勝手に覗いて幻滅すんなよ

 凪の家は胡桃の自宅からかなり距離がある。それでも、今の彼を一人にするのは危険だった。大袈裟かもしれないけれど、ふとした瞬間に、駅のホームから線路に飛び込んでしまうんじゃないかと思わせる雰囲気を漂わせていたから。

 織音はともかく、龍之介も用事があったようで、胡桃が凪に連れ添う形で彼を送り届けることにした。

 河川敷を歩く二人の間に、もちろん会話はない。どうにか沈黙を破ろうとあれこれ考えるけど、こんな時に何を話したらよいのか、胡桃には到底分からなかった。

 斜陽が川の水面に反射する。光の筋が細波(さざなみ)によって河川敷に不規則な輝きを落とし、微かな風に揺れる()(もん)がその光を一層細かく砕く。

 落陽で伸びた二人の影は地面に並んでいるのに、どこか遠く、僅かにずれている。まるで、二人の沈黙を気まずくなぞっているようだった。

 取り留めもない会話など出来るはずもなく、悩んだ末、胡桃は静寂を破る。

 「何か、理由があったの?」

 消え入りそうな小さな掠れ声で凪が呟く。ただ一言。しかし、その言葉を聞けただけで、胡桃が凪に感じていた()(さつ)がすっと薄れていった。

 「そんなことないよ。人を好きになるって、難しいことなんだよ」

 二人の影に目を落とし、続ける。

 「その人の全部を受け入れてあげられるって、すごいことだと思う。しかも、染井さんのことを愛するのって、とても勇気がいることなんじゃないかな。だって、彼女は恋愛が好きじゃないってみんな知っている。だから、普通は無意識に恋愛対象から外しちゃうんだよ」

 胡桃は美術室の床に捨てられたままだった織音のスマホを、凪の手に握らせる。やっぱり、これは彼が持っているべきだ。

 結局、凪は家に着くまで胡桃に何か言葉を返すことはなかった。

 凪が自宅の扉をそっと開ける。その背に、胡桃はもう一度声をかけた。

 「それでも、凪くんは染井さんを好きになれた。良くないことをしちゃったかもしれないけれど、人を愛せたことだけは否定しないで。それは、凪くんが変われた証拠でもあるから」

 閉まりかけの扉の隙間から、凪が振り向く。

 「……それなら、変わるんじゃなかった」

 その言葉を最後に、扉の向こうへと凪の姿が消える。

 「気持ちは、分かるよ」

 胡桃の独り言は、強い風に(あお)られてすぐに溶けていった。

 こんな結果になるのなら、するんじゃなかった。そう思ってしまう凪の気持ちは、胡桃にはまだ分からない。でも、良くないことだと分かっていて、そういう選択を取ってしまう人の心の弱さはよく分かる。

 もしも、今後みんなに自分が隠している秘密がバレた時、胡桃も凪と同じように後悔するのだろうか。

 ……まあ、するんだろうなぁ。

 今まで重ねてきた自らの印象を捨てて、その後にどういう結論を出すのか。そこまで考えが回る人は、そもそも過ちなど犯さないのかもしれない。

 長い一日が、自宅の玄関に足を踏み入れた瞬間、終わった気がした。

 (むせ)るような籠った空気を追い出すようにリビングのクーラーを一目散につけて、制服のままソファに身体を沈める。静かだと色々と考えてしまうので、YouTubeでも見ようと鞄を漁って思い出す。

 「そっか。スマホ、ないんだった」

 胡桃のスマホは燿が持っていってしまった。端末が胡桃のものだとしても、中身が燿のものなのだから、止める気にもなれなかった。

 でも、YouTubeなんて誰の端末で見ても一緒なのに、きっと今ここにスマホがあっても触ることはなかっただろう。

 仕方なく、テレビをつける。久々に見るバラエティー番組は、昔よりもずっとつまらなく感じた。

 落とし穴に落ち、顔を泥だらけにしたお笑い芸人が冗談交じりのツッコミをして、ワイプ越しの芸能人がつくりものの笑いを零す。

 『ドッキリ大成功~!』

 そのテロップには、少しだけ()(ちょう)のような声が出た。

 全部、ドッキリだったらいいのに。他の四人だって、みんな同じ気持ちだ。こんな一日、誰も望んでいない。

 (うわ)()だけの関係で何が悪い。知らなければ、ずっとそのまま仲良く過ごせたんだ。

 知らない方が幸せなことって、たくさんある。

 だから、凪と燿には申し訳ないけれど、もうこれ以上、誰の秘密も暴かれませんように。

 微睡みの最中、そう思ってしまった胡桃は、また誰かを犠牲にして平穏を保とうとしていることに気が付いた。