退屈って、お金じゃどうにもできない。
これは、私――天ヶ瀬有栖が、六歳のときに理解した、悲しい事実。
「昨日のパーティーで着ていたドレス、とても素敵だったわ。どこで仕立てたの?」
「外国から取り寄せたものなの。仮縫いが三回あって、ちょっと面倒だったんだけど」
「わかる。時間かかるのよね」
アイボリーの壁が映える広々とした教室では、数人の生徒が落ち着いた声で、こんな会話を繰り返している。
「有栖ちゃん、おはよう。今日の髪飾り、とっても可愛い!」
隣の席の藤崎朱里が、私のつけているパールのアクセサリーを指差した。
「ありがとう。お父様がお土産でくれたんだ」
そう微笑んで答えると、口角がほんの少し引きつる。
退屈だな……。
私は何度目かわからないその気持ちを、胸の奥に押し留めた。
私の通う私立セレスティア学園は、面白いくらいに穏やかだ。
なぜなら、通っている生徒は皆、私を含め幼稚園の頃からセレスティアに在籍している、超がつくほどの“お金持ち”ばかりだから。
中庭では噴水が水しぶきを煌めかせ、講堂にはダイヤモンドのついたシャンデリアがぶら下がっている。毎朝の校門には、黒塗りの大きな車が何台も連なり、列を作る。
会話の内容も、学園生活も、波風の立たない落ち着いたものだ。
父は大企業の社長で、母と共に私を溺愛し、家でも学園でも、今まで何不自由ない暮らしをしてきた。
けれど、そんな日々だって、飽きてしまう。
だって、何も起こらないもの!
いつの日か、こっそり読んだ漫画のように、放課後に寄り道して安い駄菓子屋に行ったり、お互いの家を行き来してお喋りしたり――そんなことは全部、夢だった。
駄菓子屋に行かなくたって、執事に頼めば駄菓子は出てくるし、家に行かなくても、毎日のように開かれるパーティーで顔を合わせる。
だけど、それって、すごく虚しいことを私は知っている。
「このバッグとこっちのバッグ、どっちがいいと思う?」
朱里に、宝石をふんだんに散りばめた鞄を見せられながら、私はずっとそんなことを考えていた。
一度でいいから、お金や家柄に関係ない会話をしてみたい――そんな願いは、ずっと叶えられないままだ。
「きゃっ」
教科書を取りに行こうと立ち上がったところで、運悪くバランスを崩し、私は尻もちをついた。
「大丈夫? 天ヶ瀬さん」
頭上から声がした、と思ったら、このセレスティアでは珍しい、中等部からの編入生――白凪朔斗くんが、私に手を伸ばしていた。
「ごめんね、ありがとう」
手を握って立ち上がると、サファイアのようなダークブルーの瞳が、真っ直ぐ私を見つめていて、思わず胸がどきりとした。
セレスティアってどうしても女子生徒が多いから、男子生徒をこんなに近くで見るの、初めて。
・・・わっ、まつ毛、長い。
白凪くんは私の手を離すと、すぐに自分の席へ戻り、本を開いた。
今年初めて同じクラスになった彼は、編入生だからなのか、周りと付き合うことなく、いつも一人でいる。
ダークブルーに心を惹かれ、思わず白凪くんを見つめていると、窓から入った風が彼の長い前髪を払い、瞳をあらわにした。
――ぞくり。
その瞬間、得体の知れない違和感が、背筋をなぞった。
なに? この、おかしな感覚。
「有栖ちゃん? どうしたの。一緒にバッグ見ようよ」
朱里が私の目の前に携帯電話を差し出す。すると、ぱっと弾けたように、違和感は消えた。
「・・・ううん、なんでもない。私はこっちのデザインが繊細で好きだな」
なんだったんだろう。
そう思いながらも、私は朱里との鞄談義へと戻る。
前髪の間から覗くダークブルーが、妖しげに輝き、私を見つめていた――。
昼休みになっても、朱里は相変わらずブランドバッグのウェブサイトを見ている。
「有栖ちゃんがこの前持ってたのって、ジオールの新作だよね? 有栖ちゃんのところの外商さん、いつも仕事が早くて羨ましい!」
「お母様がジオールの大ファンだから、毎日のように家に来られて、迷惑してるだけよ」
「そうなの? うちもパパお気に入りの宝石商さんが頻繁に来るんだけど、鞄のほうがいいな」
そう言って朱里は、指を彩るピンクダイヤモンドを撫でた。
――その時だった。
しゃらん。
教室の外から、この学園には似合わない、古びた鈴のような音が聞こえた。
「でね、この新作が――」
・・・私にだけ、聞こえているの?
音のする方に顔を向けると、またもや白凪くんの姿があった。しゃらしゃらと音を鳴らしながら制服を翻し、教室を出て行く。
周りのクラスメイトは、誰一人気にしていない。
こんなにも鈴の音が鳴っているのに?
急いでいるみたいだけど、古びた鈴を持って、どこへ行くんだろう。
鞄を眺めている朱里に言い訳をし、私は同じように教室の外へ出た。
あっちに行くってことは、もしかして……旧校舎?
