『名前と声を伏せたまま、私たちは繋がっている』

銃声が、やけに近かった。

 反射的に、杏瑞《あんず》は操作していた指を止めた。
 牽制じゃない。――狙っている音だった。

(えっ、どこから!?)

 ヘッドホン越しに響いたその一発に、思わず肩をすくめた。
 慌てて周囲を見渡したが、視界に異変はない。

 それなのに、指が動かなかった。

 その時、画面がわずかに揺れた。
 ラグのような違和感だった。

 同じチームのはずの二人の海外プレイヤー。
 杏瑞の視界を塞ぐように、前に出てくる。

(……なんで?)

 また銃声が聞こえた。

 敵の正確な位置を確認しようとスコープを覗いた瞬間、
 前方に立たれて視界を塞がれた。
 露骨な嫌がらせだ。

 何も言わず、杏瑞は“アプリコット”を前方の雑木林へ動かそうとした。

 その瞬間、背後で不穏な金属音がした。

(ピンを抜いた? 手榴弾!)

 ――爆発。

 スマホの画面内が黒炎に包まれる。

 体力ゲージが一気に削れ、アプリコットはダウンしていた。

(……やっぱりチームキラーだ)

 二人はダウンしたアプリコットを救護することなく、執拗に殴り続けてくる。

 突然、チーム内の〈ボイスチャット〉回線がオンになった。
 外国語で何を言っているのか分からない。
 ただ、二人が笑っていることだけは分かった。

 理由は分からない。

(なんで……こんなことをするの?)

 耐えきれず、杏瑞はログアウトボタンに指を伸ばした。

(……もう、いいや)

 そのまま画面を閉じ、スマホを伏せる。

 視界が滲む。

 気づいた時には、涙がこぼれていた。

(居場所を見つけたはずなのに……私はどこにいても、同じなんだ……)


――――――――――――――――――――


 数日前まで――あの世界がこんなふうになるなんて、思ってもいなかった。

[MMモバイル]を始めたきっかけは、ほんの偶然だった。

 高校に入学したばかりの、ある土曜日。

 何気なく眺めていた動画配信サイトで、たまたま目にしたゲーム配信。

 廃墟を背に、銃を持ったゴシックロリータ衣装のキャラクター。
 そのアンバランスさに、なぜか目が離せなくなった。

 配信者は、トークが絶妙で滑舌もよく、聞いていて心地よかった。

(話し方が、とってもうまいな……うらやましい)

 視聴者と冗談を交わしながら、危険な場所に飛び込み、敵を倒していく。

(凄く楽しそう……)

 それが、すべての始まりだった――――


 動画を観るうちに、気づけば、配信者の[MMモバイル]関連ばかりを再生するようになっていた。

 初心者向けの解説。
 操作設定。
 立ち回りのコツ。

(この人、本当にこのゲームが好きなんだ)

 そして、思ってしまった。

(私も……やってみたい)

 不安はあった。
 ゲームなんて、ほとんどやったことがない。

 それでも――
 あの世界に、少しだけ触れてみたかった。

 ダウンロードボタンを押し、プレイヤー名を決める。

(アプリコットでいいかな)

 自分の名前〈杏瑞〉からもじった、安直なキャラクター名に決めた。

 自分で作ったキャラクターがロビーに立った瞬間……胸が高鳴った。

(私がこの場所にいる……)

 設定は想像以上に細かくて、調整だけで何時間もかかった。
 それでも、不思議と苦ではなかった。

 運営から届いた『新規ユーザー』へのプレゼントとして、
 20個ほどのクレートがあり、一気に抽選した。

 レアアイテム:『エレガントなメイド衣装』

(あっ、メイド服だ!)

 同時に引き当てた眼鏡を合わせて、キャラクターを眺める。

(あれ?この衣装って……)

 アプリコットを左右にフリックしてみた。

 動かすたびにスカートが滑らかに動いた。

 さらには専用モーションとして、優雅にお辞儀をする動作もあり、杏瑞のテンションは上がっていた。

(か、かわいい!)
 
(これからよろしくね、アプリコット……)


 アプリコットは、ロビー画面で一人佇んでいる。


――――――――――――――――――――


 初めての戦場は、散々だった。

(ごめんね、アプリコット。痛い思いばかりさせて……)

 負けて、悔しくて、自己嫌悪に陥って。
 それでも、やめようとは思わなかった。

 訓練場で練習し、動画を見返し、また挑戦する……気づけば、勉強よりも集中していた。

(こんなに夢中になったの、初めてだ……)

 けれど、ランクが上がるにつれ、敵も強くなり、負け越すことも多くなってきた。

 さらに、この仮想世界は優しくなくなった。

 悪意。
 理不尽。
 意味のない嫌がらせ。

 いままで何度か受けた理不尽な行為。

(やっぱり、この世界も一緒だ……)


――――――――――――――――――――


 布団に包まったまま、杏瑞は天井を見つめていた。
 泣き疲れて、少し眠ってしまったらしい。

 目を覚ますと、スマホが視界に入る。

(……アプリコット)

 しばらく、何もせずに画面を見つめた。

 迷って、悩んで、考えて。

(これで……最後にしよう)

 楽しくても、辛くても……このゲームをちゃんと終わらせよう。

 杏瑞はスマホを手に取り、[MMモバイル]を起動した。

(思いっきり駆け回ろう)

(そして――今まで、ありがとう)

 それが、『最後のログイン』のはずだった。

 けれど――

(これって、なに?)