泣き面に飛んできたのは蜂なのか

 意識しろ。
 望月はそう言うけれど。望月の方こそどうなのだ。
 いつも涼しい顔でキスだのなんだの言ってきて。
 俺を好きだと言う割に、望月の方がよっぽど俺を意識していないのではと思う。
 こうなったら……、実験あるのみだ。
 実験その1、望月のパーソナルスペースに踏み込んでみる。
「おー、なんかずんぐりした猫いる」
 檻の中、丸い背中をこちらに向けている動物を指差し、望月は言った。
 これはチャンスだ。
 俺は檻についた説明書きを読む体で、望月と檻の間に滑り込んだ。
 少し体を傾ければ、望月にぶつかる、そんな距離。
「マヌルネコだって」
 できる限り自然に、でも心の内では「これでどうだ⁉︎」と思いながら、望月の顔を振り仰いだ。
「ふーん、警戒心強くて道弥っぽい」
 返ってきたのは、いつもの人を揶揄う時の表情だった。
「俺あんなに目つき悪くない」
「今まさにマヌルネコそっくり」
 望月は息多めに短く笑うと、「次あっち見ようぜ」とその場を離れてしまった。
 実験その1、失敗。

 気を取り直して、実験その2、身体的接触。
 近づくだけでは何の成果も得られなかったなら、触れてみるしかない。
 だけど、手を繋ぐとか望月がしてくるようなあからさまなことじゃなくて、もっと自然な感じを狙っていきたい。
 その方が、不意を突いて動揺させられるかもしれない。
「なあ、あれ食いたい」
 俺は売店横の幟を指差して言った。
 そのタイミングで、俺はあえて望月の肩ではなく、半袖から露出した前腕に触れた。
「ん?あー、ジェラートか。いいぜ、食おう」
 望月はいつも通りの反応。
 実験その2も失敗か……。だが、ここでめげる俺ではない。次のタイミングを狙うまでだ。
 望月と連れ立ってジェラートのお店に向かい、ラインナップが書かれたボードを眺めた。
 定番のミルク・チョコ・抹茶・いちごのほか、ナッツやパッションフルーツなんかもある……動物園の売店に併設されているにしては、と言ったら失礼かもしれないが、思ったよりも種類が豊富だった。これは迷うな。
「俺はやっぱミルクかなー。道弥は?」
「んー……チーズにする」
「了解。すいませーん、ミルクとチーズひとつずつお願いします」
 望月が店員のお姉さんにまとめて注文し、そのまま電子決済をしてしまった。
「あ、自分の分は払うって」
 慌ててボディバッグから財布を出そうとすると、望月がそれを手で制してきた。
「いいから。これぐらい奢らせろよ」
「いや、悪いって」
「俺が奢りたいの」
「でも……」
「おまたせしましたー。ミルクとチーズのジェラートでお待ちのお客様ー」
 俺たちの押し問答は、ジェラートの完成と共に強制終了になってしまった。
「こちらがミルクで、こちらがチーズです。スプーンはこちらからご自由にお取りください」
「はーい。ありがとうございまーす」
 望月がコーンに載ったジェラートをふたつとも受け取り、「こっちがミルクで、こっちがチーズ」と店員のお姉さんの説明を復唱しながら、
「ほら」
 俺にチーズの方を渡してくれた。
 俺はもう、望月のスマート奢りに甘えるほかなかった。
「……ありがと」
 言うと、望月は満足そうに頷いていた。

「あー、冷てー、生き返るわ」
 売店の外に設置されていたベンチに並んで座り、ジェラートをひと口食べた望月が天を仰いだ。
 今のところ、実験はことごとく失敗に終わっている。
 だけど、俺はまだ諦めるつもりはない。実験その3、名前呼び。さらに実験その1と実験その2も追加する。全実験の合わせ技だ。
「壮太、そっちひと口ちょうだい」
 俺は身体を望月に近づけつつ、ベンチに手をついている望月の左手に右手を重ねた。
「ん?ほら」
 望月は自分が齧っていない方の面を俺に向けてくれた。案外そういうところを気にする質らしい。別に俺は気にしないから気を遣わなくたっていいのに。
 それにしても、近づく、触れる、名前呼び、その3点盛り実験だが、まだこれといった反応は見られない。
「壮太の方も美味いな」
 俺はひと口食べ、畳み掛けるように名前を呼んだ。これでどうだ……!
