ほんのジョークです。

 翌日、草薙は寝不足の目を擦りながら3日連続で名星大学に向かった。結局、少女の家族が病院に到着した時刻が午前3時を過ぎていたため、草薙が帰宅できたのは午前5時を過ぎていた。
 3日連続で登校など在学中よりも出席率が高いくらいだ、と草薙は苦笑いを浮かべる。大学に来たついでに昼食を学食で済ませようと考えていたものの、Bランチが売り切れていたため断念した。今の収入でも、Aランチは接待用としてしか購入する気になれなかった。学食の壁に掛けられた時計を確認し、少し早いかと思いながら草薙はパソコン研究会に向かうことにした。

「こんにちは、失礼します」
 草薙が挨拶をしながらドアをスライドさせると、まるでリプレイのように神鳥が一番端の席に座っていた。神鳥は草薙を一瞥すると興味が無さそうに、再び視線をパソコンの画面に移動させる。その態度に少しムッとしたものの、昨日の対戦結果を思い出した草薙は何を言うことができなかった。

 時間帯の関係なのか、それともいつもこんな感じなのか、室内を見渡しても神鳥以外誰もいない。そして、神鳥が見詰めるスクリーンに映し出されているのは、デジャブのようなワールドソルジャーの戦闘シーンだった。それにしても、この状況では神鳥専用のパソコンゲームサークルでしかない。
 草薙がさりげなくディスプレイを盗み見ると、神鳥が使用しているアカウントはサブアカウントだと言っていたタマネギだった。ランクは草薙と同じゴールドであるが、対戦したときのことを思い浮かべみても勝てる道筋が全く見出せなかった。それでも―――
「―――俺の師匠である千神(せんしん)には勝てないだろうな」
 自分の力でも何でもないが、草薙はゲーム内で師弟の契りを結んでいる上位プレイヤーの名前を溢す。千神は最上位のプラチナランクでもベスト10位以内に入る、神懸かり的な天才ゲーマーである。予知能力でもあるのかと思うほどの先読み、無意味な動作が全く見られない機動力、そして、超長距離でも短距離でも100パーセントの確率で実行されるヘッドショット。ワールドソルジャーをしている者であれば、まず知らないはずがない。情けないことではあるが、草薙は悔し紛れに師匠の名前で神鳥を威嚇する。

「千神・・・オジサンのアカウント名って何だっけ?」
 千神の名前を出した瞬間、神鳥の手が止まった。さすがに、千神の名前は知っていたようだ。草薙は僅かな優越感を覚え、フフンと笑いながらアカウント名を告げる。
「昨日対戦しただろ。ナギだよ、ナギ」
 神鳥は完全に手を止めて椅ごと振り返り、たった今存在を認識したかのように草薙を見上げた。
「えっと・・・」
 草薙は小首を傾げながらも、カバンから名刺入れを取り出すと仕事用の名刺を差し出した。
「名乗ってなかったかな。情報誌先見のMAYで記者をしている草薙だ」
 神鳥は名刺を確認しながら、名前を口にする。
「草薙さん、ね。ふうん・・・」
 草薙は直ぐにでもゲームに戻るものだと思っていたが、予想に反して神鳥が質問を口にした。
「それで、草薙さんは何のために生田(いくた)君に会いたいの?non-noteの使用について教授と揉めたから?それとも、AIについて調べてるの?」
 「AIについて?」と質問の内容に疑問を抱きながらも、当初の目的通りの回答をする。
「non-noteについて調べてるんだけど、どういう意味かな?」
 すると、神鳥は草薙の質問に答えることをせず、全く関係ないと思える質問を返した。

「草薙さんさ、厳しくされるのと、優しくされるのはどっちが好き?」
「それは当然、優しくされる方だな。厳しい方が好きなんて人がいるけど、それは本当に厳しくされたことが無いだけだと思う。普段甘やかされていない人は、絶対に優しくして欲しいと思ってるよ」
 草薙の正直な回答に頷くと、神鳥は苦笑いを浮かべながら頷くと話しを続ける。
「AIはさ、誰にでも、平等に優しいんだよね」
「は?」
「後でエゴサしてみれば分かるよ」
 神鳥の意図が分からず草薙が詳細を確認しようとした時、パソコン研究会のドアが開いた。


