誰かが君に恋している

 帰りのショートホームルームで、洋子が挙手した。

「今日の放課後、清掃終了後に、芝居のメンバーは教室に集まって下さい」

 幾分か強い口調だった。本当に今週末の本番まで連日稽古をするつもりらしい。出たくなかった。出たってなにも気の利いたことは言えないだろうし、いないのも同じだ。

 だから、稽古はサボるつもりで、ショートホームルームが終わると直ちに教室を出て、掃除当番でもなければ部活も文化祭での役割もない、帰宅部の生徒達に紛れてそのまま家に帰ろうとした。そうしたら、委員長と洋子と他に二人の女子が追ってきて、廊下に出ていた僕の進行方向を阻んだ。皆、文化祭の芝居のメンバーだ。

「壮太君、今日も芝居の稽古があるんだけど」

 洋子が切り出した。

「出るよな、おまえ」

 委員長が僕を睨みつけた。

 女子二人は背後に回り、僕が逃げ出さないように見張っている。

 遂に強行手段に出たようだ。

「文化祭まで、あと4日しかないの」

「そうだよ、それに金曜日には通し稽古があるんだよ。今日の稽古は外せないんだよ」

 文化祭前日の金曜日は、丸一日授業が免除され、生徒達は文化祭の準備にかかりきりになる。この日、体育館のステージが、発表チームごとに時間を区切って開放される。各発表チームは決められた時間の中でステージを使用しての、本番さながらの稽古を行える。

「もうこんな時期なんだし、別に僕がいなくても…… 僕は脚本担当で、舞台に立つわけじゃないから…… いてもいなくても同じだし……」

 自分の中では舞台監督の役は引き受けたつもりはなかった。

「でも、壮太君は役者の台詞、全部覚えているし、誰かが台詞を間違えたら、すぐ指摘してくれたじゃないの。そういう役目の人がいてくれた方がいいの」

「そうよ、衣装係の私達だって出るのよ」と、僕の背後にいる女子が言った。

「そうだよ。舞台係のみんなだって出る。全員で色々打合せたいことだってあるし」

「あなたがサボッているとね、他の人達に伝染するのよ。なら、自分もサボろうっていう人が出てくるの。それで稽古が進んでいないの。昨日だってそれで……」

「別にそれでいいんじゃない。ぶっつけ本番でも。たかが文化祭なんだし」

「たかがって…… どういう意味だよ?」

 委員長が僕の学生服の胸倉を掴んだ。優等生の委員長が、血の気が多く喧嘩っ早い不良グループの生徒のような言動を見せた。彼の固く握りしめて震わせている右腕の拳が、今にも自分の頬に飛んでくるのではないかと想像した。別に殴られても構わないと思った。それで窮屈な集団生活から解放されるのなら、その方がいい。僕は顔を背けて殴りやすいようにわざと頬を向けてやった。

 10秒待ったけれど、結局、委員長の拳は飛んでこない。彼は僕の胸倉を掴んでいた手を放した。なんだ、つまらない。優等生が校内暴力に走るところを見たかったのに。

「あなたが出ないと、主役の子が稽古に出てくれないの。それで、昨日も稽古ができなかったの」

 え……? 

