誰かが君に恋している

 秋晴れのよい天気だったし、僕と卓也は校庭の芝生の上でパンを食べた。食べ終わってもすぐに戻りたくなくて、暫くそのままでいた。

 教室に戻ったらまた香坂と会うかもしれない。奴は隣のクラスだけど、四時限目の話の続きをしに来るかもしれない。今頃は卓也が戻るのを待って、教室の前の廊下で待機しているかもしれない、と不安になった。

 ずっと卓也と二人でいたい。午後の授業が始まってもこうして…… ここは正面玄関から遠く離れた校庭の端っこだし、今度の文化祭の芝居の稽古で使えると目論んでいた場所だし、通りかかる生徒の数もうんと少ないし…… ここなら神に祈らなくても平気だ。香坂には見つからないだろう……

 そう思いきや、神はまるで僕を弄んでいるかのようだ。

「あれえ?」

 ぞっとするような聞き慣れた声。香坂だ。奴が近くを通りかかった。

「なあんだ、こんな所にいたのか」

 立ち止まって声をかけてきた。それはこっちの台詞だ。なんだ、そっちこそ、こんな所にまで現れて……

 四時間目の話の続きをしようっていうのか、早速学生服の内ポケットからスマホを取り出した。パネルを操作して表示画面を確認してから、自分も芝生の上に上がり、こちらに歩み寄って来る。手の中のスマホを大事そうに抱えて……

 やばい、やばい、やばい…… そいつでなにを見せるつもりだ? 僕が送ったメールか? メールの“YURI”って文字のついたおかしなアドレスか? でも、“おまえ、こっちに来るな”なんて、そんな非常識なことは言えない……

 香坂がスマホの画面をこちらに向けた。

「さっき見せるつもりだったんだけど……」

 万事休す。絶体絶命。僕は観念した。

「里奈の新しい画像、手に入ったんだ」

 え?

 拍子抜けだ。差し向けられたスマホの画面を横から覗き見ると、髪の長い女性のアイドルの画像が表示されていた。

 早速卓也が飛びついた。僕を撥ね退け、目を皿のようにして香坂からスマホを奪い取った。

「どこで拾ったんだ、この画像!?」

「東京のショッピングモールでショウがあったんだって。東京にいる従弟が撮影して、送ってくれたんだ」

「欲しい、この画像、今すぐくれ!」

「じゃあ、メールで送るよ」

 嬉しそうな卓也の顔を見て、自然と僕の顔も綻んだ。香坂はそれに気づいて、

「壮太にも送るよ。壮太には古いアドレスに送るけど、いい?」

「あ……」

 僕が弁明するより先に、卓也が反応を示した。

「古いアドレス? そんなのあんの?」 

「なんかね、使っていない古いアドレスがあるんだって。昨夜は間違えてそのアドレスで俺にメールを送って来たんだよね?」

「……」

「それでさ、その古いアドレスっていうのがさ……」

「い、いらない!」と、僕は叫んだ。

 香坂が口を噤み、卓也と揃って奇妙そうな顔を向けてきた。

「いいよ、僕は…… その画像、いらない」

「なんで……?」

「里奈の画像はもうたくさん持っているから。似たような画像が何枚もあるし……」

「でも、これは、俺の従弟がナマ撮りしたやつだから…… 他のとは違うよ」

「そうだよ、ネットで出回っているようなのじゃないし、こんなの持っているのは俺達だけで貴重だよ」

 二人とも里奈のことになると熱心になる。僕がその画像をどうしたいかなんて、二人には直接関係ないことなのに。

「でも、面倒でしょう? メール送るの、手間がかかるし……」

 言ってみたものの効果なく、香坂は平然として、

「別に。送り先にアドレスを二つ指定すればいいだけだもの。一度の操作で二人に送れるんだから、全然手間じゃないよ」

 ということは、送られてきたメールの詳細情報には、送信先の欄に卓也のアドレスと僕のアドレスが二つ並んで表示されることになる。僕のアドレスは“YURI”で始まるアドレスだ。卓也がそれを眼にしたら……

