クラッカー

「ただいま帰りました」
 編集室の扉を開けながら草薙が声を出す。
「お疲れさん。何か情報は入手できたか?」
 自分のデスクに着く草薙に対し、奥に座っていた今井が訊ねる。具体的に話しを聞こうとしている訳ではなく、慣例になっている行事の様なものだ。そうであるため、草薙も挨拶として返事をする。
「一応は聞いて回りましたけど、核心に迫るものは無いですね」
「そうか」
 それ以上会話が続く事はないため、草薙は今日の取材内容の整理を開始する。一応カバンに入れて持ち歩いていたノート型のパソコンを取り出し、素案をまとめるために電源を入れた。

 「最近のパソコンは起動時間がやたらと短くなっているな」などと思いながら画面を眺める。
 昔ながらのHDDではなく、SDDと略されるソリッドステートドライブが搭載されたモデルが大半を占めるようになり、数秒でトップ画面が表示される様になった。そこまで速く起動させる必要性を感じない草薙は、SDDの普及について記事を書こうと思った事があった。しかし、フラッシュメモリー云々の説明になった時点で諦めた。パソコン関連に疎い草薙には、新しい単語や技術体系が理解できなくなったからだ。

 取材メモを取り出した草薙は、今日出会った2人の1年生の事を思い出す。2人は会話の中で気になる事を口にしていた。
「non-noteを利用しないし、余り認知されていない・・・とか。本当か?」
 そうなのだ。現役大学生の2人は、non-noteの存在も利用価値も認識している様子がなかったのだ。
 草薙は検索サイトのトップページに移動すると、マイク機能をONにする。
「エリー」
「はい、こんにちは」
「10代、20代限定で、non-noteの普及率を頼む」
 草薙が言葉にすると、画面上のマークが点滅し情報収集を始める。そして、5秒もしない内にエリーが検索結果を口にした。
「10代の普及率は45.2パーセント、20代の普及率は54.5パーセントになります」
「マジ?」
 エリーの回答に対し、草薙は思わず素で驚いてしまう。大学内を歩き回った体感との乖離があったからだ。ただ、あくまでも名星大学の学内、しかも1年生の間での感覚である。もしかすると、他の大学や上級生の間では普通に使用されているのかも知れない。そう解釈して草薙は自身を納得させた。

 そもそもだ―――と思いながら、自身のパソコンにダウンロードしたnonーnoteを起動する。
 実際に使用してみると、物凄く快適なのだ。相手の話しを聞く必要がない。というよりも、自分が聞いて書き写すよりも断然速くて確実なのだ。更に、要点ごとに注釈や確認テストまで付いている。これを使用してしまうと、もうノートに書き写すという作業に戻りたくはないだろう。しかし、講義をする側から考えると、学問、自尊心の両面から決して許せないだろうとも思う。

「はあ」
 草薙がため息混じりにパソコンの画面を眺めていると、勢い良く編集室の扉が開いた。
「お疲れ様でーす」
 石原だ。少しお疲れの様子ではあるが、スタスタと歩いて草薙の隣にある自分のデスクに腰を下ろした。
「お疲れさん。今日はどうだった?」
「もう、そんな事を聞くのは止めて下さいよ。何か編集長が2人になった様な気がしますから」
 「激おこプンプン丸ですよー」などと何年前に流行ったか分からない言葉を口にしている。そんな石原を目にし、草薙は思わず笑顔になる。

「それで、non-noteはどうでした?何か面白い話しになってないんですか?あ、先輩が問題を起こした、なんてのはダメですよ、いつもの事なので」
 畳み掛ける様に早口で捲し立てる石原に苦笑いしながら、草薙が今日の出来事をざっと話す。取材のヒントを提供してくれた石原に対する感謝の気持ちもあった。
「なるほど。確かに、ネットの情報と現場の学生の間にズレがある様な気がしますね。でも、先輩の取材対象が偏っていたっていう可能性の方が高そうですけどね」
 確かにその可能性も否定できないため、草薙は何も言い返せなかった。
「で、オーバードーズはどうだったんだ?」
 草薙が石原の担当について問い掛けると、「ああ」と嘆息して話し始めた。
「簡単に言うと、ネットの情報のまんまです。ニュース番組で特集とかも放送してますけど、本当にそのままです。特に変わった事はありませんね」
 そう言って、手にしていたスマートフォンの画面を草薙に見せる。

<AIによる概略>
 オーバードーズとは、医薬品を決められた量や目的を超えて大量に摂取する行為を指します。市販薬(一般用医薬品)であっても、用法・用量を守らずに過剰に摂取すると、心身に深刻な健康被害をもたらし、最悪の場合、死に至る急性中毒を引き起こす非常に危険な行為です。 近年、違法薬物の代替として意図的に引き起こす若者も多く、薬品の管理をより一層厳格にする法整備が検討されています。

「まあ、この『違法薬物の代替品』ってところを記事にして欲しいんだろうな」
 説明文を読んだ草薙が呟くと、石原もそれに同調して頷いた。
「だと思います。でも、そういうのって夜じゃないですか。それに、ちょっとアングラな場所に行かないといけませんし・・・一緒に行ってくれますよね、先輩」
 いつも挑発的な態度の石原であるが、草薙にとっては可愛い後輩でもある。それに、確かに1人で怪しげな場所に行かせる訳にもいかない。草薙は仕方なく首肯した。
「で、いつ行くんだ?」
「明日です!!」
「早っ」
 「善は急げ」だの「光陰矢の如し」だの口にしながら、石原は1人でウンウンと何度も頷いていた。

 そんな石原の様子を笑顔で眺めながら、草薙は明日の予定を考える。
 一先ず、再び名星大学に出向き、当事者が在籍するというPC研究会に行ってみるしかないだろう。
 余りにも安易なスケジュールを立てると、草薙はスマートフォンのソーシャルゲームにログインする。春のイベントが終盤に差し掛かっているため時間が惜しかったのだ。ツッパリ小僧が全国制覇を目指すという対戦型アクションゲーム「ツッパリーズ」。給料をほぼ全額投資する草薙は重課金者であり、金額同等の強さもあった。