何故か俺は今——動物園前の公園で、望月を待っている。
梅雨の合間、時々現れる快晴の日。
昨夜までの雨の湿度が残った空気はじっとりと重く、明るい太陽の光を重く陰気なものに変えてしまう。
背や額に汗が滲む。家を出る前に浴びてきたシャワーも、すでに意味をなさなくなってしまった。
Tシャツの襟ぐりを掴んで前後に動かすが、入り込むぬるい空気は全く身体を冷ましてくれない。
俺の隣に鎮座している動物園のマスコットキャラクターの石像だけが、汗ひとつ流さず爽やかな笑顔を浮かべている。
石だし、もしかしたひんやりしているかも……。
俺は少し期待して、そのトラと饅頭を掛け合わせた不思議なキャラクターの丸い頭に手を置いてみた。
だけど、まるで石焼ビビンバの石器に間違って指が触れた時と同じくらいに熱かった。
「きみも案外大変なんだな……」
俺より過酷な状況の石像に思わず同情してしまった。
ボディバッグからスマホを取り出し、時間を確認する。
午前10時。約束の時間だ。
周囲を見渡すが、まだ望月の姿はない。
「約束したのお前からだろ……」
この嫌な暑さにも、時間通り来ない望月にも、強引な約束に渋々従ってしまう自分にも、俺は嫌気がさして、大きなため息を溢した。
『演出助手として、道弥のことをもっと知らないとな』
ことの発端は金曜日。望月が演劇部の見学をした帰り、望月はさも当然と言った顔でそんなことを言っていた。
意味がわからない。
劇と俺は関係ない。だから、俺自身のことを知る必要なんて微塵もない。
そう言えればよかったのだが、言う前に「じゃ、日曜日動物公園に10時で」と一方的に約束を取り付けられてしまった。呆気に取られている内に、望月の姿はなくなっていた。
言ってきたタイミング的に、望月は俺に断らせないように仕組んでいたに違いない。
後で断ろうにも、俺は望月の連絡先を知らないのだから、断りようもないこともわかっていたはずだ。
退路を断たれた俺は、指定された時間に指定された場所へ行くしかなかった。
「お、いるじゃん」
約束の時間から10分遅れ。望月は何の悪びれもせず呑気に現れた。
オーバーサイズのプリントTシャツに太めのサマージーンズ、そしてゴツいスニーカーという出立。全てがゆったりとしたシルエットなのに、だらしなさはまったくなく、様になっている。俺が着たら、部屋着?とでも言われてしまいそうな格好だ。俺もTシャツにジーンズと、似たような服装なのに、選ぶ形と着る人物でこんなにも印象が変わるのか……。つくづく、望月の素材の良さを感じさせられる。スタイルが良くて羨ま……じゃなくて。イケメンでスタイルがいいからって遅刻がなかったことにはならないからな!
「『いるじゃん』、じゃないんだよ」
俺は望月に不愉快極まりないという顔を向けた。
「だって来ないかと思って」
「その場でも、後でも、断れないように仕組んだのはお前だろ」
「人聞きの悪い。連絡先交換断ったの道弥じゃん」
言われて言葉に詰まる。
たしかに金曜日の昼休み、俺は望月に連絡先交換を提案された。だけど、不要だと即座に断ったのだった。
「……それはそうだけど。昼の時点で、お前がこんな約束してくるなんて予想できるわけない」
「そりゃあね。でも結局、来なきゃいいだけじゃん?」
「それこそ、できるわけないだろ」
流石に嫌な相手でも、人としてどうかと思うような行動はしたくない。ドタキャンするぐらいだったら、数時間我慢する方がずっとマシだ。
俺が膨れっ面のまま言うと、望月は意味ありげに笑った。
「やっぱ、そういうとこだよなー」
「なにが?」
「別にー?」
でた。望月のもったいぶり。
「気になるだろ」
「そんな知りたい?」
そう改めて訊かれると、つい逆のことを言ってしまう。
「……別にそこまでじゃない」
「なら、教えなーい」
べ、と舌を出して笑った望月に、俺の怒りゲージが刺激される。
「はあ?なんだよそれ」
「そこまでじゃないって言ったのは道弥じゃん」
「……そうだけど」
数秒前の自分のせいで、望月への反撃の手段を失ってしまった。悔しい……。