 洋子の言葉は委員長に胸倉を掴まれるよりも威力があった。

 主役の子が……

 後ろを振り返って卓也を見た。卓也も廊下に出ていて、僕が洋子や委員長達に囲まれているのを見守っていた。

 どういうことか? 僕が出ないと自分も稽古に出ない…… 今日卓也と話をした。でも、その時にはそんな話、出てこなかった。成子坂46の話しかしていない…… 

「あなたはね、もう発表グループのとりまとめ役なのよ。一番上にいる人がそんなじゃ、下にいる人達はついていかないわ」

 不安そうに卓也が僕を見守っている。

 再度、眼が合うと、こちらに歩み寄ってきた。

「なあ、壮太、出てくれよ。おまえがいないと、俺達……」

 まるで懇願するように言う。

「頼むから……」

 僕は頷いた。

「わかった。出るよ」 

「本当か?」

 彼はいつものあどけない表情をして喜んでくれた。

「よかった……」 

 女子達の間からも溜息が漏れた。

「神崎さん、聞いた? 今日は稽古、やるから」

 廊下には神崎もいて、こちらの様子を見守っていた。

「神崎さん、あなたも出るわよね。主役のあなたがいないんじゃ、松崎君も稽古にならないんだから」

 主役はもう一人いる。僕はそれを忘れていた。

 黙ってこちらの話を聞いていた神崎が叫んだ。

「嫌よ、私は出ないわ!」

「え? なに言ってんの?」

「なによ、昨日は勝手にサボっておいて、今更!」

 凄まじい怒りの形相で僕を睨みつけた。眼に恨みが籠っていた。こちらが稽古をサボったことで自分もボイコットする。理由は僕に対する憤懣からか……

「私、この役、気に入っていないの。なによ、この役…… 最後にはキスシーンみたいなのもあるし……」

 校庭で練習していた時に通りがかった隣のクラスの男子生徒達に冷やかされた。彼女はそれを気にしているのか。卓也との恋愛シーンのある芝居に出れば、またそれを他の生徒達から冷やかされたり、心ない噂を立てられるかもしれないから……

「そんな、今更……」

「じゃあ、本番、どうするの?」

「今からでも私の役は他の人に代えてよ」

「おまえ、何言っているんだよ?」

 一歩退いていた氷室が口出しした。

「そりゃあ、勝手に稽古を休んだ壮太と、そう仕向けた俺は問題だけどさ、だからといっておまえが……」

「なによ、私が悪いっていうの?」

 僕に対して向けられたのと同様な鋭い怒りの声が、すぐさま氷室に対しても向けられた。この時、僕は彼女の抱いている憤懣の更なる理由を悟った。氷室を発表のチームに誘ったのは彼女だ。それも最初は自分の配役の相手役に仕立てようとして……

「あなた、ずいぶんその人の肩、持つのね?」

「どういう意味だよ?」

「昨日の昼間、校庭ではたいそう仲睦まじいようでしたけど…… 放課後はゲームセンターで遊んでいたんですってね。この人と二人だけで……」

 彼女は顔を振り向けて僕を示した。

「壮太と仲良くしちゃ悪いのかよ?」

「相当よい雰囲気だったみたいだって……もう学校じゅうの話題になっているわ」

 昨日のゲームセンターでは、何人かセーラー服を着た女子生徒の姿も見たような気がする。女子達の間で常々注目の的となっている氷室だ。彼の言動は一日のうちに学校じゅうに広まってしまうらしかった。

「なんでも公園のベンチに二人っきりでいて、男同士でキスまでしたんですってね」

 周りにいた級友達がざわついた。

 なにか言い返そうとしていた氷室が一瞬言葉を詰まらせた。あんなに狼狽えた氷室を見るのは初めてだ。

「わ、悪いかよ。別にふざけて額に一寸触れただけだろ?」

「私は嫌いだわ。同性愛とか、そういうの。どうかしている。どう見たって尋常じゃないわ!」

 僕は、おそるおそる卓也に視線を向けた。今、彼が自分をどういう目で見ているのか気になった。眼が合った。黙って口を噤んでいる。驚いている。なにか感慨に浸っているようでもあったけど、なにを感じているのかは不明だ。

 神崎の憤懣のきっかけともなっている彼女の氷室に対する想い。氷室はそれに思いを馳せないどころか、ますます彼女の怒りに火を点けた。

「おまえの好みなんて聞いてねえよ。そんなの個人の勝手だろう? その人がそれで楽しかったら、それでいいんだよ」

 同性愛などと言われて、氷室はそれを否定しなかった。卓也が僕をどう見ているのか? 僕はますます不安に感じた。

 神崎は氷室を睨みつけた後、力を込めて顔を背けると、僕達の脇を通り過ぎようとした。手にはしっかり鞄を掴んでいる。このまま帰るつもりだ。

「待ってよ、神崎さん」

 僕は反射的に彼女を呼び止めた。

「ごめん。昨日は勝手に稽古サボッて…… 僕が言える筋合いじゃないけど、今日は稽古に出て……」

 彼女は立ち止まった。

「御詫びに僕にできることはなんでもするから……」

 彼女は振り返り、面白そうな目で僕の顔を眺めた。

「なら、あなたがやりなさいよ」

「え?」

「今、なんでもするって言ったでしょう? あなたがやりなさいよ、ユリナの役、あなたならできるんでしょう?」

「……」

「なんでもあなたは出演者の台詞を全部覚えているっていう話じゃない。振りつけだって頭の中にイメージできている。なら、できるはずよ」

 そう言って彼女は再び背中を向けた。

「ちょっと、神崎さん……」

 洋子が呼んだが、もう彼女の後姿は振り返ることはなかった。

 清掃が終わったばかりの教室に、神崎なしでメンバーが集まった。

 本当はすぐに稽古に入りたいところなのだろうが、主役がいないのでは始まらなかった。委員長が中心になって、皆が神妙な顔を突き合わせて、今、生じている問題を話し合った。

