◇
病室を後にして、すぐに声をかけられた。
「龍之介先輩……」
とても嫌な予感がした。廊下の隅に胡桃の姿があった。院内の、それも数ある病室の端の方だというのに。これが偶然ではないことくらい、すぐに分かる。
「後付けてたのかよ。趣味わりぃって」
村田さんに会話を聞かれたくなくて歩き出すと、胡桃も俯きがちに横を歩く。
「そんなつもりじゃなくて。いえ、追いかけていたのはそうなんですけど。人が少ないところで声をかけようと思ったら、病院に入っていったから……」
「ふーん……」
それから、病院を出るまでは二人とも言葉を発さなかった。そもそも、龍之介には胡桃と話すことなんて一つもない。
暑い日だ。陽も落ちかけているというのに、蝉の鳴き声がそこかしこから聞こえる。まだ逃がさない。そう言われているみたいだった。
「病室の会話、聞いてました」
ぽつりと胡桃が呟く。
「だから、何?」
「龍之介先輩が老人に暴力を振るったっていうの、勘違いだったんですね。それなのに私は……」
「なあ、本当に会話聞いてたのかよ。ちゃんと言ったよな。俺が村田さんを怪我させたって。……燿だって、俺のせいでああなっちまったんだよ。全部、俺のせいだ」
間違ったことは言っていない。俺の存在が、みんなを不幸にする。
逃げるように少し足を速めると、胡桃に腕を掴まれた。振りほどけばいいだけなのに、龍之介は反射的に動きを止めてしまった。
嫌な奴になり切るのは案外難しい。
「龍之介先輩にだけ、先に見せてもいいです。――私の秘密にしておきたかったこと」
そう言い、胡桃は龍之介にスマホを差し出す。
明るいその画面に映った胡桃の秘密を見て、龍之介は無意識に喉を鳴らしていた。
「なんだよ、これ……」
胡桃とスマホを忙しなく見比べてしまう。龍之介の知る胡桃からは想像も付かない内容だった。
「ど、どうせ適当にでっち上げたもんだろ? だって、」
眼前の一人の優等生に、龍之介は言葉を詰まらせる。彼女の瞳がまっすぐに龍之介を捉えていた。嘘は言っていないと念を押されているみたいだ。
結局、龍之介は押し切られるように大きく息を吐く。
まさか、胡桃にこんな秘密があったなんて……。
「それを見せれば、俺がお前らと話し合うとでも?」
「違います。ただ、知ってほしかっただけです。過去の私はこんなことをしてでも、もう傷付きたくなかった」
きっと、胡桃には龍之介が誰かに傷付けてほしいと切望していることがバレている。でなければ、わざわざ自らの秘密を打ち明けてまで、龍之介にこんなことを言わないだろう。
「龍之介先輩が帰った後、燿くんが話してくれました。彼の足のこと、龍之介先輩と燿くんの関係のこと。その話と、先程の病室での会話で分かりました。龍之介先輩も、絶対に燿くんやみんなと本音でぶつかり合うべきです」
そう言った胡桃の姿は、堂々たるものだった。自分の醜態を打ち明けて、どうしてまだ彼女はそんな姿でいられるのだろう。
「燿とは……絶対に話さねぇ」
「それは逃げているだけです。みんな、傷付きたくないなんて一言も言っていません。傷付け合いましょうって、私は言ってるんです」
「そ、それに何の意味があるってんだよ! 俺はもう誰かを傷付けることなんてしたくない……!」
思わず本音が零れ落ちる。
これ以上、後悔を増やさせないでほしい。それなのに、どうして胡桃はここまで食い下がるのだろうか。
「恵まれているあなたが、恵まれなかった私に対して、そんなこと言わないでください。そんなの優しさじゃないです。一方的に刃を振るうことが、どれだけ後悔として残り続けるのか、龍之介先輩が一番知っているはずなのに。あなたは燿くんにこれ以上の深い傷を負わせるんですか? 彼に一方的に刃を振るえって、言えるんですか?」
何も言い返せなかった。心の内を全て胡桃に見透かされているんじゃないかと思った。
「互いに傷付けないように隠してきた結果がこれなんですよ。それなら、私たちは傷付け合わないと前に進めない」
「……っ」
胡桃が龍之介にスマホを押し付ける。
「預けておきます。私が何も消さないって証明するために。だから、明日また学校で会いましょう」
胡桃に渡されたスマホは、やけに重たく感じた。