「でも、いい。いらない」と、僕は頑として撥ねつけた。「僕、もう里奈は好きじゃないから……」

「なに……!?」

 途端、卓也が中庭によく響き渡る大声を放ち、古い映画の大魔神のような形相で僕を睨んだ。

「おまえ、里奈のフアン、やめるのか?」

 睨みつけられて怖かったけど、頷いた。仕方ない。ネカマがバレるよりはマシだ。

「里奈なんて最初から好きじゃなかった。あんなチマチマした女のアイドルグループの歌なんて、興味ないもの!」

「なんだよ、もう時期、成子坂46のフアン投票があるっていうのに……」

 背後で香坂が不満そうな声をたてた。

「おまえ、今度の投票で里奈に入れない気かよ?」

 依然として卓也が僕を威嚇してくるが、屈さない。頑として頷いた。

「ああ、やっぱりね……」って、香坂が気になる言い方をした。「前から変だと思ってたんだ。壮太が成子坂のフアンだなんてさ」

 香坂め、僕の中学時代のことを言っているのか?

“あいつには好きな女の子がいない、好きなアイドル歌手もいない、きっと女には興味ないんだ”

 学校でそう噂されていた時代のことを……

「じゃあ、なんで俺に里奈のファンだなんて言ったんだよ?」

「それは……」

 返答に詰まった。おまえに近づきたかったからだ…… 答ははっきりしているのに、それは決して言えない答だ。

「会話に加わりたかっただけだよ。自分もフアンのフリをすれば、仲間に入れてもらえるかと思って……」

 卓也は不審そうに眉をしかめた。大魔神のような形相は若干緩んだけど、向けられた嫌悪感は消えていない。

「とにかく、その画像、僕には送らなくていいからね」

 僕は振り返って香坂に言い、芝生から立ち去ろうとした。

「おい、待てよ、おまえ」

 卓也が呼び止めたが、無視した。



 
 あの後、二人はどんな話をしたのだろう?

 教室に戻ってから、一人自分の席で僕はついあれこれと想像してしまった。そんなこと考えたって仕方ないとわかっていてても。

「変だと思ってたんだ。おまえが成子坂のフアンだなんてさ」

 あの時、香坂はそう言ったが、“なあ、あれって、どういう意味なんだよ?”って、あの後、卓也に問い正されたりしていないだろうか? 

“だってよ、あいつ、中学の時はさあ……”

 中二の時、修学旅行で泊まった旅館で、同室の者達は女の子の話で盛り上がった。皆で好きな女の子の名前を言い合ったりした。

「壮太、おまえはどんなタイプが好みなんだよ?」

「僕は……」

 聞かれても僕だけが好きな子の名前を言うことができなかった。好きな異性のアイドル歌手や女優の名前すら……

 今思えばこの時、誰でもいいから誰か女の名前を言えばよかったのかもしれない。成子坂46はまだデビューしていなかったけど、当時人気だった誰かアイドルの名前をあげてその子が好きなんだって他の者達に合せていれば…… でも、しなかった。学校にいる子の名前をあげたら、その子に迷惑がかかるだろうし、第一に自分を偽るのが嫌だった。好きな子なんていない。そう言って、口を噤んだ。

 僕の態度は、多少の勇気を奮って自分の好きな相手を告白した級友達の反感を買った。

「おまえ、どっかおかしいんじゃないのか?」

 それからだ、僕が女に関心がない、ひょっとしてアレじゃないかって噂されたのは。

 たいして親しくもない級友が二人、事前の約束もなく突然僕の家へ来たことがある。来訪者達は僕の部屋の四方の壁を見まわし、

「おまえの部屋ってさ、全然男の部屋って感じしないよな」「そうだよな、女の子のポスターって、一枚も貼られていないよな」「男ばっかりで、なんか気色悪いよな」

 その時、壁に貼ってあったのは、クイーンとエルトン・ジョンのポスターだった。

「おまえの部屋にはさ、なんかビデオとか写真集とかないのかよ」

「ビデオって、なんの?」

「決まっているじゃん」

 級友は二人で二ヤ二ヤして顔を見合わせている。僕にはなんのことかわからない。そのうちなにかを物色するように本棚やCDケースを漁りはじめた。勝手に机の引き出しを開け、収納の中まで覗き見た。

