マンモ

黒幕に白字で、
四月十八日 午前一時三十七分
と表示される。

映像は、地面に横たわったカメラの画角から始まる。

砂嵐のようなノイズが数秒続き、やがて像が戻る。
フレームの端に、夢乃の足が映っている。

片足が不自然な角度で折れ曲がり、もう片方は裸足だ。靴は見当たらない。
闇の中で、その足だけが白く浮かび上がる。

裏手拍子の音が、近い。

コツ、コツ。

規則的ではない。
二回打ち、間を空け、また一回。

まるで誰かが、試しているように。

画面の奥で、何かが揺れる。
夢乃の身体が、わずかに動く。

ゆっくりと、膝が曲がる。

折れ曲がったはずの足が、滑らかに、あり得ない方向へ戻る。

骨の軋む音はしない。

ただ、静かに、関節が正しい位置に戻る。

カメラは倒れたままだ。
夢乃の足が、フレームから消える。

裏手拍子が止まる。

数秒の無音。

そのとき、画面いっぱいに、影が落ちる。

夢乃の顔。

至近距離。

目は黒い空洞ではない。
だが、焦点が合っていない。
口元だけが、笑っている。

「……ハイレタ」

音声は歪み、二重に聞こえる。

「ハイレタ、ハイレタ」

夢乃の顔が、カメラに触れる。

レンズに、赤い線が走る。

画面が真っ暗になる。

――

次の映像は、哲平のスマホから。

荒い息遣い。
走る音。

「トモノリ!武蔵!」

返事はない。

懐中電灯の光が揺れる。
木々が擦れる音。

哲平は一人だ。

「夢乃……どこ行った……」

声が震えている。

カメラを自分に向ける。
顔が蒼白だ。

「さっき……橋にいたのに……」

背後で、枝が折れる音。

哲平が振り向く。

誰もいない。

だが、ライトの端に、赤い線が浮かぶ。

地面に描かれている。

逆さ鳥居。

「……なんだよこれ」

哲平が近づく。

線は、土の上に刻まれているのではない。
表面に浮かんでいる。

発光している。

その中央に、小さな黒い点。

哲平の呼吸が止まる。

裏手拍子。

コツ。

背後から。

振り向く。

夢乃が立っている。

普通に。

目もある。足も正常。

「……夢乃?」

夢乃は首を傾げる。

「なんで逃げたの?」

声はいつもの夢乃だ。

哲平が一歩近づく。

「さっき……」

「なに?」

夢乃は笑う。

その笑いは、三月三十一日の打ち合わせのときと同じだ。

だが、瞬きがない。

哲平が息を呑む。

「トモノリと武蔵は?」

夢乃は答えない。

代わりに、ゆっくりと裏手拍子を打つ。

コツ、コツ。

その音に合わせて、周囲の木々が揺れる。

風はない。

哲平が後ずさる。

「やめろ……」

夢乃の顔が、暗闇の中でゆっくりと歪む。

口角が裂ける。

目が、黒く沈む。

「ハイレタ」

声が二重になる。

次の瞬間、画面が揺れ、地面が映る。

哲平が倒れたらしい。

映像は数秒間、何も映さない。

その間、裏手拍子が近づく。

コツ、コツ、コツ。

そして、不意に止む。

――

映像が切り替わる。

黒幕。

白字で、

午前二時五分

哲平の部屋。

固定カメラ。

暗い。

ベッドに哲平が横たわっている。

目は開いている。

だが、動かない。

スマホが震える。

非通知。

哲平の目が、ゆっくりと動く。

震える手で電話を取る。

「……もしもし」

ノイズ。

風の音。

木々が揺れる音。

遠くで裏手拍子。

コツ、コツ。

女の声。

「……にゲテ……」

音が途切れる。

「マンモ……来る……」

哲平の呼吸が荒くなる。

「夢乃……?」

笑い声。

高く、低く、混ざる。

「ハイレタハイレタハイレタ」

哲平が叫ぶ。

電話を落とす。

その瞬間、画面の隅に、黒い影が映る。

天井に、逆さ鳥居の形が浮かぶ。

赤い線。

一瞬。

消える。

哲平がスマホを掴み、撮影を始める。

「風呂場から……変な声聞こえる……」

廊下を進む。

暗い。

風呂場の扉が半開き。

中から、水音。

ポタ、ポタ。

哲平が扉を押す。

浴槽の底に、赤い水が溜まっている。

コップ一杯分ほど。

中央に、黒い点。

裏手拍子。

背後で。

哲平が振り向く。

誰もいない。

だが、廊下の壁に、墨の線が広がっている。

逆さ鳥居。

天。

その中央に、人の顔が浮かぶ。

夢乃。

「ハイレタ」

画面が激しく揺れる。

悲鳴。

映像が途切れる。

――

私は、再生を止めた。

ここで、夢乃は“消えた”。

森での消失ではない。

廃墟でもない。

哲平の部屋。

侵入は完了している。

マンモ様。

マモ。

魔魅。

入るために必要なのは、場所ではない。

形。

言葉。

記録。

撮影。

私は気づく。

夢乃の最後の映像。

カメラに触れたとき、レンズに赤い線が走った。

それは、単なるノイズではない。

“印”だ。

憑代の印。

私は、無意識に自分のPC画面に触れる。

指先に、赤い線が映る。

もちろん、何もない。

だが、皮膚が冷たい。

そのとき、背後で、はっきりと裏手拍子が鳴る。

コツ、コツ。

私は振り向く。

誰もいない。

だが、机の上のSDカードが、わずかに揺れている。

夢乃は消えた。

だが、消えたのは身体だけかもしれない。

映像の中に、残っている。

そして、それを見ている私は、

どこまで外側にいられるのだろう。

次のファイル名は、

「0422_research」

トモノリの映像だ。

彼は、まだ生きている。

少なくとも、この時点では。

私は、再生ボタンを押す。

コツ。

どこかで、また音がした。