勝手に覗いて幻滅すんなよ

 教室のドアを開くと、美術室特有の絵具や溶剤の匂いが鼻を衝いた。

 燿と凪、龍之介の三人が、揃って胡桃と織音に目を向ける。奇しくも、強張らせたみんなの表情は同じ感情を滲ませているように思えた。

 「遅いっすよ」

 沈黙を燿が破る。今日の彼は少し不機嫌そうに見えた。昨日までの悦楽を浮かべる燿はそこにはいない。

 「ごめんね。染井さんと少し話していて」

 胡桃がそう言うと、燿はわざとらしく鼻を鳴らし、やっぱり機嫌悪そうにしてそれ以上は何も言わなかった。

 「凪くんも、龍之介先輩も、来てくれてありがとう」

 二人に目を向けると、凪は戸惑いがちに視線を逸らし、龍之介はそっとスマホを取り出した。

 「いいのかよ、本当に」

 龍之介が訝しげに言う。胡桃の秘密を既に知っている彼は、最後の逃げる選択肢を胡桃に与えてくれたのだろう。

 やっぱり、龍之介は優しい人だ。

 「はい。約束ですから。みんなが勇気を出して、今日ここに集まってくれた。だから、私もみんなと本当の意味で繋がりたい」

 怖くないと言えば、嘘になる。服を()げ、というより、はらわたを見せろと言われているようだ。内の内、胡桃の奥底に眠る触れられたくない場所を晒すことに、心臓から金切り音が聞こえてきそうだった。

 スマホを手に取り、ある画面を表示して全員が見えるように机の上に戻す。

 龍之介以外が固唾を呑んでスマホの画面を覗き込んだ。

 「何ですか? この画面」

 燿の質問に誰も答えない。しかし、ややあって凪が小さく呟く。

 「スクリーンタイム……」

 「スクリーンタイム?」

 燿の反芻(はんすう)に凪は恐る恐る説明をする。

 「ア、アプリの使用時間とかをまとめて表示してくれる機能……」

 「ふーん。で、これが何なんすか」

 スマホの画面を食い入るように見つめる燿は、しばらくして何かに気が付いたのか、眉根を寄せた。

 「PayPayの起動時間長くないっすか? 週に四時間って。普通、支払いの時だけ起動するもんでしょ」

 使用時間順にアプリのアイコンがずらりと並んだ中で、燿が見つけた違和感にきゅっと心臓が縮む。

 誰も胡桃に説明を求めなかった。それは優しさか、あるいは残酷さに繋がる。それでも、胡桃がこうしたのには理由があった。少しずつ、紐解くように秘密を暴いてしまった凪や燿、龍之介に対する勝手な償い。けじめのようなものだ。

 きっと胡桃の秘密がバレるとすれば、ここからだから。

 誰が言うのでもなく、燿がスマホの画面に触れ、PayPayを開いた。そして、ホーム画面で燿の指が止まる。

 「送金画面……」

 胡桃は独り言のように呟く。

 時間をかけたいわけではないのだ。あくまでも、今の時間は本題に入る前の前座。胡桃がみんなと同じ場所に立つための時間だから。

 燿は胡桃に一瞬視線を寄こして、言われた通り送金画面を開く。すると、他者とのやり取りが履歴で一覧として表示される。その一番上のユーザー名を見て、胡桃は口を閉ざした。

 「……なるほど、LINEとかインスタのDMじゃ、誰かにバレるかもしれない。だけど、PayPayの送金画面のトークなら簡単には気が付けないっすね」

 もちろん、燿もすぐに気が付いて、真っ先にその人とのやり取りを開いた。LINEのようなトーク画面が表示される。

 【十八時半頃に上がれると思います。迎えはいりますか?】

 【大丈夫です。いつも通り、家に行きます】

 【分かりました。くれぐれも知り合いに見つからないように】

 【はい、先生もお気を付けて】

 どうしてか、ざわついていた胸中が突然落ち着く。もう逃げられない、言い訳のしようがないところまで見られてしまったからだろうか。

 四人の視線が胡桃に突き刺さる。今、みんなは何を思い、胡桃からの説明を待っているのだろう。

 奇妙な静けさに包まれた美術室で、胡桃は自らの首を絞めるようにゆっくりと話し始めた。