病室を後にして、すぐに声をかけられた。
「龍之介先輩……」
とても嫌な予感がした。廊下の隅に胡桃の姿があった。院内の、それも数ある病室の端の方だというのに。これが偶然ではないことくらい、すぐに分かる。
「後付けてたのかよ。趣味わりぃって」
村田さんに会話を聞かれたくなくて歩き出すと、胡桃も俯きがちに横を歩く。
「そんなつもりじゃなくて。いえ、追いかけていたのはそうなんですけど。人が少ないところで声をかけようと思ったら、病院に入っていったから……」
「ふーん……」
それから、病院を出るまでは二人とも言葉を発さなかった。そもそも、龍之介には胡桃と話すことなんて一つもない。
暑い日だ。陽も落ちかけているというのに、蝉の鳴き声がそこかしこから聞こえる。まだ逃がさない。そう言われているみたいだった。
「病室の会話、聞いてました」
ぽつりと胡桃が呟く。
「だから、何?」
「龍之介先輩が老人に暴力を振るったっていうの、勘違いだったんですね。それなのに私は……」
「なあ、本当に会話聞いてたのかよ。ちゃんと言ったよな。俺が村田さんを怪我させたって。……燿だって、俺のせいでああなっちまったんだよ。全部、俺のせいだ」
間違ったことは言っていない。俺の存在が、みんなを不幸にする。
逃げるように少し足を速めると、胡桃に腕を掴まれた。振りほどけばいいだけなのに、龍之介は反射的に動きを止めてしまった。
嫌な奴になり切るのは案外難しい。
「龍之介先輩にだけ、先に見せてもいいです。――私の秘密にしておきたかったこと」
そう言い、胡桃は龍之介にスマホを差し出す。
明るいその画面に映った胡桃の秘密を見て、龍之介は無意識に喉を鳴らしていた。
「なんだよ、これ……」
胡桃とスマホを忙しなく見比べてしまう。龍之介の知る胡桃からは想像も付かない内容だった。
「ど、どうせ適当にでっち上げたもんだろ? だって、」
眼前の一人の優等生に、龍之介は言葉を詰まらせる。彼女の瞳がまっすぐに龍之介を捉えていた。嘘は言っていないと念を押されているみたいだ。
結局、龍之介は押し切られるように大きく息を吐く。
まさか、胡桃にこんな秘密があったなんて……。
「それを見せれば、俺がお前らと話し合うとでも?」
「違います。ただ、知ってほしかっただけです。過去の私はこんなことをしてでも、もう傷付きたくなかった」
きっと、胡桃には龍之介が誰かに傷付けてほしいと切望していることがバレている。でなければ、わざわざ自らの秘密を打ち明けてまで、龍之介にこんなことを言わないだろう。
「龍之介先輩が帰った後、燿くんが話してくれました。彼の足のこと、龍之介先輩と燿くんの関係のこと。その話と、先程の病室での会話で分かりました。龍之介先輩も、絶対に燿くんやみんなと本音でぶつかり合うべきです」
そう言った胡桃の姿は、堂々たるものだった。自分の醜態を打ち明けて、どうしてまだ彼女はそんな姿でいられるのだろう。
「燿とは……絶対に話さねぇ」
「それは逃げているだけです。みんな、傷付きたくないなんて一言も言っていません。傷付け合いましょうって、私は言ってるんです」
「そ、それに何の意味があるってんだよ! 俺はもう誰かを傷付けることなんてしたくない……!」
思わず本音が零れ落ちる。
これ以上、後悔を増やさせないでほしい。それなのに、どうして胡桃はここまで食い下がるのだろうか。
「恵まれているあなたが、恵まれなかった私に対して、そんなこと言わないでください。そんなの優しさじゃないです。一方的に刃を振るうことが、どれだけ後悔として残り続けるのか、龍之介先輩が一番知っているはずなのに。あなたは燿くんにこれ以上の深い傷を負わせるんですか? 彼に一方的に刃を振るえって、言えるんですか?」
何も言い返せなかった。心の内を全て胡桃に見透かされているんじゃないかと思った。
「互いに傷付けないように隠してきた結果がこれなんですよ。それなら、私たちは傷付け合わないと前に進めない」
「……っ」
胡桃が龍之介にスマホを押し付ける。
「預けておきます。私が何も消さないって証明するために。だから、明日また学校で会いましょう」
胡桃に渡されたスマホは、やけに重たく感じた。



