黒幕。
白字で、
四月十八日 午前三時二十分
映像は、哲平の部屋の定点カメラから始まる。
天井近くの隅に設置された小型カメラらしい。画角は斜め下、部屋全体を俯瞰している。
ベッド、ローテーブル、キッチンの入り口。風呂場の扉。
哲平はベッドの端に座り込んでいる。
スマホを握ったまま、肩で息をしている。
数分間、何も起きない。
彼は動かない。ただ、呼吸だけが荒い。
やがて、ゆっくりと立ち上がる。
「……今の、夢乃じゃない」
独り言だ。
自分に言い聞かせるような声。
「ドッキリだ。武蔵の」
そう言いながらも、目は風呂場の方を向いている。
スマホが震える。
非通知。
哲平は一瞬だけ躊躇し、それでも取る。
「……もしもし」
無音。
その無音が、異様に長い。
「……もしもし?」
ノイズが入る。
風の音。
遠くで木が軋む音。
裏手拍子。
コツ、コツ。
哲平の喉が鳴る。
女の声。
「……ゲテ……」
途切れる。
「……マンモ……来る……」
声が重なる。
二重、三重に。
哲平が叫ぶ。
「誰だよ!」
笑い声が混じる。
高い。低い。歪む。
「ハイレタ」
その瞬間、部屋の照明が一斉に点滅する。
パチ、パチ、と不規則に。
哲平がスマホを落とす。
床に当たる音。
カメラは天井からその様子を捉えている。
風呂場の扉が、ゆっくりと開く。
誰も触れていない。
隙間から、黒い線が床に伸びる。
墨のように、じわじわと。
逆さ鳥居の片側。
哲平が後退する。
「やめろ……」
黒い線は床を這い、ベッドの脚に触れる。
触れた瞬間、裏手拍子が鳴る。
コツ。
部屋の中から。
哲平の背後。
彼は振り向く。
誰もいない。
だが、ローテーブルの上のコップの水が、赤く染まる。
血糊ではない。
透明な水が、内側から赤く変わる。
哲平の顔が引きつる。
「……夢乃?」
背後で、女の声が囁く。
「ハイレタ」
哲平が走り出す。
玄関へ。
ドアノブに手をかける。
回らない。
鍵は開いている。
だが、ノブが動かない。
裏手拍子。
コツ、コツ。
今度は、天井から。
天井に、赤い線が浮かぶ。
逆さ鳥居。
中央に、「天」の字。
その字の中に、黒い点。
哲平の身体が震える。
スマホを拾い、撮影を始める。
「……これ、見てるやついるだろ?」
誰に向けた言葉か分からない。
「トモノリ?武蔵?やめろって」
声が裏返る。
そのとき、カメラのレンズ越しに、風呂場の中が映る。
浴槽に、赤い水。
中央に、夢乃が座っている。
濡れていない。
笑っている。
「ハイレタ」
哲平が叫ぶ。
映像が激しく揺れる。
カメラが床に落ちる。
画面は斜めに傾き、床と天井の境界を映す。
裏手拍子が速くなる。
コツ、コツ、コツ。
そして、不意に止む。
数秒の無音。
哲平の声が、低く響く。
「……入ったのか?」
声色が違う。
抑揚がない。
立ち上がる影が映る。
顔はフレーム外。
影だけが伸びる。
影の頭部が、不自然に長い。
逆さ鳥居の形に似ている。
スマホの画面が、赤く染まる。
ノイズ。
映像はそこで途切れる。
――
次の映像は、同じ部屋。
午前四時十二分。
定点カメラ。
哲平は床に座っている。
背筋が伸び、動かない。
目は開いている。
瞬きがない。
部屋は静かだ。
スマホが床に転がっている。
突然、哲平がゆっくりと首を傾ける。
人形のように。
口が開く。
「……憑代」
声は夢乃の声。
だが、低い。
重なる。
「足りない」
裏手拍子。
今度は、哲平自身の手が打つ。
コツ。
彼の手の甲と手のひらが、不自然な角度で当たる。
コツ、コツ。
定点カメラの画面に、赤い線が走る。
レンズの内側から。
逆さ鳥居。
天。
画面が赤く染まる。
砂嵐。
――
私は再生を止める。
ここで、哲平は“消えた”。
身体は部屋にいる。
だが、中身は違う。
夢乃は森で消えた。
哲平は部屋で入れ替わった。
電話。
非通知。
風の音。
裏手拍子。
媒介は、音。
そして、映像。
私は自分のスマホを見る。
通知はない。
だが、画面の端に、赤い線が映る。
目をこすっても消えない。
瞬きすると、消える。
気のせいだ。
そう思う。
だが、部屋の隅から、はっきりと音がする。
コツ。
コツ。
私は振り向く。
何もない。
しかし、机の上のコップの水が、わずかに揺れている。
透明だ。
だが、底に黒い点。
私は理解し始めている。
マンモ様。
マモ。
魔魅。
入るために必要なのは、
場所でも、時間でもない。
“通話”。
“視聴”。
“共有”。
哲平は電話を取った。
夢乃はカメラに触れた。
私は再生ボタンを押した。
侵入は、連鎖する。
次のファイル名は、
「0422_monologue」
トモノリの独白。
彼はまだ、自分が何を見ているか、理解していない。
私は、深呼吸し、再生する。
コツ。
どこかで、また音がした。
