神崎先生
ご連絡ありがとうございます。
ご指摘の報道については、私も確認しております。
先生のおっしゃる通り、因果関係が不明な段階であること、
また研究対象が現実の出来事と接続してしまっている点について、
強い緊張感を覚えています。
そのうえで、
率直に申し上げます。
私は、現時点では研究を継続したいと考えています。
理由は、
この一連の夢の語りの中で、
当事者たちが共通して、
・歳の神
・団子さし
・虫送り
といった、
自身が経験したことのないはずの民俗行事を、
夢の中で「行う側」として担っている
という点が、どうしても無視できないためです。
彼らはそれらの行事名を
事前に知っていたわけではありません。
にもかかわらず、
道具の配置、役割分担、行為の順序が、
実際の民俗資料と部分的に一致しています。
私は、
「夢が現実を予知する」
「土地の記憶が人に憑依する」
といった説明をしたいわけではありません。
関心があるのは、
なぜ、語りとして現れる夢の中で、
個人の記憶を超えた行事の形式が再生されるのか
という点です。
これは、
民俗学が扱ってきた
「型」「反復」「役割」
の問題と、無関係ではないと考えています。
リスクについては、
先生のご指摘を踏まえ、
調査範囲の限定、実名の排除、
記録方法の再検討を行います。
改めて、ご判断を仰がせてください。
古屋
ご連絡ありがとうございます。
ご指摘の報道については、私も確認しております。
先生のおっしゃる通り、因果関係が不明な段階であること、
また研究対象が現実の出来事と接続してしまっている点について、
強い緊張感を覚えています。
そのうえで、
率直に申し上げます。
私は、現時点では研究を継続したいと考えています。
理由は、
この一連の夢の語りの中で、
当事者たちが共通して、
・歳の神
・団子さし
・虫送り
といった、
自身が経験したことのないはずの民俗行事を、
夢の中で「行う側」として担っている
という点が、どうしても無視できないためです。
彼らはそれらの行事名を
事前に知っていたわけではありません。
にもかかわらず、
道具の配置、役割分担、行為の順序が、
実際の民俗資料と部分的に一致しています。
私は、
「夢が現実を予知する」
「土地の記憶が人に憑依する」
といった説明をしたいわけではありません。
関心があるのは、
なぜ、語りとして現れる夢の中で、
個人の記憶を超えた行事の形式が再生されるのか
という点です。
これは、
民俗学が扱ってきた
「型」「反復」「役割」
の問題と、無関係ではないと考えています。
リスクについては、
先生のご指摘を踏まえ、
調査範囲の限定、実名の排除、
記録方法の再検討を行います。
改めて、ご判断を仰がせてください。
古屋