「お疲れ様です」
「ちわーす」
 声を掛けながら入室してきたのはポニーテールにメガネという女子大生と、「寝起きです」宣言をしている寝癖頭の学生だった。
 2人を目にした草薙は、その容姿から直ぐに目当ての大学生ではないことを理解する。2人は普通にパソコン研究会という名のゲームサークルに顔を出しただけのメンバーのようだった。
 見知らぬオジサンがいることを、当然のように疑問に思った女子大生が草薙に声を掛けた。
「あの・・・どちら様ですか?」
 すると、一緒に入室してきた男子学生が、パソコンに電源を入れながら口を挟む。
「アレだよ。生田の講義妨害事件の取材じゃないの」
 「ああ」と女子大生が納得したよう、大袈裟に何度も頷いた。
 そのやり取りを見ていた草薙は、否定する部分が全くないめ無表情で笑うことしかできなかった。それでも、現役の大学生に話を聞く事ができる絶好の機会であるため、思い切って質問することにした。
「えっと、先見のMAYという情報誌の記者をしている、この大学のOBでもある草薙と言います。ちょっと話を聞かせてもらってもいいかな?」
 「大学のOB」を強調すると、2人の警戒感が目に見えて下がり始めた。初対面であるが、仲間意識が芽生えているようだ。
「ぶっちゃけ、non-noteって使っている人は多いの?AIに確認したら普及率が45パーセント以上だったんだけど、体感としてそんなに高い気がしないんだよね」
 すると、男子大学生がセッティングをしながら草薙の質問に答えてくれた。
「どうなんですかね。僕もnon-noteはインストールしましたけど、最初の講義で『AIを使用したノートは使用不可』というアナウンスがあったのでアンストしましたよ。見付かって単位を落とされるとか、全然笑えないですからね」
「私もそうですね。やはりnon-noteは便利なので隠れて使っていましたけど、結局は見付かって注意されたので止めました。便利だというだけで、別に無くても困らないので。ああ、でも、生田君だけは何度注意されても頑なに使い続けていましたよ」
 草薙は2人の言葉に頷き、やはり小首を傾げる。
 確かに、non-noteをインストールした人は、それなりの人数になるのかも知れない。しかし、ずっと使い続けている人は意外とすくなそうだ。
「そもそも、AIが作ったノートとか全然あてにならないじゃないですか。結局のところ、最終的には自分でチェックしないといけないので余り意味がないんですよね」
 研究室という名前には似つかわしくない、ホールド感が強い椅子に座った女子大生が、草薙の方を向くこともなく言葉を続けた。しかし、次の瞬間にはヘッドフォンを装着してしう。その向こう側に座っている男子学生の方は、すでに連続でキーボードを叩いている。
 その様子を目にした草薙は嘆息し、目的の人物が現れるのを待つことにした。


「こんにちは」
 目の前で挨拶をする学生を目にし、草薙が「ああ」と頷いた。その人物が、何度も繰り返し視聴した動画に映っていた学生だと分かったからだ。事前に隊長から事情を聞いていたのか、草薙に対して警戒する様子は全くなかった。

 神鳥と2人から少し離れた位置に座ると、お互いに自己紹介をする。
 彼の名前は生田(いくた) 彰利(あきとし)。つい1ヶ月程前に入学したばかりの新入生だった。そして、やはり経済学部に在籍していた。
「このあと用事があるかも知れないから率直に訊くけど、動画サイトにアップされていた件ってどうだったの?」
「ああ、いやあ、参りましたよ。ほんの一瞬だけ時の人になりました、ハハハ」
 生田は苦笑いしながら、当時の状況を話し始めた。
「実際は、あの動画のように激しく口論をした訳ではないんですよ。実際、あの後で教授に謝罪して、あれ以降の講義を受ける許可も貰っていますし。あの動画は、悪意のある切り抜きですよ」
「え、そうなの?」
 予想もしていなかった事実に、草薙は目を見開いた。
「はい。まあ、確かに、non-noteの使用を許可しないこと自体には疑問を覚えます。実際、板書しなくて良いのであれば講義に集中できますし、ぶっちゃけ、教授の講義内容だけでは不足している部分もAIが補完してくれるので。そもそも、人間と違って間違えませんから。体調によって波があるような事もなく常に安定していますし、微妙に講義内容が違うなどという事も起きませんから。でも流石に、単位を落としてまで使用しようとは思いませんよ」

 生田の冷静な発言を聞き、草薙は拍子抜けしてしまう。動画を見た限りでは教授に詰め寄り、激昂しているようにしか見えなかったからだ。しかし、あれが切り抜きによって加工されていたという事であれば、目の前に座っている生田の落ち着いた態度にも納得できた。
「すいませんけど、次の講義があるので僕はそろそろ行きますね」
「あ、ああ、時間を取ってくれてありがとう。ちなみに、あの動画の講義って、誰の?」
 生田は立ち上がりながら答えた。
「名越教授の経済学論です」

 パソコン研究会から退室する生田を見送った後、草薙も椅子から立ち上がった。もう用事は済んだため、いつまでもここにいる理由がないからだ。
「じゃあ、もう会うこともないかも知れないけど」
 パソコンに向かう神鳥に歩み寄りながら、草薙が声を掛ける。ワールドソルジャーで対戦した仲なのである。しかも強者となれば、草薙にとってはスルーできない存在だ。すると神鳥はパソコンの画面から視線を外し、横に立つ草薙を見上げた。
「勘違いしているかも知れないから一応言っておくけど、パソコン研究会はゲームサークルじゃないよ。真面目にプログラミングやセキュリティ、AIなどの研究をしているサークル。そうでなければ、この研究棟に部屋を与えてもらうなんて許可されないからね」
 意外な説明に草薙は驚いた。草薙の中では、完全にパソコンゲームのサークルになっていたからだ。
「それと、私はアンバサダーであって、ここの学生じゃないんだ」
「は?」
「名刺があるから渡しておくね。後で役に立つかも知れないから」
 そう言ってポケットから名刺入れを取り出すと、その中から1枚抜き取って草薙に手渡した。
「・・・帝国大学研究員?」
 帝国大学電子工学部研究員 神鳥 千草。
 渡された名刺には、全国でもトップクラスの難関校である、国立大学と研究員であることが記載されていた。つまり、国内でもトップクラスの頭脳を持っているということだ。
「うん。研究員って言っても、正確には大学院生だけど。このパソコン研究会の隊長が高校の先輩だから、頼まれて相談役として来てるだけ。で、サークルメンバーがいない時はヒマだからゲームをしているって感じかな」
「いや、研究しろよ。っていうか、隊長はいったい何年大学にいるんだ?」

 神鳥は苦笑いすると、再びパソコンに向き直った。当然のように画面にはワールドソルジャーが表示されている。それを確認とすると、草薙はパソコン研究室を後にした。