誰かが君に恋している

 放課後、教室に残って芝居の稽古が始まった。

 最初のうちは読み合わせで、役者達が台本にある自分の台詞を声に出して読む。台本を読むだけだから簡単そうに見えるが、きちんと聞き取れる声で喋っているか、発音がおかしくないか、抑揚や強弱は適切か、台本のト書きにある感情が伴っているかなど、気をつけなければならない点は多い。難点があれば、他の聞いている者達から忽ち指摘を受けた。

 卓也は頑張っているのだけど、技術が追いついていないみたいだ。台詞を読み間違えたり、つっかかったり、棒読みだったりで。そして、その度にとくに相手役の神崎からきつい口調で文句を言われた。

「ちょっと、また台詞が違う……」

 彼女は手にしていた台本を、バサッと自席の机の上に放り投げた。

「ごめん……」

 卓也は小さくなって謝る。あんなに大きい身体なのに、開いた台本のページにぴったり顔を近づけて、身を縮こませるようにしている。

「それに感情が伴ってないわ。そこはもっと寂しそうにして言うところでしょう?」

 所詮は素人集団がやる学園祭の出し物だ、そこまで本気になる必要があるだろうかと、僕は疑問を抱いた。自分が真剣に取り組むのはいいけど、それを他人に強要するのは……

 卓也は神崎が自分のことを嫌っていると言っていたけど、本当なのかも…… だったら、なんで卓也を嫌うのか……

 ひょっとしたら…… と、僕の中にある思いが浮かんだ。

“彼女が俺をどう思ってようと、俺は彼女が好きなんだ”

 先日学校帰りに聞いた卓也の言葉と、二年前、校舎裏の体育倉庫の陰で聞いた告白の現場が重なる。あの時、告白相手の女子の顔は見なかったが、あれってもしや……

「まだ最初だから……」と、僕は卓也をフォローした。「慣れてきたらもっとうまくなるよ。感情表現だってできてくる」

「そうかしら?」と、神崎は冷めた声で返してくる。

 この声…… このきつい言い方…… “言ったでしょう? 私、あなたのこと、なんとも思ってないから……”

 僕はまた体育倉庫の陰で聞いた女子生徒の声を思い返している。あの時と同様、卓也はたいした反論もできずに押し黙っている。実際にはあの時、なにか低い声でボソボソと喋っていたようだけど、倉庫の壁沿いにいた僕にはまるで聞き取れなかったから、黙っていたのと同じだ。

「まあ、いいわ。来週の立稽古までに松崎君は自分の台詞をしっかり言えるようになっておいてね。台本を見ずによ!」

 神崎は優越感に満ちた眼で卓也を見据えた後、顔を背けた。
 



 芝居の稽古が始まって二週目、この日からは立稽古だ。教室の机をずらして広いスペースを作り、そこを稽古場とした。

 立稽古では台本を見ずに台詞を発し、動作や表情も交える。

 ここでも卓也は頑張っているのだけど、相手役の神崎のご機嫌を取るところまではいかないようだった。

「もうよしてよ、また台詞が違う……!」

 卓也が言い違えると、早速神崎の指摘が飛ぶ。それにしても、神崎は自分の台詞を全然間違えないどころか、卓也の細かい台詞までしっかり覚えているようなので驚きだ。

「それにさ、もっと滑らかに喋れないの? つっかえつっかえだし…… だから、主役は氷室君にすればよかったのよ。いくら役の人物と性格が似ていても、台詞が覚えられないんじゃ……」

 教室の後ろの方で氷室が稽古を見ていた。

「ん? なんか俺のこと呼んだ?」

「ねえ、氷室君、今からでも発表のメンバーに加わらない?」

 なにをこの期に及んで…… と、僕は呆れた。神崎が氷室にこだわるのは、たいがいの女子生徒がそうであるように、彼女も氷室に思い入れがあるからではないのかと勘繰った。

「そうだなぁ、高校最後の文化祭だもんなぁ」

 と、意外に乗り気だ。他の生徒なら普通嫌がるのに。

「記念に舞台の端役ぐらいなら、出てもいいかな。どうだい、監督さん」

 氷室はじっと僕の方を見た。

「いや…… 今のところ役は足りているから」

「そうか、いやあ、残念」

 教室から出て行く間際、氷室は振り帰り、またじっと僕を見て、

「役が足りているならさ、別に裏方でもいいから。必要だったら言ってくれよ」

 出て行った氷室を不満そうに見送った後、神崎は僕にきつい眼差しを向けた。

「あなた、本当にいいの? あの人に頼まなくて……」

「え?」

 言っている意味がわからない。

「主役は松崎でいいの?」

「うん……」

 と答えると、きれいな顔お構いなしで僕を睨みつけてくる。僕の姉みたいに。

 なんだ? なんでそんな怖い顔をする? まるで仇でも見るように…… 

 僕は圧倒されまいとして、「卓也はいい味出ているよ」と、卓也のフォローを重ねた。本当にそうなのかは確信持てないけど。「少しばかり喋り方がたどたどしい方が役のタクヤには合っているよ。自信なさそうにボソボソと喋る感じが……」