「ま、さっさと中入ろうぜ。そろそろゾウの餌やりの時間だし」
望月が手にしていたスマホで時間を確認する。俺は望月の発言に首を傾げた。
「……詳しいな。ここの常連?」
「いや、全然」
「なら、なんで餌やりの時間なんて把握してるんだよ」
「知りたい?」
「まあ……な」
今度はぐっと堪えて、肯定する。同じ轍は踏まない。偉い、俺。
望月はそんな俺の反応見て、必死に笑いを堪えている。……ムカつく。
「別に調べたから知ってるってだけ」
「なんでわざわざ……」
疑問を口にすれば、望月は右の口角を上げた。
「道弥との初デートだから」
事前チェックは彼氏として当たり前だろ?と言われ、俺はいろんな意味で焦った。
「なっ……外でそういうこと言うなよ!それに、今日はデートじゃないだろ!あくまで劇のためであって……!お前だってそう言って——」
「そんなのこじつけだって、わかってただろ?」
望月から呆れを含んだ眼差しを向けられ、俺は口を噤んだ。
なんとなく、本当になんとなくだけど、望月の約束は単純なデートの誘いなんじゃないかって思っていた。気づいていた。でも、それを認めてしまえば、ここに来づらくなるから。だから敢えて無視したんだ。
……でも、なんで俺は「無視」を選んだんだ——?
「ほら、そろそろ行くぞ」
望月の声で、俺の思考は中断された。
先を歩き出してしまった望月を、俺は慌てて追いかけた。
ゾウの餌やりを見終えた俺たちは、キリンの親子がいるスペースへと移動した。子、と言ってもすっかり成長していて、正直どっちが親で子かわからない。
キリン専用の背が高い舎から出て、ゆったりとした歩調で庭を歩いている。
「おおー…… キリンでっかい首長い睫毛長い」
「なにその小学生みたいな感想」
望月が噴き出した。
「いや、キリン見たらみんな思うだろ」
「思うけどさ、それ全部言うか?」
「言うだろ。思うんだから」
また望月が笑った。
悪かったな、単純な見たまま感想で!
「じゃあ、お前だったらなんて言うんだよ」
ムッとしたまま問えば、望月は数秒逡巡した後、ぽつりと言った。
「……眼差しが優しいな、とか?」
それは俺と同じ見たまま感想だろ!と言いたくなるが、「目」を「眼差し」と言い換え、さらに「優しい」という感情とセットにすることで、「俺は目で見える範囲のその奥まで汲み取っているんですよ」感が出ていて、なんとなくレベルが上の感想という感じがする。
「なんかムカつくな」
「そっちから聞いといてそれかよ」
望月はやれやれと言った感じで肩を竦めた。
俺が悔しさからふいと顔を逸らすと、ある看板の文字が目に飛び込んできた。「餌やり体験やってます」。俺のテンションはぐんと上がった。望月の肩をビシビシ叩いて、看板を指差す。
「あれ、あれやりたい!」
「餌やり……?いいな、行こうぜ」
望月も案外乗り気らしい。俺は意気揚々と歩き出した。
「俺、いたら馬に餌やりたい」
「なんで」
後をついてくる望月が疑問を投げかけてくる。俺は望月を振り返って言った。
「『眼差しが優しい』から」
望月を真似て、べ、と舌を出してやった。
餌やり体験コーナーに行ってみると、残念ながらそこに馬はいなかった。どうやら、うさぎなどの小動物とヤギがその対象のようだ。早速、俺たちはヤギの餌を購入した。
「わーすご、みんな来た」
ヤギに餌をやっているのは俺たちだけだったこともあり、ヤギたちは僕も私もと、続々集まってくる。
柵の隙間から餌を差し出すと、ヤギが咥えてはむはむと咀嚼する。
一頭が食べ損ねて落ちた草を、脇から拾って食べる子もいる。食いしん坊でかわいい。
「なにしてんだ?餌やんないの?楽しいぞ、餌やり」
何故かヤギに餌をやらず、突っ立ている望月を振り見た。
その表情は、何故か憮然としていた。
「お前といるの案外楽だわー、友達みたいで。デートって言っても、別にドキドキしないし」
「はい?」
ヤギと全く関係ない望月の発言に、俺は首を傾げた。なにを言ってるんだこいつは。
「そう思ってるだろ?」
「なに急に」
そう思っているかと訊かれれば、答えは「そうだ」だ。だが、その話を今する必要あるか?
