してくれていたらしい。
「どれがいいかな」
「んーとね、えっとね」
真剣に悩んでいる姿がかわいらしい。
「これ!」
じゃーんと見せてくれる姿がさらにかわいらしい。これは氷月さまも溺愛してしまいそうだ。
「それじゃぁ、読むね」
「うん!」
絵本を読み聞かせしてあげれば、わくわくしているのがこちらにも伝わってくる。
「むかしむかしあるところに、勇敢な竜人がおりました」
これは竜人の武人が活躍する物語のようだ。武人は多くの功績を残し、竜王さまから褒美に花嫁を与えられたと言うのが序盤の話。
「竜人は悪いやからに花嫁を拐われてしまいましたが、花嫁の残した自身の異能の残滓を追って無事に花嫁を助け出すことに成功しました」
「……ざんしって、なぁに?」
「残滓は……」
異能に関わることだよね。私も初めて知ったことだが。
「異能の気配とか匂いとかそう言うものじゃないかな」
「けはい、におい?」
「うん。夕食の時に氷月さまに聞いたらもっと分かるかもしれない」
「じゃぁにいさまにきく?」
「そうだね。そうする」
その後も何冊か読んであげれば眠たくなってしまったようでうとうととしている。
「簡易布団をお敷きします」
「うん、萌黄」
「あう……さゆ」
萌黄が抱っこすれば、氷名くんがきゅっと着物を掴んでくる。
「隣にいるから大丈夫だよ」
「ん」
そう言うと安心したように隣ですよすよと眠り始める。
「言っとくけど」
その時、桃羽が口を開く。浅黄は飲み物を取りに席を外している。桃羽と直接2人で会話するのは初めてだ。
「家だけで竜王さまに選ばれただけの地味女が。調子に乗らないでよ」
「その……っ」
いきなりの悪意の籠った言葉に硬直してしまう。
「本当に……何であんたみたいなのに氷名さまが懐くのよ。私にはちっとも懐かないのに」
やはり私には分不相応だったのだろうか。しかし他に逃げ場も行く宛もない。
「……ちっ」
しかし浅黄が戻ってくる足音に気が付いたのか桃羽が元の位置に戻っていく。
「咲柚さま、お飲み物を」
「あ、ありがとう。浅黄」
震えながら湯呑みを掴もうとすれば、浅黄が湯呑みを渡すのを止める。
「少し冷えましたか」
そう言って手を握って温めてくれる。
浅黄の優しさに泣きたくなる感情。しかし氷名くんを起こしてはいけないとただただぐっと涙を堪えた。
※※※
――――その晩
いつものように氷月さまと夕食を共にする。
「今日の氷名はどうだった」
「その……っ」
ビクンと肩が震える。
一瞬桃羽からの悪意を思い出し悪寒が走るのを必死で堪える。
「絵本を読んであげたら……喜んでくれて……それから、異能の残滓と言うものが出てきたのですが」
「ああ、それか。残滓と言うのは……そうだな。仮に俺がこの湯呑みに異能で氷を浮かべたとする」
「うん」
「するとその湯呑みを見たものは、竜王の異能を見たことがあれば竜王の異能だと分かる。竜王の異能を見たことがなくてもどこか高貴な竜人の異能なのだと察知できる」
「便利なのですね」
「まぁな」
「早速今度、氷名くんにも教えてあげなきゃ……」
次、遊ぶ時が楽しみだ。
けれどあの桃羽とも会うのだ。大丈夫だろうか?しかし氷名くんが待っているのだからしっかりしないと……っ。
「……」
――――しかし、氷月さまが無言になる。
「その、いけなかった、でしょうか」
怒られてしまうだろうか。
「そんなことはない。氷名も喜ぶだろう。だが咲柚」
「は……はい」
「顔が真っ青だぞ」
「え……」
「具合が悪いのなら無理に食べることはない。浅黄!」
「はい、ただいま」
「咲柚を休ませる。布団の用意を」
「承知いたしました」
「咲柚は俺が運ぼう」
は……こぶ?
「あの……っ」
「いいから」
「えとっ」
「病人は大人しくしていろ」
「は……はい」
言われるがまま、氷月さまに横抱きにされ布団まで運ばれる。
「今日はゆっくりと休むといい」
「……分かりました」
すとんと襖が閉じる。
氷月さまを心配させてしまうだなんて、失敗してしまった。
「そう言えば日中も身体が冷えていらっしゃいましたものね。気が付かずに申し訳ありません」
「そんな、浅黄……」
「湯たんぽを持ってきましたから」
「その……この時期にわざわざ?」
「女性は身体を冷やしてはなりませんから常に用意しているのですよ」
「そ……そうなんだ」
「今夜はこれでゆっくりお休みくださいませ」
「う……うん」
湯たんぽのお陰で布団の中は温かくて、いつの間にかふわふわと夢の中に意識が落ちていく。
※※※
――――ぶるりと身体が震える
「私も……が欲しいのに!」
美世はいつだって私のものを欲しがった。
「私もその衣が欲しいのに!」
美世の方がいい着物を買ってもらっているのに。私のお気に入りの着物も持っていった。
「私もその絵本が欲しいのに!」
美世は両親に何でも買ってもらえる。私は元々家にあった古い絵本しか与えられなかったのに。
美世は持っていった。
「絵本なんてつまらない!こんなものもういらない!」
そうして絵本をビリビリに破いて捨てた。
そしてある日美世は知った。
「何であんたみたいなのに婚約者がいるわけ?」
そんなの知らない。家同士が決めたことだ。私にはどうしようもない。
「私だって婚約者が欲しいのに!ずるい!ずるい!」
美世は癇癪を起こした。手に入れられないものがあるとそうやって癇癪を起こし無理矢理持っていく。
しかし家同士の契約の婚約者だけは無理だった。
――――だから。
「謝りなさいよ!」
「どうして」
「口ごたえしないで!」
美世のビンタが頬に響く。
「ずるい!」
「……っ」
「ずるい!!」
「やめ……っ」
「ずるいずるいずるい!!ずるいずるいずるいずるいずるいずるい!!!謝れ謝れ謝れ謝れ謝れ謝れ謝れ謝れええええぇっ!!!!」
「イヤアァァァァァッ!!!」
※※※
「……ゆ、咲柚!!」
「……え……」
目の前には氷月さまの顔がある。
「……ぅして」
「夕飯時のことがあったろ。だから様子を見に来たんだ」
「……」
そのために、わざわざ……?
