泣き面に飛んできたのは蜂なのか

 動物園での不本意デートを終え、週明け水曜日の放課後。
 美化委員の定例会が珍しく早く終わり、俺は機嫌良く廊下を歩いていた。
 最近は望月に捕まってばっかりだったから、久しぶりに自由な放課後だ。
 駅前の本屋にぶらっと立ち寄って、カフェでぼんやりしてから家に帰るのもいいかな……なんて計画を考えたりする。ああ、自由っていいな。
『悪いけどさ、ちょっと頼まれてくんない?』
 そう望月から電話がかかってきたのは、丁度下駄箱から取り出したスニーカーを床に置いた時だった。
「……内容による」
 わざわざ電話までしてきて俺に頼むとは。
 よっぽど焦っているか、ろくでもないことの二択だ。後者なら、問答無用で通話を切ってやろう。
 俺には、放課後満喫ひとりプランが待っているのだから。
 すると、電話の向こうで望月が苦笑した。
『そう警戒すんなって。道弥、まだ学校?』
「……そうだけど」
 声だけでこちらの心理状況を読まれているのが悔しくて、できる限り淡々と答えるように努めた。
 なのに、また望月は笑った。全部お見通しってか。……ムカつくな。
「……まともな内容でもお願い聞かないぞ」
『悪い。つい、な』
 謝りながらも、笑いを堪えているのが伝わってくる。俺はついさっき淡々と答えると決めたばかりなのに、早速声に不機嫌さが出てしまう。
「で、なに」
『あー、黒いポーチがさ、俺の机の中に入ってるはずなんだけど、それをバイト先に届けてほしくて……あ、つーか今からなんか予定とかあったか?』
「…………特に、ない」
 あるのは勝手気ままな計画だけ。誰にも迷惑をかけない、且つ必ず達成しなくてもいい予定は、予定がないと同義だ。
『なら、頼む……!持ってきてくれたら、バイト先で好きに食っていいからさ。全部俺奢るし』
 珍しく望月が必死そうだ。よっぽど、だったんだな。……なら仕方ない。引き受けるか。
「わかった。届ける。バイト先の住所とか地図とか、なんでもいいから情報送っといて」
『マジ⁉︎さんきゅー、助かるわ』
 安心したのか、望月の声が明るくなった。
 こうも喜ばれると、断らなくてよかったなと思う。
「言っとくけど、別に奢りに釣られたとかじゃないからな」
 念のため、釘を刺しておく。
 あくまで引き受けたのは、望月を不憫に思ったからであって、目先の食べ物に釣られたわけではない。
『はいはい。あ、うちの店、道弥の好きなチーズケーキが看板商品だから』
「……ふーん」
 前言撤回。チーズケーキのためなら、望月のバイト先が県外でも届けてやろう。
『あ、いらっしゃいませー、……悪い、じゃあ頼んだ』
 望月は慌ただしく通話を切った。対面でも電話越しでも変わらず、嵐のような男だ。
 俺は6組に向かうため、一度出したスニーカーを再び下駄箱に戻して、上履きを履き直した。
 そこで、ふと、重大な問題に気づいた。
「あ、俺あいつの席知らないじゃん」
 届ける届けない以前の問題だ。席がわからなければ、望月の目的の物を回収できない。
 メッセージを打とうとスマホを開くと、丁度望月からメッセージが届いた。
 内容は、さっき頼んだバイト先の店名と地図、そして望月の席の位置。
 望月も気づいていたらしい。
 これが以心伝心……いや、やっぱなんでもない。こんなことで通じてたって意味がないし、そもそも望月と通じて嬉しいとかもないし。うん、そう。そうだぞ、俺。馬鹿なことは考えるな。とりあえず、さっさと回収して、チーズケーキを食べよう。
 俺はスマホをスラックスのポケットに雑に突っ込み、階段の方へ歩き出した。
「あのっ、工藤くん……!」
 階段の一段目に足をかけた時、つい先日も聞いた声に呼び止められた。
 振り向けば、吉澤さんがぱたぱたと、こちらに駆けて来ていた。