「そういうの、普通にムカつくから」
そう言って隣に並んできた望月に、不意に手を繋がれた。
「次同じこと思ったら——」
望月の顔が、ぼやける寸前の距離まで近づいた。
「——キス、するからな」
「な、なに言って……!」
「されたくなかったら、もうちょっと意識しなよ、俺のこと」
身を引こうとすると、繋いだ手を引かれ、また距離が縮まる。
「……っ、ここ、外だから……っ、離せって……!」
下手によろけでもすれば、簡単に望月の唇にぶつかる近さだ。俺は腕を振り払おうとするが、思ったように力を出せない。
「離してほしいなら、うんって言って」
またふざけているのかと思えば、予想以上に真剣な望月の眼差しに俺は少なからず動揺した。
うんって言えば、解放される。でも、その代償は大きような気がする。
「パパー、こっち、ヤギさん!」
女の子のはしゃぐ声が飛んできた。
まずい、このままだと人が来る。
俺は声を絞り出した。
「…………う、ん」
すると、望月の顔も手もすんなり離れていった。
「ならいいけど。すげー不満そう」
望月が肩を竦めながら笑った。
「そりゃそうだろ。不満に思わない方が変だ」
俺は不満たっぷりに苦渋の表情を浮かべながらいった。
「というか、お前、俺に意識しろだの言うけど……俺的には意識しようがないんだけど」
「……というと?」
望月は不思議そうに小首を傾げた。
俺は視線を落とし、ヤギの餌を指先で無意味に弄びながら歯切れ悪く言った。
「お前が俺のこと……、その……す……き、なのかわかんないし」
自分からこんなことを言うなんて、顔から火が出そうなほどに恥ずかしい。
実は望月から向けられている好意が自意識過剰で「別に好きなわけじゃない」とか言われたら、俺はこの場で穴を掘って埋まらなければならないだろう。そうでなければ、自分の自惚れの羞恥に耐えられない。
「好きだぜ」
帰ってきたのは、存外あっさりした何の重みもない答えだった。望月の言う「好きだ」は、綿のように軽い。いや、綿に見せかけた、ただの水蒸気だ。雲と一緒だ。
「……軽。嘘だろ、それ」
俺は訝しむ視線を向けた。「好きじゃない」と言われなかっただけマシだが、俄には信じられない。穴を掘らせるのは可哀想だからと、同情して言ってきたのかもしれない。望月ならあり得る。
「嘘なわけないだろ。好きでもないやつに、付き合おうって言ったり、キスしたりとか、流石の俺でもしないわ」
望月は眉根を寄せ、納得いかないと言う顔をした。
「そうかもしれないけど……。信じらんない」
「まじか。俺全く信用されてねーのな」
望月は参ったなという風に、金髪頭を掻いた。
「日頃の自分の言動を見直せよ」
あれだけ日頃、俺のことを揶揄って小馬鹿にしているのに、何故俺から信頼されていると思うのだ。その自信は何処から湧いてくるんだよ。少しはその自信の源泉をわけてほしいくらいだ。
俺がため息と共に呆れた眼差しを送ると、望月は驚いたように目を瞬かせた。
「全力で口説いてるつもりだけど?」
ん?今なんて?
