駅のホームの風が、髪の短い襟足をやさしく撫でていく。ひんやりとした夜の空気に、少し湿った線路の匂いが混ざる。
電車が通り過ぎるたびに、線路の向こうで照明が少し揺れて見えた。光が淡く揺れる様子は、まるで思い出の断片のように揺れ動き、結衣の胸に小さな痛みを残した。
橘 結衣は、会社帰りの人たちのざわめきに紛れながら、ぼんやりとホームの端に立っていた。
周囲の人々はスマートフォンを覗き込み、イヤホンから流れる音楽に合わせて歩く。
誰も結衣の存在に気を留めてはいない。
けれど、それでよかった。
人の目から離れている今、この数分間だけは自分の心を整理することができるから。
ふと、結衣はバッグの紐に手をやった。
小さな蝶々結びが微かに揺れる。
幼いころから、どうしても上手に結べなかった蝶々結び。
左右がずれて、何度やり直しても形が整わず、母に「またほどけちゃうわよ」と笑われたのを、今でも鮮明に覚えている。
あの頃は、ほどけても"また、結べばいい"と思っていた。
何度でも、きれいに結び直せばいいと信じていた。
でも――大人になると、そう簡単にはいかない。
人間関係の結び目は、ほどけたらもう二度と元には戻らない。
そんな風に、結衣は思っていた。



