誰かが君に恋している

「あーっ、里奈ちゃん、かわいいーっ」

 仲のよい男同士で三人集まっている教室の前の方の席からやかましすぎる声が響く。三人が集まると決まってアイドル歌手の話。過ぎた失恋の痛手を感じさせない級友の今や屈託ない天真爛漫な声は、一年の時にその失恋現場を目撃した僕には快くあったが。

「里奈なんかどこがいいんだよ、絶対、千夏の方がいいよ」

「いや、俺は真由が好きだ、成子坂46の中ではダントツだよ」

 他の級友二人の反論に屈しまいと、卓也はますます声を高める。

「いや、ぜーったいに里奈ちゃん。里奈ちゃん、かわいいーっ!」

「だから、里奈なんてどこがいいんだよ」

「里奈なんか二軍じゃないか。真由と千夏はグループ結成当時から一軍だよ」

 アイドルグループの成子坂46は、メンバー46人の芸能集団、内部構成は一軍と二軍に別れている。TVの歌番組で、前列で歌を披露するのが一軍、二軍のメンバーは後方で、主にバックコーラスと一軍の歌に合わせての踊りを担当する。狭いステージだと、歌も踊りもすべて一軍に任せ、二軍のメンバーは割愛されることもある。ファンの人気投票でメンバーが順位づけられ、一軍と二軍のメンバーが入れ替わったり、二軍からも落選したメンバーが新人に替えられたりする。

「里奈っていうのはさあ、二軍の46番目だろう。最近メンバー入りしたばっかりだよ。こんなの、またすぐにいなくなるよ」

「そうだよ、この子つてなんか地味じゃん。暗そうだし。顔も平凡だよ。この程度の子は、探せばそこらにいるんじゃないの?」

 級友二人は結託していた。二人がイチ推しの千夏も真由も一軍で、歌番組ではソロのパートを担当し、知名度も人気度も高いらしい(僕はよく知らないけど)。かたや卓也が推している里奈は、ステージの後方の端っこにいるだけ、成子坂46のフアンでも知っている人は少ないのではないか(と連中は話していた)。なんで卓也がそんな地味で目立たない里奈を推すのか、三人の会話をじっと後ろで聞いていた僕は不思議に思った。

「おい、壮太、おまえはさあ、成子坂46では誰のフアン?」

 第三者の公平な意見を知りたいのか、三人は自分達の後ろの席にいた僕に質問した。

「え? ああ、それは……」と、僕は口ごもった。

 三人がヒアリングの対象に僕を選んだのは、僕が近くにいたのと、偶然連中と眼が合ってしまったからだ。ゲイの意見なんてあまり参考にならないのに。僕は女性アイドルグループに他の思春期の男子が抱くような性的感情を持つことはないし、千夏も真由もよく知らないし、二軍の46番目の里奈に至っては初耳だった。それでもただ卓也の味方をしてやりたくて、不安そうにこちらの返答を待っている彼を意識しながら、知ったかぶりして答えた。

「そうだなあ、僕も、里奈かなあ……」

「ええっ、おまえ、里奈なの?」

 級友の二人は眼を丸くした。

「なんでおまえも里奈なんだよ?」

「里奈のどこがいいんだよ?」

「それは……」と言い淀んでから、僕はあくまでも知ったかぶりを崩さずに二人に説明した。「人はさあ、皆、それぞれなんだよ。彼女には彼女の良さがある。そこに惹かれる人はいるんだよ。ただ数が限られているだけでさあ……」

 そんなこと声にして言わなくたって、たとえ46人の中の端っこにいるだけだとしても、しっかり芸能歌手としてプロデビューを果たしている時点で、彼女がそれ相応の人達からの支持を得ているのは証明されているわけだけれど。

「そうだよ、そうだよなあ!」

 僕の発言に卓也が感動して、野生動物が吠えるように叫び、

「どうだ、わかったか、おまえら!」

 と、勝ち誇るように級友二人を笑い飛ばした。

「チッ!」と二人はつまらなさそうに舌打ちし、「なんだよ!」とぼやき、恨みがましそうに僕を睨んだ。

 休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。

 卓也は自分の席に戻る前に僕の席に来て、

「ありがとう。俺達は親友だ」

 と、タブレットに載せていた僕の片手を無理やり取って、自分の大きくて暖かい両の掌で包み込んだ。

 ドキッとした。同じクラスとはいえ僕と卓也とはあまり接点がなかった。あの失恋現場を目撃して以来、自分は敬遠されているんじゃないかと容易に彼に近づけなかった。でも、それは単なるこちらの思い過ごしのようで、これまで一度もそのことで彼からなにかを言われたことはなかったし、親しくはないけれど邪険に扱われたりもなかった。僕よりも当人自身が例の事件を忘れてしまっているかのような印象だった。