「……えっと?いつ、誰が、誰を口説いてるって?」
「毎秒、俺が、道弥を、口説いてる」
「おちょくって、小馬鹿にしてるの間違いでは?」
「それも口説きの一種だろ」
腕を組んで自信満々に言う望月に、俺は頭を抱えた。
「……なんだそれ。好きな子いじめる小学生男子じゃあるまいし」
「それわかるなら、俺のも不器用な愛情表現だってわかれよ」
「お前何歳だよ」
「17歳児」
「げ」
俺は顔を顰めた。なんだその、顎下に手を添えたかわい子ぶったポーズは。
「そこはかわいいって褒めろよ」
望月が理不尽に俺を責める。
「やだよ」
なんで俺よりでかい男のぶりっ子ポーズを見て「かわいい」なんて褒めねばならんのだ……。
褒めは自然に出てくるから意味があるのであって……というか、難しい褒めを強要するな!新手のハラスメントかよ……褒めハラ反対!
「本当はかわいいと思ってるのに違うなんて言って。まったく酷いよなー、道弥は。ヤギの君たちもそう思うだろ?」
望月はヤギたちに同意を求めるが、もちろん誰も頷かない。望月が差し出す餌にしか興味なんてないのだ。
俺はこの際だと、常々疑問に思っていたことを口にした。
「というか……なんで、俺なんだよ……。今まで全く接点なかっただろ」
言うと、望月は俺を一瞥だけして、すぐにまたヤギに餌を与え始めた。
「それはあれだって。道弥と……ほら、この間のあの子……ボブで丸眼鏡のノートの」
「吉澤さん?」
「そうそう。道弥と吉澤さんの関係に近い感じ」
「意味がわからん」
「一方通行ってことだよ。俺は前から道弥を知ってたし、どう近づくか探ってたってわけ」
「……それで、なんで俺?」
「それはー、内緒」
望月はヤギたちに顔を向けたまま言った。
「はい?」
「道弥が俺のことを好きになったら教えてやるよ」
「一生来ないから今教えろよ」
「それはわからないだろ」
「俺は今知りたい」
望月は漸く俺の方を向いた。蜜色の瞳に捉えられる。
「なら——……今すぐ俺を好きになれよ、道弥」
そう言って笑った望月の顔は、自信に満ち溢れていた。
絶対に俺のことを好きになるから、そう言われている気がした。
梅雨の合間、時々現れる快晴の日。
昨夜までの雨の湿度が残った空気はじっとりと重く、明るい太陽の光を重く陰気なものに変えてしまう。
背や額に汗が滲む。家を出る前に浴びてきたシャワーも、すでに意味をなさなくなってしまった。
Tシャツの襟ぐりを掴んで前後に動かすが、入り込むぬるい空気は全く身体を冷ましてくれない。
俺の隣に鎮座している動物園のマスコットキャラクターの石像だけが、汗ひとつ流さず爽やかな笑顔を浮かべている。
石だし、もしかしたひんやりしているかも……。
俺は少し期待して、そのトラと饅頭を掛け合わせた不思議なキャラクターの丸い頭に手を置いてみた。
だけど、まるで石焼ビビンバの石器に間違って指が触れた時と同じくらいに熱かった。
「きみも案外大変なんだな……」
俺より過酷な状況の石像に思わず同情してしまった。
ボディバッグからスマホを取り出し、時間を確認する。
午前10時。約束の時間だ。
周囲を見渡すが、まだ望月の姿はない。
「約束したのお前からだろ……」
この嫌な暑さにも、時間通り来ない望月にも、強引な約束に渋々従ってしまう自分にも、俺は嫌気がさして、大きなため息を溢した。
『演出助手として、道弥のことをもっと知らないとな』
ことの発端は金曜日。望月が演劇部の見学をした帰り、望月はさも当然と言った顔でそんなことを言っていた。
意味がわからない。
劇と俺は関係ない。だから、俺自身のことを知る必要なんて微塵もない。
そう言えればよかったのだが、言う前に「じゃ、日曜日動物公園に10時で」と一方的に約束を取り付けられてしまった。呆気に取られている内に、望月の姿はなくなっていた。
言ってきたタイミング的に、望月は俺に断らせないように仕組んでいたに違いない。
後で断ろうにも、俺は望月の連絡先を知らないのだから、断りようもないこともわかっていたはずだ。
退路を断たれた俺は、指定された時間に指定された場所へ行くしかなかった。
「お、いるじゃん」
約束の時間から10分遅れ。望月は何の悪びれもせず呑気に現れた。
オーバーサイズのプリントTシャツに太めのサマージーンズ、そしてゴツいスニーカーという出立。全てがゆったりとしたシルエットなのに、だらしなさはまったくなく、様になっている。俺が着たら、部屋着?とでも言われてしまいそうな格好だ。俺もTシャツにジーンズと、似たような服装なのに、選ぶ形と着る人物でこんなにも印象が変わるのか……。つくづく、望月の素材の良さを感じさせられる。スタイルが良くて羨ま……じゃなくて。イケメンでスタイルがいいからって遅刻がなかったことにはならないからな!
