ほんのジョークです。

 編集長の今井が退社した編集室で、ツッパリーズのイベントを周回している草薙に声を掛ける人物がいた。
「先輩、ソシャゲなんかしてないて、そろそろ行きますよ。昨日、約束したましたよねえ。エスコートしてやるって」
 草薙が顔を上げると、いつの間にか帰社していた石原が立っていた。ツッパリーズに集中していたため、草薙は全く気が付いていなかった。スマートフォンの右上に表示されている時刻を確認すると、19時を回っている。石原に同行を強要されたため、草薙は仕方なくスマートフォンから視線を外した。
「ったく、エスコートするとは言ってないだろ」
 言い始めると引かない性格である事を知っているだけに、草薙は抵抗せず素直に夜の街に向かう準備を始める。それに、ただでさえ面倒な事が起きる薬物絡みの取材である。夜の繁華街に、女性記者を1人で行かせる訳にはいかない。

「で、そっちの進捗状況はどうなんだ?」
 名残惜しそうにツッパリーズをログアウトし、草薙が横を歩く石原に訊ねる。
「まあ、一応は順調ですよ。ネットにオーバードーズの情報は溢れてますし、基本的に問題点は分かり切ってますからね。先輩よりは早く記事が仕上がると思いますよ。いつも通り」
「いつも通りは余計だ。で、順調なんだったら、今から何をしに行くんだ?」
 草薙の質問を受け、石原は軽快に階段を降りながら説明を始める。

「オーバードーズって、結局は違法薬物の代替品なんですよね。疲労感の消失や、気分が高揚したり、落ち着いたりするという効果があるみたいです。つまり、ハイテンションになって、嫌なことも憂鬱なリアルも吹き飛んで、ハッピーになれるってことですよ。違法薬物は入手が難しいですし、違法と冠が付いているのでいかにも犯罪ぽいですが、市販の薬を大量に飲むという行為に対して罪の意識なんて存在しませんよね。欲しければドラッグストアでいくらでも買えます。しかも、違法なドラッグよりも安価で。効果が多少短くても、1箱千円程度の頭痛薬で、合法的にとべる可能性がある。この手軽さがオーバードーズの危険なところです」

 一気に説明をした石原に、草薙は無意識に目を見開いていた。自分の取材が余り進んでいるとは言えない状態であるにも関わらず、石原は文章に起こせる状態にまで情報を収集していたからだ。
「それ、ほとんど終わってるんじゃないのか」
 先に階段を下り切っていた石原が振り返り、首を横に振って人差し指を立てた。
「まだまだ、始めたばかりですよ。今のはネットを検索すれば誰でも直ぐに見付ける事ができる情報です。あんなものを記事にしても、全然新しくないので誰も読んでくれません。なので、新情報を求めて実際に使用している人達に。直接話しを聞きたいんです。あと、医学的見地からの意見も知りたいので、国立中央病院の先生にもアポイントを取ってあります」
「おお、俺と違って優秀だな」
 草薙の自虐的な発言に対し、嘲笑を浮かべた石原が応えた。
「いえ、先輩がダメダメなだけです」


 2人はそのまま、繁華街を目指して移動する。「違法行為は繁華街で行われている」と、石原が勝手なイメージを抱いていたからだ。草薙からすれば、薬を屋外で飲むとは思えなかったが、あくまでも主導権は石原にあるため、おとなしく従うことにした。
 それでも、1時間も歩けば服用する現場を見掛けるのではないかと、草薙は安易に考えていた。しかし、当初の目論見とは裏腹に、居酒屋やラーメン屋、バーやスタンドが立ち並ぶエリアを歩き回っても、2人はそれらしい人物や集団を見付けることができなかった。取材対象が見付からないからと言って、手当たり次第にそれっぽい人に声を掛ける訳にはいかない。そんな事をすれば本当の取材対象に警戒され、逃げられてしまう可能性があるからだ。声を掛けるのであれば、大量の薬を持ち歩いている人等に限定する必要がある。

 歩き始めて2時間以上が経過した頃、疲れ果てた草薙が帰りたそうな雰囲気全開で立ち止まった。
「おい、本当に取材対象は繁華街にいるのか?市販の薬を大量に飲むのだとすれば、自宅なんじゃないのか?わざわざ外で飲む必要なんかないだろ」
 的を射た草薙の指摘に、石原は悔しさを滲ませた表情で「ムムム」と口ごもる。
 確かに違法でないかも知れないが、路上で服用する必要性はない。それに、もう時計も22時を回ろうとしている。悔しそうに草薙の意見を飲み込んだ石原が、「はあ」と深いため息を吐いて告げた。
「今日は、ありがとうございました。もう遅いですし、この辺りで止めて帰りましょう。次はもっとネットで情報収集をしてからにします。ああ、あのコンビニで何か奢りますので、500円以内の物を選んで下さい」
「・・・500円、か」
 柄にもなく肩を落とす石原の後を、後輩を見る目をした草薙が追い掛けた。

「あはははははははははあっ」
 奇妙な笑い声が響き渡ったのは、コンビニの自動ドアを通り抜ける直前だった。
 近くで何者かが、人間の良識を越えた大声で高笑いしている。それを耳にした瞬間、2人は顔を向き合わせた。
「あはははは、ねこちゃんが、わんにゃん、あははは、わんにゃん、あはははは、飛んでる、きゃははは!!」
 言葉として成り立っていないため、何を言っているのか全く分からない。しかし、それだからこそ2人には酔っ払いではなく、何らかの薬物による中毒者の声だと確信させた。取材をするにしても、警察に連絡するにしても、保護する必要があるため、このまま放置するという選択肢は無い。2人が奇声のしている方に向かうと、コンビにのすぐ横にあるコインパーキングでヘラヘラと笑っている少女が見付かった。少女が座っている駐車プレートの上には風邪薬の空き箱がいくつも散乱し、中途半端に中身が減ったペットボトルが倒れていた。周囲に少女以外の人影は見当たらない。どうやら、少女は1人でお楽しみ中だったようだ。

「ちょっと、大丈夫!?」
 慌てて駆け寄ったものの、市原は少し離れた位置で声を掛ける。行動が読めないため、自身の身を守るためにも慎重に行動する必要がある。少女は第三者の存在に気が付いたのか、どうにか顔は石原の方に向いた。それでも、正常にはほど遠い言動が続いている。
「へへへ、あれ?ああ、ん?わんにゃん?おっきな、わんにゃんかあ。あはははは、しゃべってれえ、きゃはははは!!」
 草薙は石原に追い付くと、少女の様子を見てスマートフォンをポケットから取り出した。
「これ、さすがに俺でも放置しないレベルだぞ」
「はい、お願いします」
 詳細は不明であるが、状況的に判断したオーバードーズによる中毒状態だ。草薙は直ぐに119番に電話をすると、電柱に貼られた住所表記を確認しながら救急車の手配をした。

 その後、周囲に家族らしき人が見付からないため、2人は救急車に乗り込んで病院への搬送に付き添った。その後、胃洗浄等の処置をしている間に、少女が持っていたスマートフォンのアドレスから保護者らしき人物に連絡をとった。
 当然、取材どころではなくなったものの、ある意味で石原にとっては幸運だった。取材のためにコンタクトを取っていた医者が在籍している国立中央病院であった事。そしてもう1つ、出会い方はともかくとして、オーバードーズの経験者を「生命の恩人」として確保できた事だ。