誰かが君に恋している

 話は少し前に遡る。まだ文化祭の芝居の稽古が本格化する前の、僕も卓也も今ほど慌ただしくなかった頃だ。

「おまえも成子坂46の里奈のフアンなんだって?」

 いきなりだ、廊下を歩いていて、隣のクラスの男子生徒に声をかけられた。

「え、ま、まあ……」

 男子生徒は香坂といった。中学は同じクラスだったが、高校に入ってからはずっと別のクラスだったし、それまで滅多に話なんかしたことのない奴だった。中学時代はたいして仲良くなかったし、僕の方で向こうを避けるようになっていたし、向こうも僕には関心はなかったろう。

 それがどうだ。昔からの仲良しみたいに、眼鏡の厚いレンズの奥の目を輝かせて僕に歩み寄ってきた。

「卓也から聞いたんだ。へえ、おまえのクラスには二人も里奈のフアンがいるんだ」

 どうやら香坂も里奈のフアンらしい。中学の時から銀縁の眼鏡をかけていて、成績もわりとよく、とくに理数系が得意だった。かといってガリベンタイプでもなく、性格は軽めだった。

 それからというもの、香坂とは会えば声を掛け合うようになった。もちろん奴は卓也とも仲がよく、移動教室の時間には三人で話をした。香坂があまりにも卓也と気安くしているのを見せつけられて、僕は嫉妬を覚えた。二人はともに成子坂46のメンバーの里奈のフアンということで意気投合しているのであって、冷静に考えれば別に嫉妬するような間柄ではない。ここは僕にも友人が一人増えてよかったぐらいに捉えておけばよかったのだろうだけど。

「なあ、この里奈ちゃんの画像、いいよなあ」「いや、俺はこっちの方が好きだ」

 なんて互いのスマホの画面を見せ合っている。そんな二人の会話に僕はついていけない。家でパソコンしか使っていない僕は、学校にスマホを持って来ていなかったこともあるけど。

 僕はただ卓也に近づきたくてフリをしているだけで、本当の里奈のフアンではない。相手の熱中ぶりにうまく合せられない。限界が出てしまう。そこが香坂は違う。

「いいよなあ、今度の成子坂46の新曲」と卓也が言うと、

「だよなあ」と香坂は間髪入れずに返す。

「昨夜、TVに出ていたよなあ」

「ああ、あの時さあ、里奈ちゃん、ちらっとアップで映ったろう?」

「ああ、観た観た、可愛かったよなあ」

「うん、可愛かった」

 まるで漫才でもしているようなテンポの早い掛け合い。二人とも楽しそうだ。

「おまえも観たんだろう? 昨夜のTV」と、卓也が振ってくると、「え? いや……」と、僕は首を振る。

 そのTVを観ていないし、成子坂46の新曲も知らない。二人に合せられない。そこで話の勢いは絶えてしまう。

「なあんだ、観ればよかったのに」って、卓也は軽く流して優しくフォローしてくれるけど。

 その後卓也は専ら香坂相手に話し続け、もう僕には振ってこなくなった。コンピ漫才はコンビ漫才のままで、トリオ漫才にはならない。ステージに立った愉快そうな二人の声を、僕一人が観客席にいるみたいにしてじっと聴いている。

 駄目だ、やはり嫉妬を感じてしまう……

 香坂は成子坂46の女性アイドルが好きなだけだ。僕のように卓也に恋愛感情を抱いているわけではないのに。そりゃあ、ゲイにだって女性アイドル好きは大勢いる。自分もああなりたいという変身願望があるのかもしれない。女性アイドルだけじゃない、大御所女性ニューミュージックシンガーや、美空ひぱりのフアンだって多い。でも、香坂はそんなじゃない。女性アイドルをしっかり恋愛対象として見ている。たぶん…… だから、そんな感情は不要のはずなのに……

 相手が女性だったら嫉妬なんて感じないかもしれない。自分とは立ち位置がまるで違うのだからと諦めがつく。同性だから感じてしまうのか、自分と同じ男が、自分以上に卓也と親しくしていることが許せなくなるのか……



