蝶々結び

 ――そのとき。



 背後から、パチ、パチ、と音がした。
 誰かが拍手している。
 振り向くと、受付付近の患者たちが温かい目でこちらを見ていた。

「陽向先生、素敵だわぁ~!」
「こんな素敵な彼女がいたのね~!」

 中年の女性患者がうっとりと声をあげる。
 隣では、杖をついたおじいさんがにやりと笑った。

「いやぁ~陽向先生、角におけないねぇ!」

 周りの患者たちが、つられて拍手を送る。
 ロビー中に温かな笑い声が広がる。

「え、ちょ、ちょっと待って!?みんな見てたの!?」
 結衣は顔を真っ赤にして、陽向先生の胸から離れた。
 「ご、ごめんなさいっ!私、外来でこんなっ――!」

 しかし、陽向先生はまったく動じない。
 むしろ、いたずらっぽい笑みを浮かべた。

「あーあ。バレちゃったね?」
 その瞳は、やさしくて、どこか誇らしげだった。

「ま、いいんじゃない? もう隠す必要ないし。」

「よくないですっ! 恥ずかしいですからっ!」

「でも、結衣は、僕の"一番大切な彼女"だからね。」

 ふわりと笑うその表情に、また心を奪われそうになる。







 翌日。
 病院は、まるで小さなお祭りのようだった。

 朝からどこに行っても、誰かがひそひそと笑っている。
 ナースステーションでも、外来でも、廊下でも。
 ――「橘さんと陽向先生、昨日見た?」
 そんな話題で持ちきりだった。

「……はぁ……。完全に噂、広まっちゃったな……。」

 結衣は顔を覆って、ため息をついた。
 隣で一緒にカルテ整理をしていた後輩の佐々木桃が、キラキラした目で寄ってくる。

「橘先輩♡ おめでとうございますぅ~!
 外来でのあの抱きしめシーン、すっごく感動しちゃいましたぁ~!
 まるでドラマみたいで……もぉ~羨ましいです~♡」

「さ、佐々木さんっ……見てたの!? いや、見なくてよかったのに……!」

「だってぇ~、患者さんが『外来で恋愛ドラマが始まったぞ!』って言うから~♡」

「もう……やめてぇ……!」

 顔を真っ赤にしてうずくまる結衣に、桃はくすくす笑っていた。

 そこへ、昼休憩から戻ってきた柚希が現れる。
 腕を組んで、にやにやしながら近づいてくる。

「ねぇ結衣~。聞いたよ?外来での熱烈告白。
 あの陽向先生、めっちゃ決め台詞言ってたらしいじゃん?
 “僕は、結衣のことずっと愛してる”……だってぇ~!キャ~♡熱い熱いっ!!」

「ゆ、柚希っ!? や、やめてぇ!どこで聞いたのそれ!」

「もう、噂は院内全体回ってるよ?
 昨日の患者さんがSNSで『#陽向王子、尊い』って書いてたもん。」

「そ、そんなの投稿しないでよぉ……!」

 柚希は笑いながら、陽向先生のモノマネを始めた。
 手を胸に当て、わざと低い声で。

「“結衣は、僕の"一番大切な彼女"だから”……ってさ~。
 も~、ドラマ超えて映画つくれるよ!この恋愛マカデミー大賞もの!」

「ちょっとっ……!やめてよもう~!」

 結衣は顔を覆って、机に突っ伏した。
 そんな彼女を見て、柚希は少し目を細めた。

「……でも、ほんとよかったね。結衣。」

「え?」

「結衣が、ちゃんと幸せそうで。
 前のことも全部乗り越えて、今ちゃんと笑ってる。
 ずっと結衣が心配で…、私はどうしていいか分かんなかったから。
 ……ほんとによかった。」

 そう言って、柚希は少し涙ぐんで笑った。
 その笑顔が、どこかあたたかくて、懐かしくて。
 結衣も思わず笑い返した。

「うん……ありがとう、柚希!」

 静かな午後のナースステーション。
 カルテの紙がめくれる音と、遠くの患者の笑い声。
 その中に、穏やかな幸福が流れていた。