 ともあれ、ここで僕と彼には接点ができた。ともに成子坂46の里奈のフアンだということが、二人の距離を一気に詰めるきっかけになったのだ。



 
「ねえ、今の子ってさあ、里奈に似てない?」

 次の授業は体育だった。ジャージに着替えてグラウンドに移動する際、卓也が僕の背後に寄って来て耳打ちした。玄関で擦れ違った一年生の女子の後ろ姿を振り返り、僕に眼で示した。 

「うん……そうだね……」

 ぴんとこなかったので、僕はいい加減に相槌を打った。擦れ違った一年生の顔もよく見ていなかったし。卓也からは彼のスマホに保存されている里奈のお宝画像を何度も見せられていた。メアドを交換し合った後では僕のアドレスにもそのお宝画像が送られてきたし、僕も卓也が好きなのはこんな子なのかと、そうした意味で興味を持って吟味したりもしたから、里奈の顔はよく覚えていたつもりだったけど。

「ね、クリソツだったろう? 性格も同じかなあ。きっとおしとやかで、清楚で、控えめで……」

「かもね」

「俺、今の子にコクってみようかなあ」

「え? マジ……」

 相手は一年生で、よく知りもしない相手だろうに。卓也は本当に女の子が好きなのだ。最初からわかっていたことだけど、自分の出番なんて全然なさそう。この現実は受け入れるしかない。なら、覚悟した。彼のこと、応援したい……

「じゃあ、声をかけてみれば……」

「嘘、冗談だよ、冗談……」と、卓也は子供のように目尻を下げて豪快に笑った。「そんなのできるわけないじゃん、俺なんかじゃあ……」

 そうなのだ、卓也は何をするにも自信なさげで、コンプレックスの塊みたいな雰囲気を醸し出している。

 自分の顔を自分で指さして、

「マスクがこんなんじゃさ」

 なんて言ったりする。

「そんなことないよ」

 と、否定しても、

「いいよ、無理しなくても」

 と、否定意見を否定してくる。

 表に出さないようにしていても、裏ではやはりあの失恋事件が尾を引いているのか。でも、本人はわかっていないだろうが、そこが彼の持ち味なのだけど。人にプレッシャーを与えない、ほんわかした気分にさせてくれる人の良さが。だらんと下がった肩をパシパシ叩いて、“元気出しなよ”って励ましたくなるような……

「俺の顔なんて誰も好きじゃないんだからさ」

“僕は好きだ……”

 って言ってやりたかったけど、ここは自制して、

「だから、そんなことは……」

「あるよ、SNSに自分の画像貼っても、“いいね”なんて付いた試しがないし」

 ちなみにメアドだけでなく、僕は卓也のSNSまで教えてもらった。そこには彼のプライベートの画像……花壇の前でポーズを取っているのとか、テーマパークへ行った時のとか、有名店でラーメンをパクついている画像とかが貼り出されていて、どれも僕のお宝画像になった。彼がメールに添付して送ってきた里奈の画像なんかよりもずっと……

 教室の後ろの方で、氷室が他のめだった級友達……クラス委員とか、クラスでトップの秀才とか、運動部の花形とかと話している。そういう氷室も僕達のクラスで随一の美男子で、おまけにバスケ部にでもいそうなスラっとした長身。

 卓也はそんな華やかな雰囲気のする一画を振り返り、

「ああ、俺も氷室みたいなイケメンだったらなあ……」

 氷室ねえ…… たしかにはっとするようなイケメンだけど…… 

 氷室をじっと見ていると、なんだか眼が合いそうな気がしたので慌てて視線を逸らした。

「贅沢言わない。あれはちょっとよすぎだよ」

「なら、せめて、おまえぐらいだったらなあ」

「え? 僕……?」

 僕は躊躇った。自分も他人から“可愛い”ぐらいは言われたことはあったけど(どこまで本心で言っているのかは不明だけど)、まさか、卓也もそう思ってくれている? いや、余計な気は起こさない方がいい。ストレートが同性を可愛いと思うのは、単に対象を観賞用として評価しての結果だ、犬や猫や金魚を可愛いと思うのと同じ。恋愛感情を含んでのものじゃない。

