◇
織音という名前の由来が、冬の星座であるオリオン座ということは説明するまでもないだろう。
問題は、なぜこんなキラキラネームを付けられたのか、だ。
理由を訊けばふざけたもので、織音の生まれた日付――10月21日がオリオン座流星群の極大日だったかららしい。たまたま病室から見えた流れ星が綺麗で、運命だと思った、だってさ。笑える。何てお粗末で、子供みたいな発想なのだろう。
陳腐な理由で我が子に名付けをした両親は、織音が物心のついた頃には既に険悪な仲だった。元々、田舎によくある、交際して間もない頃のできちゃった婚という背景を聞けば、納得のいくものだ。
でき婚は大抵別れる、というのが田舎では常識。そんなの当たり前だ。誰も驚きやしない。互いの人生を思えば慎重になって当然なのに、欲に流されて、避妊を疎かにして。自制も利かない愚かな人間が、他人の人生を背負って生きていけるものか。
ただ幸いだったことに、両親が互いに抱く不満の矛先が織音に向くことはなかった。代わりに、愛情も向けられることがなかった。
欲しいものは何でも買ってもらえたし、怒られることも一切なかった。ただし、これを織音が愛情だと受け取れないのには理由がある。
朝ご飯には母が織音の好きな果物をいつもたくさん出してくれたし、父は小学校まで送迎をしてくれた。学校が終わって家に帰れば、毎日のように母がケーキを用意していたし、父は織音の欲しがる本やおもちゃを度々買って帰ってきた。
休日は、時には母が観劇に連れて行ってくれたし、時には父が遊園地に連れて行ってくれる。
でも、織音は両親と三人でどこかに出かけたことはなかった。決まっていたのか、暗黙の了解だったのか、織音はいつも必ず交互に両親のどちらかと出かける。
よく考えれば、平日だって何ら変わらない。母がご飯で機嫌を取れば、父は送迎で対抗する。父がおもちゃを買ってくれれば、母は洋服を買ってくれる。
要するに、両親は織音の点数を稼ぐことで必死だったのだ。
織音はお母さんのこと好きだよね? お父さんの方が織音のこと愛してるよ。
何度聞いたか分からない醜悪な言葉。そこに、織音への愛情など一ミリもない。
結局、両親は織音を見ていたわけじゃなかった。織音を利用して、互いよりも優位に立つことだけを考えていた。
自分の家庭は他の子の家庭とは違う。そう気が付けば、小学生の織音でも、両親のやっていることがくだらないことだとすぐに理解できた。
人のことをペットだとでも思っているのか。実際、飼っていた犬にも、両親は織音へと向ける貼り付けの笑みを日々、交互に繰り返していた。そこに何の意味があるのか、織音が何歳に成長しようが、ちっとも分からなかった。
表向きは幸せな家庭。子供を溺愛する親。恵まれているくせに不貞腐れている子供。そんな風に見えていたのだろう。
蓋を開ければ、夜中に両親の喧嘩する声で目が覚めたことは数え切れない。父から知らない女性の匂いがしていたことも、母が知らない男性を家に上げていたことも知っている。
互いに向けるべき愛を、我が子に注ぐべき愛を、両親は他人に向けていた。
何が、流れ星が綺麗だった、だ。何が、運命だと思った、だ。自分本位に子供をつくって、一生背負わなきゃならないふざけた名前を付けて。これが、運命だって? あたしの人生、お前らがやってみろよ。名前をからかわれる度に、そう思った。名前のせいでいじめられる度に、心の中で両親を呪った。
愛情なんていらないから、せめてこの足枷を外してくれないだろうか。そんな風に考える織音に、両親への想いは欠片も残っていなかった。
中学生になる前に、両親は離婚した。意味のない争いに勝って親権を得たのは、どうやら父だったらしい。
父との二人暮らしになると、もはや貼り付けの笑みさえ織音には向けられなくなった。当たり前だ。もう、父には織音に構う必要がないからだ。