だけど、旧校舎は使われなくなってから、ずっと立入禁止だ。
謎の違和感に、古びた鈴、そして旧校舎。
これら三つと白凪くんを繋ぐ何かが、あるのかもしれない。
不思議な出来事だって、私の退屈な日々に舞い込めば、きっと楽しいものに見えてくる。
だって、すでに私はわくわくしているから!
追いかけて、聞いてみよう。
私の答えは、すぐに決まった。
そう思い立つや否や、私は白凪くんの後をこっそりと着いて行く。
行き先は――やっぱり、旧校舎みたいだ。
旧校舎は、建物自体がとても古い。
一歩踏み出すだけで床がきしみ、このまま抜けてしまうんじゃないかと、冷や汗をかいた。
白凪くんは、足音を立てずに廊下を進み、ある教室の前で立ち止まった。
私は近くの扉に隠れ、様子を伺うことにした。
教室の中で、彼は制服の内側から、小さな鈴を取り出した。
昼に聞こえた、あの古びた音の正体。
一体何に使うんだろう・・・。
白凪くんは目を閉じ、鈴を静かに揺らした。
しゃらん。
たったそれだけなのに、空気が震えた。
教室の隅、光の届かない場所が、ゆっくりと歪む。
影が、影でなくなっていく。
私の知っている学園とは、まるで別の場所みたいだった。
「なに、あれっ・・・」
思わず、息を呑んだ。
姿は見えなくても、気配を感じられる"それ"は、ぼんやりと教室の中心へ集まり、大きな黒い塊へと変わる。
教室の外までもびりびりと空気を震わせるほどの力を持つ、人ではない、何か。
目が、離せなかった。
いまだ教室の中心に居続ける白凪くんは、顔色一つ変えず、塊に向き合っている。
そして鈴を眼前に構え、更に一歩近づいた。
彼は一体、何をしようって言うの__?
しゃらん、しゃらん。
音が重なるたび、胸の奥がざわつく。
今朝感じたあのぞくりとした違和感が、今度ははっきりと身体を走った。
鈴が高く鳴った瞬間、塊が霧のようにほどけていく。
音も、力も、すっと消えた。
静寂。
まるで、最初から何もなかったみたいに。
白凪くんは、深く息を吐き、ゆっくりと振り返った。
そして——私と、目が合う。
ダークブルーの瞳が、私の瞳を射抜いた。
「・・・」
言葉は無かった。
「何、してたの?」
ぽつりと呟くように聞けば、
「・・・除霊」
その一言だけが返ってきた。
これは、私――天ヶ瀬有栖が、六歳のときに理解した、悲しい事実。
「昨日のパーティーで着ていたドレス、とても素敵だったわ。どこで仕立てたの?」
「外国から取り寄せたものなの。仮縫いが三回あって、ちょっと面倒だったんだけど」
「わかる。時間かかるのよね」
アイボリーの壁が映える広々とした教室では、数人の生徒が落ち着いた声で、こんな会話を繰り返している。
「有栖ちゃん、おはよう。今日の髪飾り、とっても可愛い!」
隣の席の藤崎朱里が、私のつけているパールのアクセサリーを指差した。
「ありがとう。お父様がお土産でくれたんだ」
そう微笑んで答えると、口角がほんの少し引きつる。
退屈だな……。
私は何度目かわからないその気持ちを、胸の奥に押し留めた。
私の通う私立セレスティア学園は、面白いくらいに穏やかだ。
なぜなら、通っている生徒は皆、私を含め幼稚園の頃からセレスティアに在籍している、超がつくほどの“お金持ち”ばかりだから。
中庭では噴水が水しぶきを煌めかせ、講堂にはダイヤモンドのついたシャンデリアがぶら下がっている。毎朝の校門には、黒塗りの大きな車が何台も連なり、列を作る。
会話の内容も、学園生活も、波風の立たない落ち着いたものだ。
父は大企業の社長で、母と共に私を溺愛し、家でも学園でも、今まで何不自由ない暮らしをしてきた。
けれど、そんな日々だって、飽きてしまう。
だって、何も起こらないもの!
