泣き面に飛んできたのは蜂なのか

「えっと、先週の投票結果から発表するね」
 副部長の澤村先輩が手元のバインダーに目を落としながら言った。
 ステージ上で体育座りをして集まっている部員たちの間に、緊張とワクワクが入り混じった空気が流れ出した。
「投票の結果って、なんの?」
 部員の塊の最後列、隣に座る望月が、視線は澤村先輩に向けたまま小声で尋ねてきた。
「文化祭でやる劇の脚本。うちの部は全部オリジナルだから、毎回部内で募って、みんなで投票して作品を決めてて」
「へー。でも、誰が書いたかわかってたら票偏らねーの?」
「毎回匿名だから、その辺は大丈夫。主導してる澤村先輩は誰が書いているか知っている唯一の人だけど、投票には参加しないし」
「なるほどな」
 望月は感心したように頷いた。
 今から発表される結果で、9月上旬に行われる文化祭の演目が決まる。文化祭は3年生最後の舞台ということもあり、毎年かなり気合を入れて準備するのだ。それ故、プレッシャーも大きいがやり甲斐も大きい。
 さらに負担もかなり増える。選ばれた脚本を書いた人は、劇の総合演出も担当することになるのだ。それにプラスして、もともとの担当の持ち場も兼任する。それがかなり大変だということは、去年担当していた先輩を見ていたからよくわかる。
 俺の喉はごくりと音を立てた。
 実は、俺も書いた脚本を初めて応募している。選ばれたら嬉しいが、今回集まった作品はどれも面白い強豪ばかりだった。どうなるだろうか……。
 澤村先輩は部員全員を見回した後、短く息を吸った。
「発表します。令和8年度、青浪高等学校文化祭でやる演目は……得票数20の——」
 部員は、澤村先輩を除いて丁度30人。その内の20となれば、かなりの高評価だ。
 果たして——……
「工藤道弥くんが書いた『ふたりの王子と呪われた姫』に決定でーす!」
 澤村先輩の伸びやかな声が思わぬ結果を告げた。
「——え?」
 俺……?
「おめでとう!工藤くん!」
 一斉に拍手が起こり、祝福の言葉があちこちから飛んでくる。
「道弥すげーじゃん!」
「いた……っ」
 興奮した様子の望月から、バシバシと勢いよく何度も背中を叩かれた。
 ……痛い。これ、現実か。
「みんな改めて、今作の作者で演出家の工藤くんに盛大な拍手をー!」
「あ、ありがとうございます。頑張ります……!」
 俺は慌てて立ち上がり、未だ夢見心地のままで方々に頭を下げた。
「ミチくん、おめでとう。僕もミチくんの作品に投票したひとりだよ。是非主人公の王子を演じてみたくってね」
 あらた先輩がわざわざ俺の方に来て声をかけてくれた。
「ありがとうございます……、そう言ってもらえて嬉しいです」
 言えないけれど、作中に出てくる2人の王子の内、主人公にあたる王子は、あらた先輩をイメージして書いた所謂あてがきだ。
 是非あらた先輩が演じてくれれば嬉しいと思ってもいるが、先輩演じるあの王子を見たら絶対に辛くなるから演じてほしくないとも思っている。
 だってあれは、俺が先輩に言われてみたい台詞をふんだんにとり入れて書いた脚本だから。 完全な公私混同、職権濫用作品だ。
 別れてしまった今、もう現実で言われることはないのだと思うと余計に切ない。執筆時の俺に会えるなら、「浮かれた妄想・願望を脚本に書くなんてバカな真似はよせ」と忠告したいくらいだ。だけど、その浮かれた気持ちで書いたおかげで選ばれたのだから、感謝するべきなのかもしれないが……なんとも複雑だ。
「じゃ、台本配りまーす。配役決めは来週するから、それまでに各自読み込んで、演者の子たちは希望の役を考えておいてね」
 澤村先輩が紙袋から台本——と言っても冊子ではなく、コピー用紙の束を数部ずつ取って先頭の部員に渡した。バケツリレー方式で、台本が順に行き渡っていく。