「『いるじゃん』、じゃないんだよ」
俺は望月に不愉快極まりないという顔を向けた。
「だって来ないかと思って」
「その場でも、後でも、断れないように仕組んだのはお前だろ」
「人聞きの悪い。連絡先交換断ったの道弥じゃん」
言われて言葉に詰まる。
たしかに金曜日の昼休み、俺は望月に連絡先交換を提案された。だけど、不要だと即座に断ったのだった。
「……それはそうだけど。昼の時点で、お前がこんな約束してくるなんて予想できるわけない」
「そりゃあね。でも結局、来なきゃいいだけじゃん?」
「それこそ、できるわけないだろ」
流石に嫌な相手でも、人としてどうかと思うような行動はしたくない。ドタキャンするぐらいだったら、数時間我慢する方がずっとマシだ。
俺が膨れっ面のまま言うと、望月は意味ありげに笑った。
「やっぱ、そういうとこだよなー」
「なにが?」
「別にー?」
でた。望月のもったいぶり。
「気になるだろ」
「そんな知りたい?」
そう改めて訊かれると、つい逆のことを言ってしまう。
「……別にそこまでじゃない」
「なら、教えなーい」
べ、と舌を出して笑った望月に、俺の怒りゲージが刺激される。
「はあ?なんだよそれ」
「そこまでじゃないって言ったのは道弥じゃん」
「……そうだけど」
数秒前の自分のせいで、望月への反撃の手段を失ってしまった。悔しい……。
「ま、さっさと中入ろうぜ。そろそろゾウの餌やりの時間だし」
望月が手にしていたスマホで時間を確認する。俺は望月の発言に首を傾げた。
「……詳しいな。ここの常連?」
「いや、全然」
「なら、なんで餌やりの時間なんて把握してるんだよ」
「知りたい?」
「まあ……な」
今度はぐっと堪えて、肯定する。同じ轍は踏まない。偉い、俺。
望月はそんな俺の反応見て、必死に笑いを堪えている。……ムカつく。
「別に調べたから知ってるってだけ」
「なんでわざわざ……」
疑問を口にすれば、望月は右の口角を上げた。
「道弥との初デートだから」
事前チェックは彼氏として当たり前だろ?と言われ、俺はいろんな意味で焦った。
「なっ……外でそういうこと言うなよ!それに、今日はデートじゃないだろ!あくまで劇のためであって……!お前だってそう言って——」
「そんなのこじつけだって、わかってただろ?」
望月から呆れを含んだ眼差しを向けられ、俺は口を噤んだ。
なんとなく、本当になんとなくだけど、望月の約束は単純なデートの誘いなんじゃないかって思っていた。気づいていた。でも、それを認めてしまえば、ここに来づらくなるから。だから敢えて無視したんだ。
……でも、なんで俺は「無視」を選んだんだ——?
「ほら、そろそろ行くぞ」
望月の声で、俺の思考は中断された。
先を歩き出してしまった望月を、俺は慌てて追いかけた。
ゾウの餌やりを見終えた俺たちは、キリンの親子がいるスペースへと移動した。子、と言ってもすっかり成長していて、正直どっちが親で子かわからない。
キリン専用の背が高い舎から出て、ゆったりとした歩調で庭を歩いている。
「おおー…… キリンでっかい首長い睫毛長い」
「なにその小学生みたいな感想」
望月が噴き出した。
「いや、キリン見たらみんな思うだろ」
「思うけどさ、それ全部言うか?」
「言うだろ。思うんだから」
また望月が笑った。
悪かったな、単純な見たまま感想で!
