勝手に覗いて幻滅すんなよ

 夏休みに入ってしばらくした頃、母に横渕先生とのことがバレた。

 スマホの中身も毎日母に確認されていたので、横渕先生との連絡には簡単にバレないようにLINEは使っていなかったのに。まさか、PayPayでのやり取りまで見られるなんて思ってもいなかった。

 「ねぇ、これなぁに……?」

 母の感情のない声に、足がガクガクと震えた。次の瞬間には髪を掴まれ、靴を脱ぐことも叶わず、そのままリビングまで引きずられる。

 「お母さん……。ご、ごめんなさい……っ」

 横渕先生とのやり取りには、テストの問題用紙のことも書かれていた。だから、不正をしていたことも母に知られてしまった。

 これから自分の身に降りかかる苦痛を想像して、吐き気が込み上がる。何回も殴られ、夜通しただ勉は免れないだろう。明日は部活も休みだし、下手したら丸々一日ということも考えられる。

 「どうしてお母さんのことをいっぱい苦しめるの?」

 床に敷かれた(じゅう)(たん)に、銀色の刃が胡桃の鼻先を掠めて突き刺さる。ひゅっ、と喉から変な声が漏れた。

 包丁を取り出されたのは初めてだ。もしかしたら、今日胡桃は殺されるのかもしれない。本気でそう思った。

 四つん這いで動きを固める胡桃の腹を母は勢いよく蹴り上げる。鈍い呻き声が零れ、知らぬ間に口の中を切ったのだろう、赤い唾液が絨毯に滴った。

 その後も、数えきれない程蹴られ、殴られ。痛みに意識が遠のけば、また別の痛みで意識が覚醒する。

 「ねえ、あなた……聞いてるの?」

 そっか、もう名前も呼んでくれないんだ……。

 胡桃を見下ろす母の目は、もう胡桃を見てなんかいない。

 兄が死んでから、母は本当におかしくなってしまった。夜中に奇声を発することが度々あったし、いつも目が虚ろで焦点が定まっていないように見える。なぜか毎回三人分のご飯を用意するし、兄の誕生日には一人でホールケーキを前にして、嬉しそうに虚空に向けてお祝いの言葉を投げかけていた。

 母は本当に何かに取り憑かれているみたいだった。

 だから、何をされてもおかしくない。そう思った。

 「ごめんなさい……。ご、めんなさい…………」

 ただ、そうやって懇願するしか胡桃に()す術はなかった。

 「どうしてあの子が死んで、この子が生きているの……」

 母は泣き崩れながら言った。床に倒れる胡桃の目の前に、母が持っていた包丁が転がり落ちる。

 銀色の刃に反射する自分の顔をそっとなぞった。

 兄なら胡桃のやったことを怒るだろうか。

 それとも、褒めてくれるかな……。

 でも、兄が生きていてくれたら、胡桃は身体を売るような真似はしなかったと思う。そもそも、今頃は二人で一緒に東京で暮らしていたはずなのに。

 じんわりと涙が溢れてきた。

 会いたいなぁ。

 そう願っても、永遠に叶わない。だから、せめて胡桃は精いっぱい生きるしかない。兄の分まで、何が何でも。

 「そうだよね、お兄ちゃん……」

 眼前に転がる包丁を手に取る。

 そして、顔を覆ってむせび泣く悪魔に向けて、胡桃は刃を振り下ろした。

 その日の(うし)()(どき)、胡桃は横渕先生にメッセージを送った。

 【私たちの関係、バレたら先生困りますよね? ちょっと、協力してほしいことがあります】

 【安心してください、ただのゴミ捨てなので】

 床に転がる血の付いた包丁と母だったものを眺め、日記を書いた。