勝手に覗いて幻滅すんなよ

 次の日、馴染みのないアラームで起きた。

 一瞬、何の音か分からず、微睡(まどろみ)に包まれたままだったが、カーテンから射し込む朝陽で意識が覚醒(かくせい)する。

 朝には強い方だ。ぱちっと()えた頭で、状況を理解する。

 そうだ、スマホの中身が燿のものになってしまっているのなら、アラームだって燿が設定している音になっているはず。

 ベッドから()いずり出て、アラームを止める。自分の端末なのに、他人のスマホをいじっているような不思議な感覚は、一晩経()っても拭えないままだった。

 LINEを開く。昨日送ったメッセージは相変わらず未読のまま。いつもは即レスの織音さえ、沈黙していた。昨日は(すで)に寝てしまっていて、まだ起きていないのだろうか。

 まあ、いい。今日は日曜日だけど、コンクールの〆切が近いから部活があるのだ。その時に直接()いてみればいいだろう。

 余裕のある朝食の時間も、通学時のバスの中も、とても退屈だった。思えば、いつもスマホをいじって過ごしている時間だ。SNSを眺めたり、アプリで漫画を読んだりしていれば一瞬で過ぎてしまうのに。

 車内をぐるりと見渡せば、乗客のほぼ全員がスマホに目を落としていた。優先席に座る老人だけが、窓の外をぼんやりと眺めている。

 いつも通りの当たり前な光景なのに、胡桃は言葉で言い表せない気持ち悪さに包まれた。

 大勢が今この瞬間、意識を小さな端末の画面に落とし込んで、有限の人生の一部をそこに刻んでいる。大()()な物言いかもしれないけれど、手元に他人のスマホの中身があるとやけにそう思える。

 意味もなく手に持ったスマホにそっと目を落とす。サイドボタンをカチッと押せば、画面が明るくなり、未だ見慣れないホーム画面が浮かび上がる。

 つい、そのまま画面に指を滑らせそうになり、慌てて鞄の中にスマホを押し込んだ。

 「はぁ……」

 昨日、少しだけ見てしまった燿の写真フォルダには、当然だけど胡桃の知らない燿の残した記録が詰まっていた。LINEだってそうだ。ずらりと並んだトーク履歴を遡れば、燿が普段どんな人と、どんな会話をしているのかが分かってしまう。

 漫画アプリを開けばどんな種類の漫画を好んでいるのかが分かるし、SNSを開けば秘密にしている趣味に関するアカウントが見つかるかもしれない。

 スマホの中身を見るだけで、その人の性格や好み、自分だけの秘密にしておきたいことなんかが全部丸分かりになってしまうのだ。

 パスワードでロックがかけられるから、誰にも見られることがない。その保険に頼り切って、みんな色々と詰め込んでいるんじゃないかな。

 陽炎(かげろう)が揺らぐ窓の外を眺めて、胡桃は漠然(ばくぜん)とそう思った。

 学校に着いて美術室へと向かうと、織音と凪、龍之介の三人が集まって話している姿が目に留まった。今日は燿が家の用事で休みだと事前に聞いていたし、どうやら胡桃が一番遅くなったらしい。

 「おはよう、みんな今日は早いね」

 それに、龍之介がみんなといるのは珍しいことだ。しかし、三人の表情はどこか冴えない。室内には、ぴりっとした空気が漂っていた。

 「胡桃おはー。ねぇ、胡桃のスマホはどう?」

 「えっ……?」

 織音に突然訊かれ、理由も分からず鼓動が速くなる。

 「あたしたちのスマホ、みんな使えなくなっちゃってんのよ。だから、胡桃はどうかなって」

 三人が囲んだ卓上には、それぞれのスマホが置かれている。そのどれも画面が真っ暗で沈黙をかざしていた。

 スマホが変になったのは胡桃だけじゃなかったということだろう。それにしても、使えないってどういうことだろうか。

 胡桃だけがみんなとは少し違う状況に、どう告げたものか悩んでいると、龍之介が不満の(こも)った重いため息を()く。

 「だから、染井が送った変なサイトのせいだろ」

 「そんなん分かってるって。だから、胡桃にも訊いてんじゃん」

 (にら)み合う織音と龍之介。きっと、胡桃が来る前にもひと(もん)(ちゃく)があったのだろう。

 「ったく、どうすんだよ、スマホが使えないの困んだけど」

 「あたしだって一緒だってば。つか、みんな一緒だっつーの」

 織音は龍之介から目を離し、こちらに向き直る。

 「二人とも、ごめんね。昨日送ったサイト、多分ウイルスとかそっち系のヤバいやつだった……」

 申し訳なさそうに謝る織音に、胡桃は首を横に振った。

 「ううん、染井さんのせいじゃないよ。いつもこういうの任せちゃってる私たちの責任でもあるし」

 「ぼ、僕もサイトの説明とか全然見てなかった……」

 ウイルスやフィッシングサイト。そんなものにまさか自分たちが引っかかるなんて一切考えていなかった。そういうのはネットに本当に(うと)い年配の人たちだけのものだと思っていたから、実際に被害を受けたのだと遅れて自覚が芽生える。

 「それに、私のスマホはしばらく電源が入らなくて、壊れたかなと思ったけど、その後にちゃんと再起動したよ。だから、みんなの端末もそのうち直るんじゃないかな」

 「えっ!? 本当!?」

 前のめりに迫る織音に、胡桃は柔らかく微笑んで続ける。

 「でもね、何かおかしなことになっちゃっ――」

 「すみません、遅くなりましたね」

 会話を遮るように、横渕先生が慌てて美術室へ入ってくる。

 「ん? どうしましたか、みなさん。部活動、始めますよ」

 顔を見合わせる胡桃たちに、横渕先生が不思議そうに首を傾げる。

 「よっち先生、スマホ壊れた~。しかも、全員。最悪っしょ」

 「それは災難でしたね。でも、部活にスマホは必要ありませんから。ほら、みんな席に着いて自分の作品づくりに取りかかってくださいね」

 横渕先生は手をパンっと叩く。それは、これ以上会話を続ける気のない意思表示だ。

 「ちぇー、よっち先生冷たい」

 いつもの調子に戻った織音に、胡桃はほっと息を吐く。しょんぼりしている織音より、こうして空気を明るくしてくれる織音の方が胡桃は好きだ。

 しかし、肝心のスマホの中身が燿のものになってしまっていることは、燿が休みということもあって話せずじまいだった。

 胡桃以外の三人のスマホが使えなくなっているということは、恐らく燿のスマホも同様に使えなくなっている可能性が高いのではないだろうか。それなら、全員集まっている時に話した方がいいだろう。

 どうせ明日も部活だし、その時に伝えよう。

 ふと燿の写真フォルダの中身が脳裏に蘇り、胡桃は小さくため息を吐いた。