いつの日か、こっそり読んだ漫画のように、放課後に寄り道して安い駄菓子屋に行ったり、お互いの家を行き来してお喋りしたり――そんなことは全部、夢だった。
駄菓子屋に行かなくたって、執事に頼めば駄菓子は出てくるし、家に行かなくても、毎日のように開かれるパーティーで顔を合わせる。
だけど、それって、すごく虚しいことを私は知っている。
「このバッグとこっちのバッグ、どっちがいいと思う?」
朱里に、宝石をふんだんに散りばめた鞄を見せられながら、私はずっとそんなことを考えていた。
一度でいいから、お金や家柄に関係ない会話をしてみたい――そんな願いは、ずっと叶えられないままだ。
「きゃっ」
教科書を取りに行こうと立ち上がったところで、運悪くバランスを崩し、私は尻もちをついた。
「大丈夫? 天ヶ瀬さん」
頭上から声がした、と思ったら、このセレスティアでは珍しい、中等部からの編入生――白凪朔斗くんが、私に手を伸ばしていた。
「ごめんね、ありがとう」
手を握って立ち上がると、サファイアのようなダークブルーの瞳が、真っ直ぐ私を見つめていて、思わず胸がどきりとした。
セレスティアってどうしても女子生徒が多いから、男子生徒をこんなに近くで見るの、初めて。
・・・わっ、まつ毛、長い。
白凪くんは私の手を離すと、すぐに自分の席へ戻り、本を開いた。
今年初めて同じクラスになった彼は、編入生だからなのか、周りと付き合うことなく、いつも一人でいる。
ダークブルーに心を惹かれ、思わず白凪くんを見つめていると、窓から入った風が彼の長い前髪を払い、瞳をあらわにした。
――ぞくり。
その瞬間、得体の知れない違和感が、背筋をなぞった。
なに? この、おかしな感覚。
「有栖ちゃん? どうしたの。一緒にバッグ見ようよ」
朱里が私の目の前に携帯電話を差し出す。すると、ぱっと弾けたように、違和感は消えた。
「・・・ううん、なんでもない。私はこっちのデザインが繊細で好きだな」
なんだったんだろう。
そう思いながらも、私は朱里との鞄談義へと戻る。
前髪の間から覗くダークブルーが、妖しげに輝き、私を見つめていた――。
昼休みになっても、朱里は相変わらずブランドバッグのウェブサイトを見ている。
「有栖ちゃんがこの前持ってたのって、ジオールの新作だよね? 有栖ちゃんのところの外商さん、いつも仕事が早くて羨ましい!」
「お母様がジオールの大ファンだから、毎日のように家に来られて、迷惑してるだけよ」
「そうなの? うちもパパお気に入りの宝石商さんが頻繁に来るんだけど、鞄のほうがいいな」
そう言って朱里は、指を彩るピンクダイヤモンドを撫でた。
――その時だった。
しゃらん。
教室の外から、この学園には似合わない、古びた鈴のような音が聞こえた。
「でね、この新作が――」
・・・私にだけ、聞こえているの?
音のする方に顔を向けると、またもや白凪くんの姿があった。しゃらしゃらと音を鳴らしながら制服を翻し、教室を出て行く。
周りのクラスメイトは、誰一人気にしていない。
こんなにも鈴の音が鳴っているのに?
急いでいるみたいだけど、古びた鈴を持って、どこへ行くんだろう。
鞄を眺めている朱里に言い訳をし、私は同じように教室の外へ出た。
あっちに行くってことは、もしかして……旧校舎?
だけど、旧校舎は使われなくなってから、ずっと立入禁止だ。
謎の違和感に、古びた鈴、そして旧校舎。
これら三つと白凪くんを繋ぐ何かが、あるのかもしれない。
不思議な出来事だって、私の退屈な日々に舞い込めば、きっと楽しいものに見えてくる。
だって、すでに私はわくわくしているから!
追いかけて、聞いてみよう。
私の答えは、すぐに決まった。
そう思い立つや否や、私は白凪くんの後をこっそりと着いて行く。
行き先は――やっぱり、旧校舎みたいだ。
旧校舎は、建物自体がとても古い。
一歩踏み出すだけで床がきしみ、このまま抜けてしまうんじゃないかと、冷や汗をかいた。
白凪くんは、足音を立てずに廊下を進み、ある教室の前で立ち止まった。
私は近くの扉に隠れ、様子を伺うことにした。
教室の中で、彼は制服の内側から、小さな鈴を取り出した。
昼に聞こえた、あの古びた音の正体。
一体何に使うんだろう・・・。
白凪くんは目を閉じ、鈴を静かに揺らした。
しゃらん。
たったそれだけなのに、空気が震えた。
教室の隅、光の届かない場所が、ゆっくりと歪む。
影が、影でなくなっていく。
私の知っている学園とは、まるで別の場所みたいだった。
「なに、あれっ・・・」
思わず、息を呑んだ。
姿は見えなくても、気配を感じられる"それ"は、ぼんやりと教室の中心へ集まり、大きな黒い塊へと変わる。
教室の外までもびりびりと空気を震わせるほどの力を持つ、人ではない、何か。
目が、離せなかった。
いまだ教室の中心に居続ける白凪くんは、顔色一つ変えず、塊に向き合っている。
そして鈴を眼前に構え、更に一歩近づいた。
彼は一体、何をしようって言うの__?
しゃらん、しゃらん。
音が重なるたび、胸の奥がざわつく。
今朝感じたあのぞくりとした違和感が、今度ははっきりと身体を走った。
鈴が高く鳴った瞬間、塊が霧のようにほどけていく。
音も、力も、すっと消えた。
静寂。
まるで、最初から何もなかったみたいに。
白凪くんは、深く息を吐き、ゆっくりと振り返った。
そして——私と、目が合う。
ダークブルーの瞳が、私の瞳を射抜いた。
「・・・」
言葉は無かった。
「何、してたの?」
ぽつりと呟くように聞けば、
「・・・除霊」
その一言だけが返ってきた。