 最後列にいた俺の手元まで、台本が届いた時だった。
「あのー……由佳先輩、ちょっといいですか?」
 ひとりの女子部員、上向きに反った短い三つ編みがトレードマークの1年生の(はやし)さんがおずおずと手を挙げた。
「もちろん。あ、台本に不備とかあった?」
「そうではなくて……。たぶんみんな気になっていると思うんです」
 そう言って、林さんはこちらを向いた。その視線につられるように、部員全員の視線が一点に——俺の隣にいる望月に注がれた。
「あ、俺? そういえば自己紹介がまだだったか」
 急に注目された望月は、その場に立ちあがろうとして、
「いえ、自己紹介なんてなくても望月先輩のことはみんな知ってます」
「あ、そう?」
 後輩に冷静に返され、その場に再び腰を下ろした。
 いつも俺を振り回す望月が、振り回される側にいる……。あの林さん、なかなかすごいかも……。
「えっと、じゃあ、なに?」
「ただ、入部されるのかなって……」
 林さんがもじもじとしながら、望月の顔色を窺うように見た。
 その言葉に、望月は合点がいったというような顔をして頷いた。
「ああ、それ?するよ、入部」
 さらりと、宣言。
 部員たちがにわかに色めきたった。
「ちょ……ちょっと待てって、お前それ本気で言ってる?」
 俺は焦って望月に耳打ちした。
「本気の本気」
 そう返した望月の顔には、俺が何度も見た、人を揶揄うような笑みは浮かんでいなかった。
 こいつ……まじか……。
「なら、演者希望ですか?」
 林さんが、というより、部員全員が改めて期待を込めた眼差しを望月に向ける。やはり、入部するなら是非役者をと、望月に望むのは至極当然だ。性格はどうであれ、望月はアイドル顔負けの華やかな顔立ちだ。こんな恵まれた容姿を持った人はなかなかいない。さらに、もしこれで演技が上手かったら、オーディションなしで王子のどちらかには決まりそうだ。
 だがやはり、相手を振り回すのが望月という男である。
「いや、俺は演出助手希望だから」
 その衝撃は大きく、あちこちから落胆の声やため息が聞こえてくる。
「おい……っ、なんだよ演出助手って」
 また耳打ちすれば、望月も俺にしか聞こえない声量で返してきた。
「道弥のサポートするって言ってんの。そもそも俺はお前がいなかったら部活なんて入んねーし」
 何言ってんだ、こいつは……!
 というか、やっぱり部活自体に興味ないのかよ!
「そうですか……絶対王子役似合うと思うんだけどな」
 惜しそうに息を吐いた林さんは、膝に額をつけ項垂れてしまった。外側に向かって元気に反っていた短い三つ編みも、心なしか内側に垂れ下がってきているように見える。
 講堂内をどんよりとした暗い空気が流れ始めてしまった。元凶の望月は何処吹く風だ。
 どうしたものか……と思った時、あらた先輩の柔らかな声が沈んだ雰囲気をふんわりと持ち上げた。
「まあ、まあ、無理強いも良くないからね。とりあえずは入部してくれることになったんだから、それを喜ぼうよ」
 部長の言葉の影響力はすごいもので、部員たちを包んでいた暗い空気は一瞬でどこかに行ってしまった。
「ようこそ、演劇部へ」
 その一言に合わせて、みんな思い思いの言葉を口にする。拍手や指笛も鳴る歓迎ムードになった。
 望月は「どーも」なんて軽い挨拶を済ませると、早速澤村先輩に捕まっていた。その場で入部届を書くよう指示を受け、先輩の目の前で記名させられている。
 澤村先輩のポニーテールが馬ではなく、肉食獣の尻尾に見えるのは気のせいだろうか……。望月を絶対逃さないという気迫が、丸くて大きい瞳に宿っている。
 もう望月の入部は確定した。
 どうしたって覆らないだろう。
 また、諦めるしかないのか……。
 舞台上を照らす眩いライトの下、ひとりだけ奈落の底に閉じ込められたような気分になった。