「じゃあ、お前だったらなんて言うんだよ」
ムッとしたまま問えば、望月は数秒逡巡した後、ぽつりと言った。
「……眼差しが優しいな、とか?」
それは俺と同じ見たまま感想だろ!と言いたくなるが、「目」を「眼差し」と言い換え、さらに「優しい」という感情とセットにすることで、「俺は目で見える範囲のその奥まで汲み取っているんですよ」感が出ていて、なんとなくレベルが上の感想という感じがする。
「なんかムカつくな」
「そっちから聞いといてそれかよ」
望月はやれやれと言った感じで肩を竦めた。
俺が悔しさからふいと顔を逸らすと、ある看板の文字が目に飛び込んできた。「餌やり体験やってます」。俺のテンションはぐんと上がった。望月の肩をビシビシ叩いて、看板を指差す。
「あれ、あれやりたい!」
「餌やり……?いいな、行こうぜ」
望月も案外乗り気らしい。俺は意気揚々と歩き出した。
「俺、いたら馬に餌やりたい」
「なんで」
後をついてくる望月が疑問を投げかけてくる。俺は望月を振り返って言った。
「『眼差しが優しい』から」
望月を真似て、べ、と舌を出してやった。
餌やり体験コーナーに行ってみると、残念ながらそこに馬はいなかった。どうやら、うさぎなどの小動物とヤギがその対象のようだ。早速、俺たちはヤギの餌を購入した。
「わーすご、みんな来た」
ヤギに餌をやっているのは俺たちだけだったこともあり、ヤギたちは僕も私もと、続々集まってくる。
柵の隙間から餌を差し出すと、ヤギが咥えてはむはむと咀嚼する。
一頭が食べ損ねて落ちた草を、脇から拾って食べる子もいる。食いしん坊でかわいい。
「なにしてんだ?餌やんないの?楽しいぞ、餌やり」
何故かヤギに餌をやらず、突っ立ている望月を振り見た。
その表情は、何故か憮然としていた。
「お前といるの案外楽だわー、友達みたいで。デートって言っても、別にドキドキしないし」
「はい?」
ヤギと全く関係ない望月の発言に、俺は首を傾げた。なにを言ってるんだこいつは。
「そう思ってるだろ?」
「なに急に」
そう思っているかと訊かれれば、答えは「そうだ」だ。だが、その話を今する必要あるか?
「そういうの、普通にムカつくから」
そう言って隣に並んできた望月に、不意に手を繋がれた。
「次同じこと思ったら——」
望月の顔が、ぼやける寸前の距離まで近づいた。
「——キス、するからな」
「な、なに言って……!」
「されたくなかったら、もうちょっと意識しなよ、俺のこと」
身を引こうとすると、繋いだ手を引かれ、また距離が縮まる。
「……っ、ここ、外だから……っ、離せって……!」
下手によろけでもすれば、簡単に望月の唇にぶつかる近さだ。俺は腕を振り払おうとするが、思ったように力を出せない。
「離してほしいなら、うんって言って」
またふざけているのかと思えば、予想以上に真剣な望月の眼差しに俺は少なからず動揺した。
うんって言えば、解放される。でも、その代償は大きような気がする。
「パパー、こっち、ヤギさん!」
女の子のはしゃぐ声が飛んできた。
まずい、このままだと人が来る。
俺は声を絞り出した。
「…………う、ん」
すると、望月の顔も手もすんなり離れていった。
「ならいいけど。すげー不満そう」
望月が肩を竦めながら笑った。
「そりゃそうだろ。不満に思わない方が変だ」
俺は不満たっぷりに苦渋の表情を浮かべながらいった。
「というか、お前、俺に意識しろだの言うけど……俺的には意識しようがないんだけど」
「……というと?」
望月は不思議そうに小首を傾げた。
俺は視線を落とし、ヤギの餌を指先で無意味に弄びながら歯切れ悪く言った。