「何言ってんの? 卓也には卓也の良さがあるよ」

 本当は“卓也の方が断然可愛いよ(勿論、犬や猫と同じではなく)”って言ってやりたかったけど。トレンディドラマの主役を飾るような男優が好みの人から見たらそうでないかもしれないけど、自分にとっては十分イケメン、織田裕二や反町隆史なんかにも負けず劣らずなんだって……

「その人にしかない持ち味っていうか…… おっとりしていて、一緒にいて癒されるし……」

「本当か?」

 満面の笑みを浮べた顔を前に突き出して聞いてくる。単純だ、裏表のないその反応ぶりが快い。

「本当だよ」と、僕もつい嬉しくなって反射的に笑みを返す。「僕、卓也みたいな人、好きだよ……」

「なに……?」

 卓也が大きく眼を見開いた。

「あ…… 僕が女だったら、断然、卓也みたいなタイプに惹かれるよ」

「そっかあ、ありがとう」

 これって半分コクッたつもりだったんだけど。相手はこれっぽっちもそう受け止めてくれてはいなさそう。

「じゃあ、俺、彼女に声かけてみようかな。そのうち、チャンスがあればだけど……」

 と、人の気も知らないでまた満面の笑みを、今度は顔からはみ出しそうなくらいの笑みを浮べた。



   
「駄目だったよ……」

 その翌日、昼休みが終わったところで卓也が僕の席に来てボソッと告げた。

 え? 下級生に声をかけるってこと? なんか早くない? まるで四コマ漫画みたいな軽快なテンポ。卓也ってそんな積極的なの?

「コクッたの?」

「まさか……」と、卓也は笑った。「あの子にはさあ、彼氏いるよ。昼休みはどこにいるのかなって探したらさ、あの子、校庭にいた。芝生の上でスポーツマンっぽい男子と二人っきりで話していたから……」

「話していただけなんでしょう? 二人っきりっていったって、学校じゃ男女が接する機会なんてザラにあるし、それだけでつきあっているかどうかなんてわからないんじゃないの?」

「わかるよ。相手の男はすごくカッコよかったもの」

 拳を握りしめ、声に力を込める。

「それだけで?」

「ああ、ありゃ、できてる。普通の関係じゃなかった……」

 凄い自信を漲らせている。普段は頼りなさそうなのに。授業中にあてられて答える時と声の張りが全然違う。

「彼女もやっぱりイケメンが好きなんだよ!」

「そ、そう……」

「俺じゃあ、駄目だよ、出る幕ないよ。氷室みたいに生まれてこなきゃ、駄目なんだよ。もう俺の人生、お先真っ暗だよ!」

「そ、そんなことないよ……」

「よしてくれよ、気休めは…… ああ、俺も氷室みたいに……!」

「シッ、声が高いよ」

 教室の一番後ろにいる氷室が首を伸ばしてこっちに注目しているのに気づいたので、僕は慌てて小声で窘めた。

 なんだろう。氷室ってやたら僕と眼が合う。こちらの思い過ごしかもしれないけど。

「気休めじゃないよ。自分が気づいていないだけだよ。卓也には卓也のよさがある。卓也のことがいいっていう人もいるんだから……」

「それって、単に人がいいっていうだけだろう? あっ、あの人、いい人ねって、ネットで“いいね”を押すぐらいの軽い感覚だけで、恋愛の対象にしてもらえないんじゃ……」

 ネットで“いいね”を押したのは僕だ。昨日卓也が、SNSに画像貼っても“いいね”が付いた試しはないって言ったので、昨夜自宅のPCで彼のSNSにログインして“いいね”を押しまくった。勿論恋愛の対象として……

「そんなのわからないよ」と、僕は躍起になって反論した。「誰がどういうつもりで“いいね”を押したのかなんてわからない。“いいね”を押した人の中には、きっと卓也のことが好きで、本当に好きで、卓也じゃなきゃ嫌だっていう人もいるんだよ」

 つい興奮してしまった。声も大きかったかもしれない。顔も熱かった。周りにいた級友達がちらちらこちらを見た。一番後ろの席の氷室も相変わらず麒麟のように首を伸ばしている(奴は長身だから、一番後ろでも目立っていた)。それでますます顔が熱くなってきた。やばっ、赤くなっているかも。卓也がぽかんとして僕を見ている。

「どこにいるんだよ? そんな奴……」

「いるよ……」

「だから、どこに?」

“ここに……”

 って言ってやりたくなるのを、唇を噛みしめてこらえた。

 五時限目のチャイムが鳴り、卓也はむっとして自分の席に戻っていった。

 氷室がまだ首を伸ばしているのが眼についた。