「吉澤さん?どうかした?」
 何事かと、息を切らす吉澤さんに問いかけた。
「あの、ちょっと今……時間いいかな……?」
「少しなら大丈夫だけど」
 頷くと、吉澤さんは「なら、ここでいいから聞いてほしいの」と言った。
 それから2度深呼吸をした吉澤さんは、ゆっくりと言葉を発した。
「あのね——」

「えっと、窓から2列目の……」
 がらんとした6組の教室内は、曇天のせいで陽の光が入らず、まだ陽が落ちる時間でもないのに薄暗い。
 吉澤さんが撮った写真のような幻想さはなく、現実そのものといった感じだ。
『あのね、私……工藤くんが好きなの』
 先ほど、吉澤さんに呼び止められた俺は、その場で告白された。
『1年の時からずっと……。この間、私が撮った写真が好きって言ってくれて、すごく嬉しかった』
 真っ直ぐ俺の目を見据える吉澤さんの頬は、陽が差したように赤かった。まるで、吉澤さんが撮ったあの写真みたいだなと、そんなことを考えた。
『噂で、工藤くんは今誰とも付き合ってないって聞いて……。私じゃだめかもしれないけど、伝えるだけ伝えたくて……』
 真剣に俺を想ってくれる気持ちは素直に嬉しいと思った。でも、その想いに応えられるかどうかは別問題なわけで……。
『ありがとう、気持ちはすごく嬉しい。でも、俺……その……、ごめん……なんて言うか……』
 俺は断ろうとして、言葉に詰まった。なんて理由を言えばいいのか、わからなかったから。
——1週間以内にあの子に告白されるに購買の焼きそばパン賭けるわ。
 望月の言葉が蘇った。
 あいつの予言の通りだった。ちゃんと準備、というのも変な言い方だけど、断る理由を考えておけばよかった。
『ううん。やっぱりだめだよね。大丈夫、わかってたから』
 吉澤さんは言葉を迷っている俺を見て、少し苦しそうに、そして諦めたように笑った。
『断らせて、ごめんね』
 そう言って去って行った吉澤さんの表情は、今にも泣き出してしまいそうなのに、俺に気を遣って必死に堪えているものだった。
 俺がせめて吉澤さんが納得できるような理由を説明できていたら、あんなに悲しい顔をさせないで済んだだろうか……。
「……難しいよな、いろいろと」
 今更だけど、俺は吉澤さんになんて言えばよかったんだろう。
 今は誰とも付き合う気になれない?
 ……いや、望月と一応付き合っているから、これは嘘になってしまう。
 なら、新しい恋人がいるから?
 ……たしかにそうだけど、周囲に「恋人がいる」と宣言しようと思うほど望月を恋人と認めてないし……これもある意味で嘘になるかもしれない。
 じゃあ、好きな人がいて?
 ……正直あらた先輩のことはまだ好きだ。ただ、これを言って、数日後にあらた先輩の耳に風の噂が届いてしまったら?「未練たらたらです!」って人伝に先輩に言っているようなものだ。それはちょっと、耳にした方からすれば、流石に気持ち悪いというか、不気味だよな……。
「あ、あった。これか」
 望月の机を覗けば、影よりも一段暗い黒の塊が奥の方にあった。
 俺は手を入れて目的のポーチを取り出し、背負っていたリュックに入れた。
——ああ、それなら「別れたらしい」って言っといたから大丈夫。
 また望月の言葉が再生された。
 あれ……そういえば、なんで望月は「別れたらしい」とだけ女子に言ったんだろう。
 別に「別れたけど、すぐに新しい恋人ができたらしい」って言ったってよかったはずだ。付き合っているのは自分なのだから。
 なのに、何故……。俺の前だと、頻繁に彼氏発言を連発するのに。いったい、どういうつもりなんだ?
「直接訊いてみるか……はぐらかしそうだけど」
 浮かぶのは、右口角を器用に上げた望月の顔。
 俺はスマホで時間を確認すると、望月のバイト先へ向かうべく下駄箱へと引き返した。