 
 それから文化祭の芝居の稽古を継続してするようになって、学校生活は俄かに忙しくなった。稽古は平日週三日とし、月曜と木曜は休みにしている。その稽古のない日に、卓也と一緒に帰ろうとすると、偶然なのかどうか、玄関に香坂がいた。

 三人で帰ることになった。卓也と二人きりの方がよいのだけど、今や自分の友人の一人となりつつある香坂のいる手前、勿論、そんなこと表には出せなかった。

 卓也と香坂は既にメル友になっていたようだ。二人でなにやらその話をしている。

「おまえが昨夜、メールで知らせてくれたんで助かったよ。ラジオの番組までチェックしていなかったから、危うく聞き逃すところだった」

「ゲストで呼ばれていたのは一軍のメンバーだけで、里奈ちゃんは出ていなかったけどね」

「でもさ、里奈ちゃんの話が出てきたよなあ、一軍が二軍のメンバーを紹介してくれてさ」

 また成子坂46の里奈の話だ。卓也は専ら香坂と話し、僕はただ聞くだけになっている。三人で帰る時は卓也と香坂が並んで歩き、僕はその後ろに黙ってついて歩く。疎外感を抱え込んでいても、話に割り込めないのだから仕方ない。

 でも、香坂が後ろを向いて、

「そうだ、おまえにも知らせてあげようと思ったんだけどさ、俺、おまえのメールアドレス、知らなかったから」

「うん、いいよ、別に。僕、ラジオは聞かないから」

 せっかく話しかけてくれたのに素っ気なく答えた。その番組を知っていたとしても、どうせ聞かなかっただろうし。

 香坂は嫌な顔をして僕を見て、

「おまえさあ、本当に里奈のフアン?」

 ドキッとしたが、それを表に出さないようにして、

「そうだけど……」

 と、むっとして見返した。

「そうだ、壮太、おまえ、香坂にアドレス、教えてやれよ」と、雰囲気が気まずくなりかけたのを機敏に察したのか、卓也が取り繕ってくれた。「これからは俺達三人でメールで情報交換しようぜ」

「そうだな」

 香坂も卓也に同意し、立ち止まって学生服の内ポケットから自分のスマホを取り出した。

「あ、でも、僕……」

 香坂は僕の空っぽの手の中を見て、

「スマホは? 学校に持ってきてないの?」

「壮太はスマホ自体、持っていないんだ」

 卓也が僕の代わりに説明してくれた。 

「へえ、高校生で……今時、珍しいね」

 たしかに今や高校生のスマホの所持率は90%以上だという。僕のクラスも皆、あたりまえのように学校に持って来ていた。教科書やノートは忘れても、スマホだけは忘れないっていう生徒もいるくらいだ。

「前は持っていたんだよなあ。でも、どこかで失くして、以来親に買ってもらえていないんだよなあ」

「そうなんだ」

 たしかにスマホは便利だけど、ネットやメールはPCでできる。電話で使うことも少なかったから、今はもうあえて親に買ってくれとねだっていない。まあ、受験が済んで大学生になれたら、バイトでもして自分のお金で買おうと思っているけど。

「実はさあ、俺も前に一度失くしたことがあったよ。橋の上で手が滑って、川の中へドブンさ。さんざん怒られたけど、後で新しいのを買ってもらったよ。親としても子供にスマホを持たせたいんだろう。すぐに連絡つくし、居場所を追跡できるし」

「そうかなあ。危険サイトやSNSの悪意ある投稿を見せたくなくて、子供にはスマホを持たせたくないっていう親の方が多いんじゃないかなあ」

「うちの親は別だよ。俺の下校時間を狙ってしょっちゅう電話がかかってくるよ。家に帰るついでにあれ買ってこいとか、親戚の所に寄って来いとか、体よく使われるんだ。前なんかさ、買い物面倒くさがって、夕飯のおかずそっくり買ってきてって頼んできやがった。そんなに金持ってないのにさ」

 僕と香坂は揃って爆笑した。

「じゃあ、壮太にはメールって、送れないの?」

「いや、壮太はパソコン持っているから。俺とはパソコンでメール交換している」

「じゃあ、パソコンのメールアドレス、教えてくれよ」

「あ、ええと……」

 僕は自分のメールアドレスを覚えていなかった。名字をアルファベットに変えただけの単純なアドレスなら迷惑メールが送られてくるって聞いたことがあったし、結構長い複雑なアドレスにしている。家に帰って調べないとわからない。