白字で、
四月十八日 午前三時二十分
映像は、哲平の部屋の定点カメラから始まる。
天井近くの隅に設置された小型カメラらしい。画角は斜め下、部屋全体を俯瞰している。
ベッド、ローテーブル、キッチンの入り口。風呂場の扉。
哲平はベッドの端に座り込んでいる。
スマホを握ったまま、肩で息をしている。
数分間、何も起きない。
彼は動かない。ただ、呼吸だけが荒い。
やがて、ゆっくりと立ち上がる。
「……今の、夢乃じゃない」
独り言だ。
自分に言い聞かせるような声。
「ドッキリだ。武蔵の」
そう言いながらも、目は風呂場の方を向いている。
スマホが震える。
非通知。
哲平は一瞬だけ躊躇し、それでも取る。
「……もしもし」
無音。
その無音が、異様に長い。
「……もしもし?」
ノイズが入る。
風の音。
遠くで木が軋む音。
裏手拍子。
コツ、コツ。
哲平の喉が鳴る。
女の声。
「……ゲテ……」
途切れる。
「……マンモ……来る……」
声が重なる。
二重、三重に。
哲平が叫ぶ。
「誰だよ!」
笑い声が混じる。
高い。低い。歪む。
「ハイレタ」
その瞬間、部屋の照明が一斉に点滅する。
パチ、パチ、と不規則に。
哲平がスマホを落とす。
床に当たる音。
カメラは天井からその様子を捉えている。
風呂場の扉が、ゆっくりと開く。
誰も触れていない。
隙間から、黒い線が床に伸びる。
墨のように、じわじわと。
逆さ鳥居の片側。
哲平が後退する。
「やめろ……」
黒い線は床を這い、ベッドの脚に触れる。
触れた瞬間、裏手拍子が鳴る。
コツ。
部屋の中から。
哲平の背後。
彼は振り向く。
誰もいない。
だが、ローテーブルの上のコップの水が、赤く染まる。
血糊ではない。
透明な水が、内側から赤く変わる。
哲平の顔が引きつる。
「……夢乃?」
背後で、女の声が囁く。
「ハイレタ」
哲平が走り出す。
玄関へ。
ドアノブに手をかける。
回らない。
鍵は開いている。
だが、ノブが動かない。
裏手拍子。
コツ、コツ。
今度は、天井から。
天井に、赤い線が浮かぶ。
逆さ鳥居。
中央に、「天」の字。
その字の中に、黒い点。
哲平の身体が震える。
スマホを拾い、撮影を始める。
「……これ、見てるやついるだろ?」
誰に向けた言葉か分からない。
「トモノリ?武蔵?やめろって」
声が裏返る。
そのとき、カメラのレンズ越しに、風呂場の中が映る。
浴槽に、赤い水。
中央に、夢乃が座っている。
濡れていない。
笑っている。
「ハイレタ」
哲平が叫ぶ。
映像が激しく揺れる。
カメラが床に落ちる。
画面は斜めに傾き、床と天井の境界を映す。
裏手拍子が速くなる。
コツ、コツ、コツ。
そして、不意に止む。
数秒の無音。
哲平の声が、低く響く。
「……入ったのか?」
声色が違う。
抑揚がない。
立ち上がる影が映る。
顔はフレーム外。
影だけが伸びる。
影の頭部が、不自然に長い。
逆さ鳥居の形に似ている。
スマホの画面が、赤く染まる。
ノイズ。
映像はそこで途切れる。
――
次の映像は、同じ部屋。
午前四時十二分。
定点カメラ。
哲平は床に座っている。
背筋が伸び、動かない。
目は開いている。
瞬きがない。
部屋は静かだ。
スマホが床に転がっている。
突然、哲平がゆっくりと首を傾ける。
人形のように。
口が開く。
「……憑代」
声は夢乃の声。
だが、低い。
重なる。
「足りない」
裏手拍子。
今度は、哲平自身の手が打つ。
コツ。
彼の手の甲と手のひらが、不自然な角度で当たる。
コツ、コツ。
定点カメラの画面に、赤い線が走る。
レンズの内側から。
逆さ鳥居。
天。
画面が赤く染まる。
砂嵐。
――
私は再生を止める。
ここで、哲平は“消えた”。
身体は部屋にいる。
だが、中身は違う。
夢乃は森で消えた。
哲平は部屋で入れ替わった。
電話。
非通知。
風の音。
裏手拍子。
媒介は、音。
そして、映像。
私は自分のスマホを見る。
通知はない。
だが、画面の端に、赤い線が映る。
目をこすっても消えない。
瞬きすると、消える。
気のせいだ。
そう思う。
だが、部屋の隅から、はっきりと音がする。
コツ。
コツ。
私は振り向く。
何もない。
しかし、机の上のコップの水が、わずかに揺れている。
透明だ。
だが、底に黒い点。
私は理解し始めている。
マンモ様。
マモ。
魔魅。
入るために必要なのは、
場所でも、時間でもない。
“通話”。
“視聴”。
“共有”。
哲平は電話を取った。
夢乃はカメラに触れた。
私は再生ボタンを押した。
侵入は、連鎖する。
次のファイル名は、
「0422_monologue」
トモノリの独白。
彼はまだ、自分が何を見ているか、理解していない。
私は、深呼吸し、再生する。
コツ。
どこかで、また音がした。



