五条大橋のセンター ゼロポジション

深夜二時。崖の上に突き出した全面ガラス張りのダンススタジオは、月光に照らされて巨大な銀色の橋のように見えた。

かつて不動のセンターと呼ばれた弁慶は、九つの予備シューズを詰め込んだ巨大なバッグを床にドサリと置いた。その瞳は、深海のように暗く、冷たい。彼女の前に立つのは、最終候補生の牛若。小柄な体を揺らしながら、不敵にチュッパチャプスを転がしている。

「あんたのダンスには、絶望が足りないのよ」

弁慶の声が、無機質な壁に反響する。彼女が一歩踏み出すと、スタジオ全体が震えるような威圧感が走った。

「重たいなあ。絶望なんて、食べちゃえばいいのに」

牛若はニカッと笑った。その瞬間、彼女の体が重力を無視したように宙に舞う。スタジオの壁を蹴り、照明のレールを掴んで、弁慶の背後に着地した。それは、古の伝説に語られる燕のような身のこなしだった。

弁慶は眉ひとつ動かさず、凄まじいスピードでターンを繰り出し、牛若の逃げ道を塞ぐ。鏡張りの壁に、二人の激しいステップが火花のように散る。

一方は残酷なほど純粋な愛の独占欲を瞳に宿し、一方はセンターという名の孤独な椅子を奪い取ろうとする野心を剥き出しにする。躍動する二人の影は、自由を求めてぶつかり合った。

二人の影が重なり、離れ、また交差する。

「ねえ、弁慶さん。どうしてそんなに悲しいステップを踏むの? 誰に復讐したいの?」

牛若が弁慶の懐に飛び込み、その長い髪を指先でなぞった。弁慶の動きが止まる。最強の壁が、一瞬だけ揺らいだ。

「……あんたよ。あんたみたいな光を見るのが、一番苦しい」

弁慶は牛若の手首を掴み、そのまま床に押し倒した。押し殺したような吐息が混ざり合う。至近距離で見つめ合う二人の間には、殺意によく似た、熱い熱い愛情が渦巻いていた。

「じゃあ、その光をあんたが閉じ込めておけばいいじゃない」

牛若は逃げようともせず、弁慶の首に腕を回した。

「私がデビューしたら、世界中の視線を独り占めする。でも、この橋の上で、夜中に私を泣かせていいのは、あんただけ」

弁慶は黙って、自分の耳についていた銀色のイヤモニを引きちぎるように外すと、それを牛若の耳にねじ込んだ。

「一〇〇一回目に、あんたの心臓を止めてあげる。それまで、誰にも負けるんじゃないわよ」

夜明け。 鏡に映る二人は、ボロボロになりながらも笑っていた。それは、誰も入れない聖域での、たった二人の共犯関係。

翌日の公開審査。 ステージ中央で、太陽のように笑う牛若。 その袖口、影の中から彼女を射抜くように見つめる弁慶。

戦いは、まだ始まったばかり。