「どうする? ユリナの役……」

「この中でユリナの台詞、これから覚えられる奴、いるか?」

「ユリナの役は髪が長くないといけないんだろう?」

「まあ、この際、そういう細かいことはいいんじゃないの?」

「壮太、おまえがやれよ」と、氷室が僕の方を向いて言った。「神崎が言ったとおり、おまえはユリナの台詞、全部覚えているんだろう? 神崎がつむじを曲げた原因はおまえと俺なんだけど、俺はなにもできねえから、おまえが俺の分も責任取れよ」

 なんだ、その言い分…… 自分にも責任あるって認めているのに、そんなのエラそうに言う?

「ちょっと、ユリナは女の子よ。壮太君じゃ無理があるんじゃ……」と、洋子が口を挟んだ。

「大丈夫。あのイベント用のドレスを着せれば、壮太なら女の子にしか見えないよ。なあ、衣装係、ユリナにはあのピンクのドレスを着せるんだよな」

 氷室は衣装係の女子に言った。

「うん。用意してあるよ」

 ユリナの役の衣装として、ハロウィンなどのイベント向けの派手なドレスを用意してある。衣装係は、芝居で使いたいからと、それを持っているクラスの生徒から調達しているとのことだった。

「壮太ならさ、おまえらよりもきれいなんじゃないか」と、氷室は女子達の顔を見まわして言った。

 女子達はふくれっ面をして不満を言い立てた。

 いつのまにか、話し合いの場は、委員長ではなく、氷室が仕切っている。彼は今度は卓也の方を向いて言った。

「いいよな? 松崎」

 卓也は黙って頷いた。僕とは眼を合わさなかった。まだなにかを思いやるような虚ろな表情をしていた。



 
 それで急遽、僕がユリナの役をやることになった。

「じゃあ、ユリナがメインの二幕目のシーンからやろうぜ」

 教室の机を後ろにずらし、スペースを開ける。

 稽古になっても、照明係の氷室が仕切っている。委員長と洋子も一緒になって指揮を執ってはくれていたけど。

 東京へ引っ越していった幼馴染のユリナが、10年後に故郷の街に戻って来て、高校生のタクヤと再会するシーンだ。

“どうしたの? タクヤ君でしょう? 声をかけたのに、なんで行っちゃうの? 私、昔、あなたの家の隣に住んでいたユリナよ。よく一緒に遊んだのに、私のこと、忘れちゃったの?”

 なんだろう? 台詞がすらすら僕の唇を突いて出た。この物語、はっきり自分の頭の中にあるからか? 僕は物語の中のユリナになりきっていた。

”わ、忘れてなんかいないよ、おまえはもう人気者なんだから、別に俺なんかにかまわなくたって……“

 卓也の台詞も淀みなく滑らかだ。よほど練習したに違いない。その成果が表れ出ていた。

”なあに、それ?”

”おまえはいいよな。そんなケバイ服着て、近所じゃ注目の的になっているよ”

”ケバイだなんてヒドイ。こんなの東京じゃ普通よ”

”でもさ、向こうじゃ相当モテたんだろう? 大勢フアンがいてさ”

”なに、その言い方…… フアンなんかいないよ”

”でもさ、SNSじゃ、いっぱい“いいね”がついているじゃないか。フォロワーの数だって飛びぬけているしさ”

”あっ、見てくれていたんだ、私のSNS”

”その服もさ、SNSにアップしていた写真のやつだろう”

”そうだけど”

”本当、いいよな。俺がSNSにあげた自撮り画像じゃ、あんなに“いいね”なんかつかないからな。羨ましいよ”

”全然よくないよ。私、本当に好かれたい人からは好かれていないんだから”

”そうなのか? そんな奴いるのか?”

”いるよ、その人のこと、ずっと追い続けている…… でも、その人は私のこの気持ち、わかってくれていない……”

”誰だよ、その本当に好かれたい奴って……”

”それは……”

 僕と卓也はじっと見つめ合った。彼の顔を間近で見つめて、胸がドキドキして張り裂けそうになった。

 やばっ。次の台詞が出てきそうにない。僕は動揺した。

 その時だった。僕達の演技を見守っていた氷室が威勢のよい声をあげた。

「いいじゃん、熱、籠っているよ」

「うん、いいわ」

 と、洋子も同意してくれた。

「俺、見入っちゃったよ」

 と、委員長が言い、周りにいた他の生徒達も喝采してくれた。