それでもやっぱり、最低限の外面は気になるらしく、身体的なネグレクトを受けなかっただけ幸いなのだろう。
中学生になり、多感な年頃になると、周りは色恋の話で盛り上がる。愛というものを知らない織音は、人一倍興味があったと思う。
所詮、学生の恋愛だ。両親のように、互いの欲をぶつけ合う汚らしい恋愛じゃない。両親がおかしいだけで、きっと恋愛は別に変なものなんかじゃない。だって、そうでなければ、みんながこぞって関心を注いだりなどしないはず。
そう思ったから、織音は初めて受けた告白を快諾した。美術部の一つ上の先輩だった。別に織音は好きだったわけじゃないけれど、かといって嫌いでもなかったので、とりあえず付き合ってみて好きになる努力をしてみようと思った。
結果から言うと、一か月持たなかった。織音から別れを打ち明けたのは、彼との関係がどうしようもなく耐えがたかったからだ。
別に何か変なことをされたわけじゃない。例えば、一緒に下校してみたり、休日にファミレスでデートしてみたり、よく聞く中学生らしい恋愛だったはずだ。というか、それくらいなら付き合っていなかった時だって経験していたことなのに。その先輩と一緒に帰ったことはあったし、二人きりの教室で勉強を教わったことだってある。
それなのに、友達という垣根を飛び越えて恋愛となった途端、その人とのスキンシップが気持ち悪くなった。それも、耐えられないくらい。
手を繋いでみて、彼からの眼差しを受け取って、好きだと言われて、トイレで吐いた。嫌悪などという生半可なものじゃない。心が彼の好意を完全に拒絶していた。
このまま恋に落ちて、周りがぼやけてしまって、そうして両親のように染まっていく自分を想像して、また胃がひっくり返った。
もちろん、友達に相談した。そうしたら、変なのは織音だと言われた。
そう、あたしは変なのだ。
織音という名前の由来が、冬の星座であるオリオン座ということは説明するまでもないだろう。
問題は、なぜこんなキラキラネームを付けられたのか、だ。
理由を訊けばふざけたもので、織音の生まれた日付――10月21日がオリオン座流星群の極大日だったかららしい。たまたま病室から見えた流れ星が綺麗で、運命だと思った、だってさ。笑える。何てお粗末で、子供みたいな発想なのだろう。
陳腐な理由で我が子に名付けをした両親は、織音が物心のついた頃には既に険悪な仲だった。元々、田舎によくある、交際して間もない頃のできちゃった婚という背景を聞けば、納得のいくものだ。
でき婚は大抵別れる、というのが田舎では常識。そんなの当たり前だ。誰も驚きやしない。互いの人生を思えば慎重になって当然なのに、欲に流されて、避妊を疎かにして。自制も利かない愚かな人間が、他人の人生を背負って生きていけるものか。
ただ幸いだったことに、両親が互いに抱く不満の矛先が織音に向くことはなかった。代わりに、愛情も向けられることがなかった。
欲しいものは何でも買ってもらえたし、怒られることも一切なかった。ただし、これを織音が愛情だと受け取れないのには理由がある。
朝ご飯には母が織音の好きな果物をいつもたくさん出してくれたし、父は小学校まで送迎をしてくれた。学校が終わって家に帰れば、毎日のように母がケーキを用意していたし、父は織音の欲しがる本やおもちゃを度々買って帰ってきた。
休日は、時には母が観劇に連れて行ってくれたし、時には父が遊園地に連れて行ってくれる。
でも、織音は両親と三人でどこかに出かけたことはなかった。決まっていたのか、暗黙の了解だったのか、織音はいつも必ず交互に両親のどちらかと出かける。
よく考えれば、平日だって何ら変わらない。母がご飯で機嫌を取れば、父は送迎で対抗する。父がおもちゃを買ってくれれば、母は洋服を買ってくれる。
