誰かが君に恋している

 高一の時、学校から貸与されたタブレットで小説を書いていた。水曜午後のクラブをサボッて、校舎裏にある体育倉庫の壁に凭れて、タブレットの画面に表示させたキーボードのキーを叩いていた。

 そんな生徒のあまり来ない校舎裏に潜んでいたのは、誰にも見られたくなかったからだ。学校のタブレットを私用で使っているという負い目と、クラブ活動をしていないという引け目もあったし、とりわけ誰かにタブレットの画面を覗き込まれて、自分が小説を書いているだなんて知られたくなかった。この時間、グラウンドや体育館からは運動部の連中の威勢のよい声がしている。音楽室からはコーラス部の歌声も聞こえていたけれど、精神的に圧倒されるのは運動部の掛け声だ。汗水流して動き回っている連中と比べられると、こんな所でひっそりと小説なんか書いている自分を、“なんか暗ーい”って評する者達があまたいるだろう。だから絶対に知られたくない。一度書いているところを人に見られたことがあったけど、その時は自分と同じ文芸部の子だったから大事に至らなくて済んだ。彼女も自分で詩なんか書いていると言っていたから、同じ穴の貉だ。「へえ、こんなとこで小説書いているんだ。凄いじゃない」って、“暗―い”どころか逆に感心された。

 ふと体育倉庫の正面の方から人の声がした。クラブの時間は既に終わっているようだ。聞こえてきた声は男女二人。文芸部には僕以外に男子はいないから、少なくとも男の方は文芸部ではない。今度誰かに見つかったら、“凄いじゃない”で済まないだろう。たぶん“暗―い”だ。静かにタブレットの画面を閉じ、見つからないように引き揚げる準備をした。

「だからなに? 話って……」

「実はさ……俺……」

 なんか言い合っている。壁伝いにそっと首を伸ばし、学生服とセーラー服が向き合っているのを確認する。自分がここに潜んでいるのは気づかれていないようだ。

 見つからないうちにさっさと退散すればよいものを、僕は画面の暗くなったタブレットを胸に抱きかかえながらぴったり壁に張り付き、そのまま息を潜めていた。今もだが当時僕が書いていたのは恋愛小説。放課後、人気のない校舎裏で一対一で対峙する思春期の男女二人。なにやらただならぬ雰囲気。これは作品のネタになる。あの二人が何を言い合っているのか…… この後の展開は…… 知りたくてならなかった。

 男子の方が低い声でなにかをゴソゴソ言った。よく聞き取れなかった。女子の方は高い声で堂々としている。こちらははっきり聞き取れる。

「言ったでしょう? 私、あなたのこと、なんとも思ってないから……」

 また男子がボソボソ言った。なんて言ったんだ? よく聞き取れない。

「仕方ないでしょう? タイプじゃないんだから。靴箱に手紙入れるのやめて。話しかけてもこないで。私、あなたに見られるのも嫌なんだから……」

 女子の方が去っていったようだ。荒っぽい靴音がした。凄まじい拒絶の仕方だ。コクラレたんだったらもっと優しい断り方があるだろうに…… タイプじゃないっていったって、勇気を奮ってコクッてくれた相手に、あんなきつい言い方って……

 もう向こうではなんの物音もしない。十分頃合いを見計らった後で、僕は体育倉庫の壁から離れた。

 え? 
 
 体育倉庫の正面に回ると、そこに学生服が立っていた。男子の方はあれからずっと同じ場所に立っていたのか。僕ともろに眼を合わせた。こちらを見て、がっくり落としていた肩を電流が走ったようにびくっと震わせた。図体は僕よりデカいのに、悪戯を見られた子供のように頬を引き攣らせ、怯えた顔を向けた。

 そんな彼の顔を僕は可愛いと思った。女子からさんざん言われていたから、さぞかし容姿に難があるのかと思ったが、僕からすれば全然そうじゃない。

 彼は僕と同じ学年で、別のクラスで、名前を松崎卓也といった。それを僕は後で知った。



 
 サラサラの長い髪の少女の前に、木偶の棒のような男が突っ立っている。図体ばかりでかくてあまり見栄えのしない男。だけど、弛んだ目元があどけなくて、見ているとなんだかほんわかしてくる。それでつい、下がり気味の肩をバシバシ叩いて、“頑張って”って励ましてやりたくなる。

 そんな自分の長所がわかっていないタクヤは、長年の憧れだったユリナの前で、自信なさげにおどおどしている。ロマンチックな夕暮れ時の公園で、二人きりで向かい合っているのに、それで今こそ募りに募った想いを打ち明けようと心していたというのに、いざとなると竦んでしまって、まるで足元の土の上を這う蟻とでも対話しているみたいに俯いたきり、ちっとも相手の方を見ようとしない。

