誰かが君に恋している

 本番前。

 僕は、女子から借りたドレスを着て、衣装係の子に化粧もしてもらった。顔に白粉を塗って、口紅を着ける。自分でもできるけど、黙っていた。

 化粧した自分の顔は何度か見ている。鏡を見せられても驚きはしなかった。

「壮太君、あと、これを着けて……」

 衣装係の子が僕にあるものを差し出した。

 ウィッグだ。それもロングヘア―の金色のカラーの入ったやつ。

「どうしたの、これ」

「百均で買ったの。コスプレ用のパーティグッズよ」

「百均でこんなの売ってんの?」

「うん。100円じゃなくて税込みで550円したけど…… 後でクラスのみんなから15円ずつ徴集するから」

「でも、これ……」

「してみてよ。ユリナが短髪じゃ、おかしいでしょ?」

 女子達がウィッグを被った僕を見て歓声をあげた。似合っているらしい。

 鏡を覗き込んだ。まずいと思った。百均のパーティグッズは姉が通販で買ったウィッグのような品質のよいものではなかったけど、それでもそれを着けた人を変身させ見違えさせる効果は十分果たしていた。それと髪の色も違うけど、鏡に映っている僕は、卓也に一度だけ送った画像のYURIにそっくりだった。

「ちょっと、これ……」

 ためらっている僕に、衣装係がキョトンとした顔を向けた。

「しないと駄目かな、これ……」

「どうして? なにか問題でも?」

「……」

 既にドレスを着て、化粧もしている。なのに、何故、ウィッグは着けられないのか……? 考えて困惑した。駄目だ、相手を納得させる理由が見つからない。きれいな金色の長い髪。それ自体は全然嫌じゃないのに…… 




 舞台係が舞台を設定している間、幕の隙間から卓也はじっと観客席を観察していた。

 舞台衣装を着た僕が背後から近づくと、驚いて振り返った。こちらの頭のてっぺんから爪先までをジロジロ眺め回した。ロングのウィッグに化粧した顔、ピンクのドレス。注目はやはりウィッグだろうか?

「おまえ、それ……」

 ひとしきり眺め回した後、今度は僕の横手に回り、真横から僕の顔を覗き込もうとする。

 横顔は駄目だ、あの画像と同じアングルになってしまう……

 僕は向きを変えて、彼の正面に向き直った。

「なに、どうしたの?」

 笑いを浮かべ、わざと素気なく言ってみる。

「いや、その……」

 向こうはなにか言いかけたが、それ以上なにも言わず、黙って僕の横を擦り抜けた。

 なにを言いかけたのだろう? 画像のYURIに似ている…… そう思っただろうか?

 不安に揺り動かされながら、それを鎮めようと、僕も卓也と同じようにカーテンの隙間から観客席を観察した。

 体育館の隅々まで並んだ椅子に生徒達が腰掛け、幕が上がるのを待っている。一年生も二年生もいる。三年の他のクラスの生徒達も観ている。

 三年の席に香坂もいるかもしれない。嶋田友梨佳もいるかもしれない。

 奥の方には一般席もあって、そこだけパイプ椅子が並べられている。

“YURIちゃんが観に来てくれたら、嬉しいんだけど……”

 卓也はYURIを探していたのかもしれない。この客席の中に彼女がいないかと……  

 え? 
 
 奥の一般席に姉らしき人がいた。あの外人みたいな栗色のふわっとした髪型はやはり目立つ。一目で姉じゃないかと思った。その席がぽっと浮かび上がって見える。

 卓也もあの席の女性に気づいただろうか? 僕の姉だとわかっただろうか? ここからじゃ顔まではよくわからないだろうけど…… 

 ひょっとしたら卓也はあの客席にいる人をYURIだと思い込んだかも…… これまで何度も姉をYURIじゃないかと疑ってきたのだ。今度もまた……

 でも……

 姉の隣には彼氏もいるのか? 確かめてやろうと思ったら、客席が暗くなった。

「壮太君、もう幕が開くよ。舞台の袖に引っ込んで」

 と洋子が知らせてきた。

 幕の裏では、委員長が、舞台係が設置していった小道具の点検をし終えたところだ。僕が出演者に転じてからは、委員長と洋子が中心的に舞台進行の役を負ってくれていた。

「ではこれから、三年B組の舞台劇“誰かが君にこいしている”を上演します」

 司会役の放送部のアナウンスが響いた。形ばかりの拍手がぱらぱらと沸き起こった。



  
 舞台の袖で自分の出番を待つ。台詞を言う卓也の声が聞こえている。

 卓也…… 一般席にいる姉の姿に気づいているのだろうか? あの髪の色、栗色の髪の女性に……

 卓也は頑張っていた。人が違ったみたいに声がよく出ていた。

 客席にいるかもしれないYURIのために頑張っているんだ……

 自分も負けてはいられない。気を引き締める。

 いよいよ僕の出番だ。舞台袖から舞台に上がる。ピンクのドレスと金髪のウィッグ。それらを着けた僕の顔に容赦なくスポットライトが浴びせられる。瞬間眼を瞑ってしまいそうになる。

 スポットライトの係は二人いて、その一人が氷室だ。体育館の二階の席にいて、右か左かわからないけど、どちらかの壁際から舞台に照明をあてているはずだ。

 氷室、ちょっと眩しすぎるよ。

 心の中で小言を言ったが、ここは舞台なんだ。そんなこと言っていられない。

 観客席はしんと静まっている。そこに犇めいている観客の姿がうっすらと見えてくる。真面目に僕のことを見てくれている。

 でも、最初の台詞を発した途端、どっとどよめきが起こった。

 観客は僕が舞台に上がった時には、あの女の格好をした役者が実は男だとはわからなかったのではないか。それが台詞の一声で、“おや? 女にしては声が低い”“ありゃ男じゃないか”ってことになったのではないか。

 僕が台詞を言う度、観客席からくすくす笑い声が漏れてくる。きっとこの時には、“そうだ、あいつ、男だ”“三年B組の壮太だ……”ってことになっているのだ。“気色ワリー”とか“オカマー”とか、男子生徒の揶揄する声も聞こえてくる。

 神崎だったらこんなヤジ、飛ばなかっただろう。やっぱりこの役は神崎にやってもらった方がよかったのか……

 次の台詞を言った時、また物凄い大爆笑が起きた。

「気色ワリー、気色ワリ―よ!」

 爆笑が止まらない。僕がまた台詞を言っても聞こえないだろう。僕は動揺し、足が竦み、立往生した。

 その時だ、観客席から声がした。三年の席の女子が立ち上がり、ヤジの飛んでいる席を睨みつけた。

「あなた達、黙って観なさいよ、迷惑よ!」

 その声…… 最近になってとくに耳にすることの多かったヒステリックな女の叫び…… 神崎だった。彼女がヤジを止めてくれた……

 観客先が静まると、立っていた彼女はすっと席に座った。

 一幕目が終わって、一度舞台袖に引っ込んだ。

 舞台袖にいた人達は、僕の演技になにも言わなかった。委員長も洋子も衣装係の子も。

 僕は黙って次の出番を待った。

 観客席から発せられた声を思い返している。クスクス嘲るような笑い声も。 

“気色ワリー”“オカマー”

 でも、この衣装、僕は好きだ。メイクも好きだ。この髪だって…… 悪くない。きれいだ。

 嫌いじゃない、この自分は嫌いじゃない、これはもう一人の僕自身だ……

 次のシーンの出番が来た。僕は舞台に出て行って、落ち着いて、より大きな声で、堂々と、ユリナの役の台詞を放った。