要するに、両親は織音の点数を稼ぐことで必死だったのだ。
織音はお母さんのこと好きだよね? お父さんの方が織音のこと愛してるよ。
何度聞いたか分からない醜悪な言葉。そこに、織音への愛情など一ミリもない。
結局、両親は織音を見ていたわけじゃなかった。織音を利用して、互いよりも優位に立つことだけを考えていた。
自分の家庭は他の子の家庭とは違う。そう気が付けば、小学生の織音でも、両親のやっていることがくだらないことだとすぐに理解できた。
人のことをペットだとでも思っているのか。実際、飼っていた犬にも、両親は織音へと向ける貼り付けの笑みを日々、交互に繰り返していた。そこに何の意味があるのか、織音が何歳に成長しようが、ちっとも分からなかった。
表向きは幸せな家庭。子供を溺愛する親。恵まれているくせに不貞腐れている子供。そんな風に見えていたのだろう。
蓋を開ければ、夜中に両親の喧嘩する声で目が覚めたことは数え切れない。父から知らない女性の匂いがしていたことも、母が知らない男性を家に上げていたことも知っている。
互いに向けるべき愛を、我が子に注ぐべき愛を、両親は他人に向けていた。
何が、流れ星が綺麗だった、だ。何が、運命だと思った、だ。自分本位に子供をつくって、一生背負わなきゃならないふざけた名前を付けて。これが、運命だって? あたしの人生、お前らがやってみろよ。名前をからかわれる度に、そう思った。名前のせいでいじめられる度に、心の中で両親を呪った。
愛情なんていらないから、せめてこの足枷を外してくれないだろうか。そんな風に考える織音に、両親への想いは欠片も残っていなかった。
中学生になる前に、両親は離婚した。意味のない争いに勝って親権を得たのは、どうやら父だったらしい。
父との二人暮らしになると、もはや貼り付けの笑みさえ織音には向けられなくなった。当たり前だ。もう、父には織音に構う必要がないからだ。
それでもやっぱり、最低限の外面は気になるらしく、身体的なネグレクトを受けなかっただけ幸いなのだろう。
中学生になり、多感な年頃になると、周りは色恋の話で盛り上がる。愛というものを知らない織音は、人一倍興味があったと思う。
所詮、学生の恋愛だ。両親のように、互いの欲をぶつけ合う汚らしい恋愛じゃない。両親がおかしいだけで、きっと恋愛は別に変なものなんかじゃない。だって、そうでなければ、みんながこぞって関心を注いだりなどしないはず。
そう思ったから、織音は初めて受けた告白を快諾した。美術部の一つ上の先輩だった。別に織音は好きだったわけじゃないけれど、かといって嫌いでもなかったので、とりあえず付き合ってみて好きになる努力をしてみようと思った。
結果から言うと、一か月持たなかった。織音から別れを打ち明けたのは、彼との関係がどうしようもなく耐えがたかったからだ。
別に何か変なことをされたわけじゃない。例えば、一緒に下校してみたり、休日にファミレスでデートしてみたり、よく聞く中学生らしい恋愛だったはずだ。というか、それくらいなら付き合っていなかった時だって経験していたことなのに。その先輩と一緒に帰ったことはあったし、二人きりの教室で勉強を教わったことだってある。
それなのに、友達という垣根を飛び越えて恋愛となった途端、その人とのスキンシップが気持ち悪くなった。それも、耐えられないくらい。
手を繋いでみて、彼からの眼差しを受け取って、好きだと言われて、トイレで吐いた。嫌悪などという生半可なものじゃない。心が彼の好意を完全に拒絶していた。
このまま恋に落ちて、周りがぼやけてしまって、そうして両親のように染まっていく自分を想像して、また胃がひっくり返った。
もちろん、友達に相談した。そうしたら、変なのは織音だと言われた。
そう、あたしは変なのだ。