「どうしたの? なんかウジウジして……」

「うん……」

 さっきから呼びかけているのにまともに顔を上げてくれないタクヤに、ユリナは少しばかり苛立つ。

「ねえ、タクヤ、もっと自分に自信持ちなさいよ」

「でも……」それでもまだ足元の生き物に向かって答える。「駄目だよ、俺なんか……」

 まただ。いつもの台詞。もう十分聞き飽きてしまっている。

「いい? 人の価値観は皆、それぞれなのよ。そりゃあ、外見だけだったら、あなたに魅かれる人は、正直数は少ないかもしれない。でも、少ないだけで、いないわけじゃないの。あなたのような人が好みで、あなたのことが好きだっていう人も、この世界のどこかには必ずいるのよ」

「どこにいるんだよ? そんな奇特な奴……」

 漸くタクヤは顔を上げた。彼だって18歳だ、反抗期の少年らしい眼で目の前の少女を睨みつけた。

「どこにもいないよ、そんな奴……」

「ここにいるわ!」

 いたたまれなくなって遂にユリナは叫んだ。

「今になって気づいたの、私……本当はあなたが好きだった……」

「ユ、ユリナ……」

 タクヤは呆然とした。驚きのあまり卒倒してその場にへたり込んでしまいたかったけど、まだ意識はある。身体だってどうにか動かせそうだ。それで、両足をそろそろと動かし、ユリナに近づいた。

「ありがとう……」

 タクヤは涙声になって呟いた。ユリナの長い髪のかかった赤いドレスの背に腕を回し、身を屈め、唇を重ねようと……




 うん、なんだかなあ……

 自作の小説のラストシーンを読み返し、僕はふうーっと溜息を吐いた。

 別に小説家志望ってわけじゃないけど、ただ物語を作るのが好きだから小説を書いている。本当は漫画家の方がよいのだけど、絵が描けないから小説にした。かといってそんな凝った文章は書けないから、こっちもそろそろ限界かなって思っている。小説でなくても、戯曲とかシナリオでもいいのだけど。

 どんなジャンルであれそれに適した技術は必要だから、所詮自分には無理だろう。まあ、なんでもいい、とにかく頭の中であれやこれやと想像に耽り、自分だけの物語を作りたい。

 PCに入力したばかりの自作の小説、「誰かが君に恋している」のラストシーンの原稿を睨みつけ、自分で書いておきながらそんなに都合よくゆくものか……と思っている。告白した相手がユリナみたいな異性だったらありかもしれない。でも、相手が同性だったら…… 主人公のタクヤはノンケでフツーの、というよりフツーよりかなり女好きの男子だ。そんな男がもし同じ男にコクラレたら…… BL小説の中ではあたりまえのようにイケメンゲイが登場してくる。巣穴から這い出してくる蟻のようにゾロゾロゾロゾロ……あるいは廃墟の街を彷徨うホラー映画のゾンビのようにフラフラフラフラ……って、それはいささか過剰な表現かもしれないけど(いや、想像するのは勝手だ、本当にこの世界がそうだったら……なんてウットリすることはある)、現実はハッテンバでもない限りそんなに都合よくお仲間同士が会えるわけはない。ゲイとかバイとかって、レズビアンとかノンバイナリーとかも含めて、世界人口のほんの数パーセント(たしか8パーセントぐらいだとネットには書いてあった)しかいないだろうに。当然その中でイケメン、イケジョなんて本当に微々たるもの。異性にしか興味のないいたってノーマルな男性が、同性からコクラレたら絶対に引く。“ゲッ、気色ワリーッ、迷惑……!”としか感じないんじゃないか? そのコクラレた男性がどんなに優しくて、思いやりがあって、愛情に飢えていたって、コクッてきたのが同じ男だと知った途端、生理的に拒絶反応を示すのが普通。“ゲッ、気色ワリーッ、迷惑……!”は、仕方ないことなんじゃないか……

 本音を言うと僕はそんな小説を書いてみたかった。ストレートの男性にゲイの男が告白する。ストレートの男性は、“エーッ”と驚く。ストレートの男性は、“まさか、そんな、俺なんかに……”と狼狽える。ストレートの男性は、“俺はゲイじゃない、女が好きだ、こいつにしてやれることなんかなにもない、他をあたってくれ”と思う。だけど、ストレートの男性は、自分を想ってくれる相手の真剣な気持ちに心を揺さぶられ、遂には“ありがとう”って呟く…… 

 僕がそんな小説を書きたい理由は、現実のタクヤ……実在する自作の小説のタクヤみたいな人物に、表には現れていないだけで心の奥底では人知れず想いを傾けてきた相手がそこにいるということを伝えたいからだ。自分にも、小説のタクヤとイメージの重なる、初めて見た時から恋焦がれてきた片想いの相手がいる。いつかその現実のタクヤに告白してみたい。でも、相手の常識を考えたら絶対にできないことだ。だから、小説の中だけでもと……

 現実のタクヤは松崎卓也、現在高校三年で僕と同じクラス。そして、間違いなくストレート……

 一年の時、僕は校舎裏の体育倉庫の陰から、彼が誰か女子に告白する現場を目撃した。相手の女子の顔は見なかったから、何年何組の誰なのかは今も不明だけど。その時に彼を知り、同じ学年で別のクラスにいることまで知った。それから二年が経過した。二年の時のクラス編成で同じクラスになったけど、男同士で同い年で級友であっても、容易に友達を作れない僕にとっては彼との距離は遠かった。