「そうかしら?」

 これからは僕も彼女にとっては卓也の同類、敵となるのかもしれない。

 彼女は、僕から、本来の敵である卓也に視線を移した。

「私、少し休憩させてもらうわ。全然先に進まないんだから、疲れちゃった。私が休んでいる間に、しっかり練習しておいてね、タクヤさん!」




 次の稽古のある金曜日、神崎は稽古を休んだ。

「どうせたいして進まないんだもの。私は二幕まで台詞覚えているんだから、まだ一幕しか台詞を覚えられていない松崎一人に練習させておけばいいのよ。松崎が二幕まで進んだら、私も稽古に参加するわ」

 なんて、放課後に教室に残っている僕達に言い残して。

 しょげている卓也に僕は言った。

「じゃあ、今日は僕が代わりにユリナの役をやるよ」

「え? 壮太君、ユリナの役、できるの?」

 と、洋子が尋ねた。僕が舞台監督なら、彼女は助監督の役を請け負ってくれている。

「まあ、台本見ながらやるけど。いちおう台詞は頭に入っているけどね。自分で考えたんだから」

 僕はユリナの代わりとして、卓也と向き合った。

「じゃあ、一幕の途中、片想いの相手にふられてしょげているタクヤに幼馴染のユリナが声をかける場面からいくよ」
 
“馬鹿ねえ、またふられたの?“

“うん…… また駄目だった、おまえに言われて、告白してみたんだけど……“

“これでもう何度目かしらね?“

“まだ三度目だよ“

“まだ……ねえ…… もう……じゃなくて?“

“そのうちの一度目の相手はおまえだよ。俺、小学一年生の時におまえが好きだって言っただろう?“

“ああ、あれね。あれって本気だったんだ“

“本気だよ“

“冗談かと思った“

“あの時、おまえはすっげえ嫌そうな顔して、俺なんか全然好きじゃないって言ったよな?“

“うん、まあ、あの頃はね“

“だよな。やっぱり俺なんか駄目だよなあ、なんのとりえもないし……“

“そうね。タクヤはなにやらせても駄目だもんね。みんな、少しくらいなにか取り柄があるものね、絵を描くのが上手かったり、歌が上手かったり、足が速かったり、人を笑わせるのが得意だったり……“

“俺は、ルックスは悪いし、頭もよくないし、運動音痴だし、口下手だし、歌も下手だし、絵も描けないし……ってか“

“でもね、そこがいいっていう人もいるんだよ“

“え?“

“そういうところが案外魅力的だったりして……“

“まさか……“

“本当よ、実を言うと私もね、まあ、タクヤのそういうところが……“

“……“

“……“
 
 じっと卓也の顔を見つめた。胸がドキドキ震えた。言葉に詰まった。次の台詞もはっきり自分の頭の中にあるのに、その言葉が口にできない……

「どうしたの? 壮太君」

 傍でそれまで僕と卓也のやりとりを聞いていた洋子が口を出した。

「せっかくいい感じで進んでいたのに…… なんか急に台詞に詰まったわね」

「ごめん、台詞を忘れて……」

 本当は忘れていなかったけど、僕は逃げるように台本に目を落とした。卓也の方を向いていられなかった。

「顔、赤くなってない?」

 洋子が僕の顔をジロジロ見ている。

「こ、これも演技だから……」と、咄嗟に僕は言い訳した。

「だったら、凄いよね」と、洋子と一緒に稽古を見ていた女子達が言う。

「そうよね」

 卓也が不思議そうに僕の様子を眺めていた。

「じゃあ、今の所からもう一度行くよ」

 胸の鼓動を鎮め、落ち着きを装って僕は言った。

“本当よ、実を言うと、私もね、タクヤのそういうところが……“

 と、最後に言った台詞を繰り返した。

 今度は卓也の顔を見ずに台本だけを見て、先程言えなかった言葉をしっかりと言った。

“悪くないなと思っている。うん。わりと好きかも……“




 稽古が終わり、僕は卓也と一緒に帰った。

 土曜と日曜は休みだが、卓也は明日の土曜日も芝居の練習をしたいと言ってきた。

「また、おまえ、ユリナの役やってくんない? 一人でやるよりは、相手のいる方が練習になるし……」

「どうしたの? 気合入っているじゃない」

「また神崎になにか言われるの、嫌なんだよ」

「あ、そうか」

 僕は心の半分だけ笑った。もう半分は悔しかった。

「うん、いいよ」

 半分悔しかったけど、明日の休日も卓也に会えるのかと思うと、顔に出さないようにして喜んだ。

「じゃあ、場所はどうする? 学校でやる? それともどこか、公園とかで……」

 公園と聞いて彼は顔をしかめた。

「知らない人から見られるのは嫌だなあ。まあ、最後は人前でやらなきゃならないから、度胸はつくだろうけど……」

「そ、そうだね……」

 男同士で恋愛劇の練習。他人が見て誤解されるのはたしかに自分も恥ずかしい。

「じゃあ、僕か卓也の家でやる?」

「俺、台詞喋っているの、家族に聞かれるの嫌なんだ、恥ずかしくって…… だから、家での練習は、台詞を覚えるだけにして、声出しはしていないんだ」

「じゃあ、僕の家でやる?」

「え? いいの?」

「うん……」

 卓也が僕の家に来る…… 

 また胸の中がドキドキ震えだした。練習の時の興奮がぶり返してきた。

「ぼ、僕の両親は昼間は二人とも出かけるから。あ、姉も休みの日はどこかに遊びに行くだろうし。だ、誰もいないから……」

 なにドモッているんだよ、と自分で自分にツッコミを入れた。幸い卓也は気にしていないようだったけど。