「魘されていたぞ。酷い汗だ」
「私……いつの間に」
「咲柚さま、ただいま着替えの用意をいたしました」
「浅黄も……?」
「咲柚さまのお加減が良くないのです。様子を見に来るのは当然ですわ。さ、身体を拭きますから」
「う……ん」
「着替えが終わるまで俺は外で待ってる」
「はい……氷月さま」
すとんと襖が閉じられれば浅黄が丁寧に身体を拭いてくれた。そして着替えをすませれば氷月さまが姿を現す。
「今夜は俺の寝所に連れていく」
「え……でも」
「その方が何かあった時、すぐに気付けるだろう」
「だけど……そんな畏れ多いことを」
「夫婦なのだから構わない。むしろその方が普通だろう?」
「……っ」
私はこの方の妻となったのだ。今更ながらその事実をハッと思い出す。
再び氷月さまの腕に揺られる。
「気分が悪くなったらすぐに言うんだ」
「は……はい」
「もうすぐだからな」
その優しい感触にどうしてこんなにも安心してしまうのだろう。
「ほら、2人でも充分に寝られる」
「は、はい」
浅黄がサッと枕を用意してくれれば、元々夫婦用だったような広さの布団だ。
「本来なら初夜からこうするべきだった」
「……それは」
私が失礼をしてしまったからではないのだろうか。
「だがお前からは血の匂いがした」
「……っ」
「竜人は嗅覚などの五感が優れている」
知らなかった。それは盲点だった。
「怪我をしているのかもしれないと布団を分けたんだ。翌日からは薬膏の匂いもした。今はもうしない……治ったのなら元々頃合いだと思った」
そうだったのか。私はなにも知らずにただ脅えるだけだったのに。
「咲柚」
「氷月さま?」
「お前は優しすぎるな」
「そうなのでしょうか」
「ああ。だから氷名も懐いたのだろう?だが俺は……」
「その……っ」
「俺の噂くらいは知っているだろう。冷酷無比だの氷漬けにするだの」
「それは……聞きました」
「だがお前は……最初に顔合わせした時に他と同じく恐がっているかと思えば必死に否定してきた」
「……」
あの時はただただ必死だったのだ。竜王さまのお怒りに触れないか。
「度胸のある女だと思った」
「……っ!」
私はただの弱虫なのに。
「浅黄に似ていると思ったよ」
「浅黄に?」
「浅黄は昔から俺の侍女を務めていたから」
「それで……」
氷月さまは浅黄には弱いのだろうか。
「ああ。度胸があって優しくて。でも……お前の方が泣き虫だな」
「うぅ……っ」
バレていた。
「だがそこも愛らしい」
「へ……っ!?」
そんなこと、初めて言われた。
「俺はこんなんだからな。多くのものたちに恐れられた」
「でも氷月さまは……優しくて」
「そう言ってくれるのか?ありがとうな」
氷月さまの手が頬を撫でる。温かくて、優しくて離れがたい。
どうしてこんなにも安心してしまうのだろう。
「だけど……なかなか上手く行かなくてな」
「それは……」
「氷名のこと」
「氷名くん?」
「俺にとっては唯一の弟だ。歳が離れているからこそ余計に愛らしくてな」
「はい、とてもかわいらしいです」
「ああ。だが……やはり俺は恐いのかなかなかしゃべってくれない」
そう言えば……。
「で……でも、氷月さまのことは気になってはいると思います」
視線を追っていれば分かる。
「それに今日読んだ絵本も……カッコいい竜人が活躍する絵本で……氷月さまみたいだなって、思って……」
「俺……?」
「は……はい。だからその……上手く関わり方が分からないだけじゃないでしょうか」
「なるほどな……だがどうすればいいのか」
「お……お仕事が早く終わった時とか、ご飯の時とか……少しでも一緒に過ごしてみてはどうでしょうか?」
「……食事の時か?」
「は……はい」
氷月さまとあまり話せなかった頃、食事だけでも一緒に取れたことは嬉しかったから。
「そうだな……明日浅黄に頼んでみるか」
「は……はい。氷名くんもきっと喜びます。私も、何か出来ることがあれば、て、手伝います」
「ありがとうな、咲柚」
氷月さまの優しい指が髪をすいてくれる。
どうしてか今なら悪夢を見ない気がするのだり
「明日が楽しみだ」
「はい……」
「おやすみ、咲柚」
「お……おやすみなさいませ、氷月さま」
その温もりが、優しい腕が私を夢の世界に誘う。今度は悪夢ではない、安心する優しい夢へ……。