 だが、ちらりと上目で見た望月の顔は、俺を訝しむような表情をしていた。
「……あのさ、なに企んでるか知んないけど、さっきからどうした」
 心臓が大きく跳ねた。まずい……。非常にまずい……。望月にすっかり怪しまれてしまっている。
「……なにが」
 俺は平静を装い、素っ気なく返した。これが精一杯だ。……頼む。もう突っ込まないでくれ。
 しかし、望月がそんな簡単に俺を逃すわけもなく……。
「明らかにおかしいだろ。近づいてきたり、腕に触れたり、名前呼んだり。道弥はそんなことしない」
 ……ぐ。最初から全部バレていたなんて。通りで効果がないはずだ。
「別に。気分だよ、き・ぶ・ん」
 俺は望月から身体を離し、誤魔化すようにジェラートを齧った。
「ふーん。どうせ俺を動揺させようとか、俺が本当に道弥を好きか試そうとか、そんなところだろ」
 そこまで読まれてるとは……。探偵にでもなれるんじゃないのか、望月。
 こちらを探るような望月の視線が顔に突き刺さる。今迂闊に反応すれば、墓穴を掘ってしまいそうだ。
 俺はあえて何も反応せず、ジェラートをひたすら齧り続けた。
「仕方ない。疑り深いマヌルネコ道弥くんに、特別に証拠を見せてあげよう」
「マヌルネコ言うな」
 望月の茶化すような声に、つい反応して望月の方を向いた。すると、俺の目の前に望月のスマホが突き出された。
「ほら」
 なんだ……?
 俺は望月のスマホを注視した。
 アイコンがすっきりとまとめられ、整理整頓されたその奥。
 望月の待ち受けにいるのは——俺、だった。
「はあ⁉︎おい、いつ撮ったんだよ!」
 俺は望月を睨んで吠えた。
 待ち受けの俺は、制服姿で夕陽に照らされていた。考えられるとしたら、金曜日の部活終わりだが、撮られているなんて全く気が付かなかった。
「いつだろうな?」
「今すぐ変えろ!そしてデータを消せ!」
「やだよ。お気に入りだし」
 望月は待ち受けを見て、ふっと微笑んだ。
 俺だけど俺じゃない俺に向けられる愛しさを含んだ笑みに、足元から羞恥が込み上げてくる。
 頼むから、優しい眼差しを向けないでくれ……!
「スマホを寄越せ!俺が消す……!」
 俺はスマホに手を伸ばす。
「だーめ」
 俺の動きに気づいた望月は、さっとジーンズの右ポケットに仕舞ってしまった。
 俺の今の位置じゃ、そこから取り出すのは不可能だ。
「くそ……っ」
「でもほら、これで信じただろ?」
 望月はジェラートをひと口齧り、横目で俺を見てきた。
「待ち受けにして眺めてるぐらいには、道弥のこと好きだって」
 俺の顔は複雑な羞恥心で真っ赤に染まった。待ち受けにされている恥ずかしさ。そして望月が案外ちゃんと俺のことを好きだっていう事実の気恥ずかしさ。
 実験なんて、するんじゃなかった……!