「お前が俺のこと……、その……す……き、なのかわかんないし」
自分からこんなことを言うなんて、顔から火が出そうなほどに恥ずかしい。
実は望月から向けられている好意が自意識過剰で「別に好きなわけじゃない」とか言われたら、俺はこの場で穴を掘って埋まらなければならないだろう。そうでなければ、自分の自惚れの羞恥に耐えられない。
「好きだぜ」
帰ってきたのは、存外あっさりした何の重みもない答えだった。望月の言う「好きだ」は、綿のように軽い。いや、綿に見せかけた、ただの水蒸気だ。雲と一緒だ。
「……軽。嘘だろ、それ」
俺は訝しむ視線を向けた。「好きじゃない」と言われなかっただけマシだが、俄には信じられない。穴を掘らせるのは可哀想だからと、同情して言ってきたのかもしれない。望月ならあり得る。
「嘘なわけないだろ。好きでもないやつに、付き合おうって言ったり、キスしたりとか、流石の俺でもしないわ」
望月は眉根を寄せ、納得いかないと言う顔をした。
「そうかもしれないけど……。信じらんない」
「まじか。俺全く信用されてねーのな」
望月は参ったなという風に、金髪頭を掻いた。
「日頃の自分の言動を見直せよ」
あれだけ日頃、俺のことを揶揄って小馬鹿にしているのに、何故俺から信頼されていると思うのだ。その自信は何処から湧いてくるんだよ。少しはその自信の源泉をわけてほしいくらいだ。
俺がため息と共に呆れた眼差しを送ると、望月は驚いたように目を瞬かせた。
「全力で口説いてるつもりだけど?」
ん?今なんて?
「……えっと?いつ、誰が、誰を口説いてるって?」
「毎秒、俺が、道弥を、口説いてる」
「おちょくって、小馬鹿にしてるの間違いでは?」
「それも口説きの一種だろ」
腕を組んで自信満々に言う望月に、俺は頭を抱えた。
「……なんだそれ。好きな子いじめる小学生男子じゃあるまいし」
「それわかるなら、俺のも不器用な愛情表現だってわかれよ」
「お前何歳だよ」
「17歳児」
「げ」
俺は顔を顰めた。なんだその、顎下に手を添えたかわい子ぶったポーズは。
「そこはかわいいって褒めろよ」
望月が理不尽に俺を責める。
「やだよ」
なんで俺よりでかい男のぶりっ子ポーズを見て「かわいい」なんて褒めねばならんのだ……。
褒めは自然に出てくるから意味があるのであって……というか、難しい褒めを強要するな!新手のハラスメントかよ……褒めハラ反対!
「本当はかわいいと思ってるのに違うなんて言って。まったく酷いよなー、道弥は。ヤギの君たちもそう思うだろ?」
望月はヤギたちに同意を求めるが、もちろん誰も頷かない。望月が差し出す餌にしか興味なんてないのだ。
俺はこの際だと、常々疑問に思っていたことを口にした。
「というか……なんで、俺なんだよ……。今まで全く接点なかっただろ」
言うと、望月は俺を一瞥だけして、すぐにまたヤギに餌を与え始めた。
「それはあれだって。道弥と……ほら、この間のあの子……ボブで丸眼鏡のノートの」
「吉澤さん?」
「そうそう。道弥と吉澤さんの関係に近い感じ」
「意味がわからん」
「一方通行ってことだよ。俺は前から道弥を知ってたし、どう近づくか探ってたってわけ」
「……それで、なんで俺?」
「それはー、内緒」
望月はヤギたちに顔を向けたまま言った。
「はい?」
「道弥が俺のことを好きになったら教えてやるよ」
「一生来ないから今教えろよ」
「それはわからないだろ」
「俺は今知りたい」
望月は漸く俺の方を向いた。蜜色の瞳に捉えられる。
「なら——……今すぐ俺を好きになれよ、道弥」
そう言って笑った望月の顔は、自信に満ち溢れていた。
絶対に俺のことを好きになるから、そう言われている気がした。