「壮太のは、なんか長いんだよな」

 卓也がここでも助け舟を出してくれた。自分のスマホを取り出して、アドレス帳を確認しようとしたのだろう、画面に眼を向けた。

「ええと、壮太のアドレスは……」

 卓也が呟いた直後、絶妙のタイミングだった。着信音が鳴り響き、傍で見ていてわかるほど、彼の掌の上のスマホが振動した。

「はい……」と、手にしていたスマホをそのままひょいと耳にあてた。「なに……? 醤油1リットル? それくらいの金はあるけど…… え? 今すぐ? 大至急……?」

 通話を終えた卓也は、しかめっ面をして僕と香坂を見た。その顔がおかしかったので、僕と香坂はくすくす笑い声を漏らした。

「大至急、醤油を買ってこいって……」

 僕と香坂ははっきり声をたてて笑った。

「醤油って…… どこで買うんだよ?」

「安売りのスーパー、もう通り過ぎちゃったよな。もっと早く電話してくれればいいのに」

 卓也は来た道を振り返った。日暮れ前の通り、買い物帰りのトートバックを手に提げた婦人が歩いてくる。

「ワリィ、俺、戻るわ」

 卓也は急いでスマホを学生服の内ポケットにしまうと、僕を顧みて、

「壮太、おまえ、今日帰ったら香坂にメールして、アドレス教えてやんな」

 卓也は小走りに来た道を引き返していった。僕は香坂と二人きりになった。卓也はムードメーカーだ。彼がいないと話は弾まない。暫く僕と香坂はそのまま立ち止まって、駆けていった卓也の後ろ姿が見えなくなるまで見送っていた。

「じゃあ、俺のアドレスだけ、教えるよ」

 香坂は、メモ用紙の代わりに僕が鞄から取り出した英語のノートの裏表紙にさっと自分のメールアドレスを書いてくれた。

「じゃあさ、今日、家に帰ったらさ、そっちから俺のアドレスにメール送ってくれよ」

「うん……」

 別に断る理由はなかった。僕は英語のノートを鞄にしまった。



 
 夕食後、居間でぐずぐずTVを観ていると小言を言われるのは承知していたので、早々に自分の部屋に引き揚げ、勉強机の上のPCに向かった。メールソフトを普段のIDでログインして、受信メールを確認する。勧誘とセールスのメールしか来ていないのを確認してから、次にYURIのIDでログインし直し、卓也からのメールを確認する。

 卓也とは最初SNSのメッセージ機能でやりとりしていたが、画像を送ってくれという先方からの依頼に、メールソフトに登録したYURI用のメールアドレスを使って、画像を添付してTAKUYAのメールアドレスにメールを送った。以来、SNSを介さずTAKUYAからYURIのアドレスに直接メールが届くようになった。返信はしなくても、いちおう来たメールには眼を通すようにしていた。

 TAKUYAからYURIに宛てたメールは来ていなかった。今日は買い物を言いつけられて慌てて来た道を引き返して行ったが、その後も忙しかったのか。でも、これから来るかもしれない。

 メールソフトは暫くそのままにしておいて、親の期待通りに真面目に勉強に取り組んだ。高校三年の二学期。受験生なんだ。できたら大学の文学部に進みたい。もっと言葉を知りたい。日本語の表現について学びたい。

 暫く勉強に集中した。苦手な英語にも取り組んだ。途中少し転寝をしてしまったらしい。気づいたら、深夜2時を回っていた。

 やばい、もう寝ないと。

 机の上に英語のノートが出ていた。

 そうだ、香坂からメールを送るように言われていたんだ……

 ノートの裏表紙には、先方がメモした見慣れないメールアドレスが書かれてある。別に香坂からのメールなんて欲しくないけど。でも、友達なんだから……と、僕はメールソフトの画面を開き、テキストを入力した。眠かったし、時間も惜しかったし、億劫だったしで、本文はただ簡単に“メールを送ります”とだけにして、なにも考えずに送信ボタンを押した。