「俺もひと口もーらいっ」
「あ」
 恥ずかしさに耐えている隙に、俺のチーズジェラートは奪われてしまった。
 ジェラートには望月が齧った跡がくっきり。
 望月とはキスだってしたことがあるわけだし、別に気にすることなんてないはずだ。それに、さっき望月のジェラートをもらった時、俺はまったく気にしていなかったじゃないか。なのに、なんで、こうも急にその部分を食べることに妙な恥ずかしさを覚えてしまうのか。
 俺がさっき齧った箇所も平然と食べ進める望月とは違い、結局俺は望月が齧った部分を溶けてしまう直前まで食べることができなかった。

 園をぐるりと一周見てまわった俺たちは、少し遅めの昼食を動物園の食堂でとることにした。
 俺は冷たいきつねうどん、望月は動物園限定のくまさんカレーを選択した。望月のカレーは、ライス部分がクマの形で、カレーの上に星型の人参が載っている、なんともファンシーなカレーだった。
 望月が「17歳児」と自称した信憑性が高まる。
 だが食べ始め早々、クマ型ご飯を容赦なくスプーンで崩した望月に、「やっぱりただの17歳男子高校生だな……」と俺は認識を改めた。
「そういえば、なんで動物園?」
 俺はうどんを食べ終えると、なんとなく疑問だったことを訊いた。望月の言動は謎なことが多いから、訊けるタイミングで訊いておかないと、頭の中が不思議でいっぱいになってしまいそうだった。
「え、やだった?」
 望月は驚いたように目を丸くした。なんで、なんて訊かれるとは思っていなかったらしい。
「別にいやじゃないけど、この時期は暑い」
「それは……たしかにな」
 望月は苦笑した。数時間過ごしてみて、望月も実感したのだろう。
「普通に映画とかでもよかったじゃん。屋内で涼しいし」
「屋内ね。他には?」
「他?」
「涼しいとこ」
「そうだな……それこそ水族館とか、プラネタリウムとか?」
「ふーん」
 望月はテーブルに置いていたスマホを操作し始めた。涼しい場所を望月から訊いてきた割に、興味がなかったのか?まったく読めないやつだ……。
 俺はお冷を飲みながら、望月の様子を窺った。
 そして数分後。
「じゃ、来週の土曜ここ行くから」
「はい?」
 突如こちらに突き出されたスマホの画面には、プラネタリウムの公式ホームページが表示されていた。
「今予約した。なんか雲みたいな椅子の席」
「それカップルシートだろ……!」
 俺は焦って小声で吠えた。
「詳しいじゃん」
 望月はニッと笑った。こいつ……わかってて予約したな。確信犯かよ!
「もしかして、あいつと行ったことあんの?」
 問われて、俺は途端に勢いを無くした。
 つい、拗ねたような声が出る。
「……ないよ。行きたくて調べただけ」
「ふーん」
 また興味があるのかないのかわからない相槌を望月は打った。
 俺は拗ねた声のまま、望月に文句を垂れた。
「ていうか、勝手に予約するなよ。誰も行くって言ってない」
「でも予約しちゃったら律儀に来るでしょ、道弥は」
 それもわかってて勝手に予約するなんて、やっぱり望月は確信犯だ。
 望月は基本的に外堀を確実に埋めてから、本拠地を突いてくるタイプだってことが、お陰でよくわかった。
 よく考えれば、出会った時からずっとこいつはそうだと思い至る。
 俺と付き合うのも弱みを握って迫り、昼を一緒に食べるのも部活に入るのも、先に周りを味方につけてから俺のところに来た。今日の動物園だって、今のプラネタリウムの予約だって、そう。
「お前なあ……今からだってキャンセルできるだろ」
 俺ができるのは、精々無駄でも抗うことくらい。
 ため息をつきながら言えば、望月はべ、と舌を出した。
「俺がしたくないから、むーり」
「おい」
 17歳児の呆れた理由に、俺は頭を抱えた。
 そこは適当にキャンセル出来ない規約になってるとか言えよ。なんだ、俺がしたくないって、我儘なのか怠惰なのかわからない理由は。
「じゃ、待ち合わせは駅前の——」
「いやだ」
 勝手に話を進める望月の言葉を遮った。
 あのプラネタリウムの最寄り駅で、待ち合わせをする定番は外の銅像前だ。
「お前が遅れる可能性が高いから、俺は駅ビルのカフェで避暑してる」
 どうせ行かなければならないなら、少しでも気が楽になる選択を俺はする。
「だから……連絡先交換するぞ」
 俺はスマホを望月に突き出した。
「はいはい」
 一瞬目を丸くした望月は、すぐに相好を崩した。
 操作の合間に見えた望月のスマホ画面には、相変わらず2日前の俺が映っていた。