「なにすんだよ?」

「いいだろう? 見たって……」

 めあての物が見つからなかったのか、つまらなさそうにこうぼやいた。

「本当、なんにもないよな、ここ」

「男の部屋じゃないみたいだよな」

 翌日学校で二人は僕の部屋の様子を言い触らし、そんなことも僕に関する噂に尾ひれをつけた。

 きっと香坂はそんな一連の昔話を卓也に言って聞かせたんじゃないか。今だって僕の部屋の壁にはクイーンとエルトン・ジョンしか貼られていない。卓也が家に来た時もそのままにしておいたし。

“たしかに、あいつの部屋って、そうだよな……”

 卓也は、僕の部屋の壁を思い出し、そう頷くんじゃないか。

“だろう? やっぱ、あいつってさあ……”

 そこへ香坂がニタニタ笑いながら卓也に吹き込むのだ。

“コレなんだよ……”

 自分の顔の片頬にぴんと指を伸ばした片手を垂直に添え、科を作る真似をする。

 “コレ”……

 幼い頃にTVで何度か見たことのある、お笑い芸人が男性同性愛者を示唆する時のポーズ。

 中学の時は香坂からは直接なにかされたり、言われたりっていうことはなかったけど。でも、あいつだって同じだろう。男しか愛せない男になんて、他の奴らと同じ、平均的な態度を取るだろう。すなわち“コレ”だ。それらしき相手を示す際には、自分の片頬に指を伸ばした片手を垂直に添え、思いきり科を作り、“コレ”…… 

 ああ、卓也はそれを信じるだろうか……

 5時間目のチャイムがなる5分前に、卓也が教室に戻って来た。反射的に僕は顔を背けた。眼を合わせるのが怖かった。向こうも僕のことを敬遠しているようだ。自分の席に着いている彼の背中を何度かそっと確認したが、一度もこちらを振り向くことはなかった。

「あれ? 壮太君、芝居の稽古は?」

 放課後、玄関にいたところを同じクラスの女子達に見つかった。僕は鞄を持っていたし、靴箱から下履きを取り出そうとしていた。女子達は四人いて、うち二人が文化祭の発表のメンバーだった。

「今日は稽古のある日でしょう?」

 目ざとく僕を見つけ、声をかけてきたのは洋子だった。

「うん…… 今日はちょっと……」

「出ないの?」

「うん…… 僕は台本担当だから…… 芝居には出ないし、僕なしでも別に稽古はできるだろうし……」

 周りの生徒達の視線が気になる。周りにいるのは関係ない他所のクラスの生徒達ばかりだし、別に自分が彼らに見咎められているわけではないのだけど。

「でも、壮太君は兼舞台監督でしょう? 私も委員長も芝居には出ないけど、稽古には立ち会うのよ。役についている人達が演じるのを観て、なにかアドバイスしたり意見したりする役目の人が必要でしょう?」

「そうだよ、あたしだって稽古には立ち会うよ」

 一緒にいた手芸部に入っている女子生徒も、僕の傍に来て言った。

「あたしは衣装係だけど、稽古を観て、この役の人にはこういう衣装を着せようって、頭の中でイメージしているんだから……」

 でも、僕には無理だ…… 卓也と顔を合わせたくない。稽古に立ち会ったって、自分になにが言える? なにができる? 主役の顔が観れない、声だって聞きたくない。それで演技指導なんて務まるか。いるだけで邪魔だ……

 こうしている間にも周囲からぴりぴりと視線を感じる。今に玄関前の廊下を卓也が通りかかるんじゃないか。一刻も早くそれから逃れたくて、強引に洋子から身体を背けた。

「悪い、今日は都合が……」

「あ、ちょっと、壮太君……」

 洋子が呼び止めるのも構わず、靴箱から取り出して来た下履きに履き替えると、鞄を持って出口に向かった。

「文化祭はもう来週なのよ」

 その声も無視した。外へ出るまで、彼女達の方を一度も振り返らなかった。