ほんのジョークです。

 草薙は編集室には行かず、「直帰します」のメールを入れて帰宅する事した。当初の予定では、明日が締切りの原稿を自分のデスクで完成させるつもりだった。しかし、神鳥からもたらされた情報により、草薙が事前に構成していた論理は完全に破綻してしまった。公表できない部分があるとしても、草薙としては虚偽の情報を文字にする事に抵抗があったのだ。

 その夜も前日の予定通り、神鳥を始めとするゲーム仲間で集合し、ワールドソルジャーの新エリアを暴れ回った。今日は2人きりではないため会話は全てチャットであり、昨日のように会話をする事はできない。草薙としては少しでも質問ができるものと思っていたが、そんな余裕は全く無かった。
 やがて時計が午前3時を過ぎ、1人、2人と脱落していく者が現れる。その1人目が神鳥だった。昨夜寝ていないため、もう無理だと言って早々に離脱してしまった。草薙は引き止める事もできず、寝オチ状態の師匠を起こす訳にもいかず、そのまま朝を迎える事になってしまった。

 何も解決しないまま朝になってしまったものの、今日は取材レポートの提出期限である。さすがに出社しないという選択肢は無く、草薙は編集室に向かった。

 重い足取りで階段を上がりつつ、頭の中で言い訳を考えるものの妙案は全く浮かばない。そうしている間に、草薙は編集室のドアの前に辿り着いてしまう。ドアを開けるという当たり前の動作を躊躇している草薙の後ろから、無駄に明るい声が聞こえてきた。
「先輩、おはようございます。入らないんですか?」
「あ、いや・・・」
 草薙は石原に押される形で編集室に入る事になった。
「お、おはようございます」
「おお、草薙、今日が締切りだから早く出せよ」
 一番奥のデスクから、編集長の今井が草薙に声を掛ける。

 その声に曖昧な返事をした草薙が自分のデスクに腰を下ろす。そして、カバンの中から取り出したノートパソコンの電源を入れて起動する。SSDによって無駄に速く立ち上がるが、その中に提出する原稿は存在しない。いや、記事自体は存在しているが、それは先月のアレ(・・)である。少し手直しをすれば違うテイストになるが、さすがに2ヶ月連続は許されるはずがない。許さない事は理解しているものの、草薙にはもうそれ以外に方法が残されていなかった。
 草薙は先月の原稿を表示すると、使用している単語や表現方法を少しずつ変更していく。「とりあえず提出、叱責されて納期の延長」、が草薙の目論見だ。

 必死に加筆修正作業をしている草薙の隣から石原が覗き込む。
「それ、『たけのこの美味しい食べ方』じゃないですか。もしかして、パート2とかですか?」
 いつもなら、ここで『取材対象はタケノコではなく、non-noteですけど?もしかして、それがnon-noteなんですか?』と大声で嘲笑した後、今井に報告するという流れになる。しかし、それでも自己申告するよりは、いくらかプレッシャーが少ない。草薙は覚悟して石原の言葉を待った。

「先輩のタケノコの記事って、季節感があって良いですよね。それに、情報誌という枠に捉われない発想や記事の内容は、斬新で素晴らしいと思います。特にこの『たけのこの美味しい食べ方』からは、文字なのに匂いや食感がリアルに伝わってきます。次号の巻頭に著名人の感想付きで掲載すれば良いよ思いますよ」

 石原の反応に、草薙は目を見開く。石原の表情は真剣であり、その表情を目にした草薙が混乱する。
「編集長もそう思いますよね」
 草薙が心の準備をするよりも早く、石原が一番奥のデスクに向かって声を掛ける。
「まあ、確かにそうではあるが」
 そう言って今井が席を立って草薙の元に歩いて来た。そして、パソコンの画面に表示されている「たけのこの美味しい食べ方2」にざっと目を通して口を開いた。

「なるほどな。確かに、石原の言う通りだ。ただ、まだまだ問題点も多くある。それは草薙の才能を否定するものではないぞ。どうだ?少し厳しい話になるかも知れないが、俺のアドバイスを聞く気があるか?」

 意味不明な展開に、草薙は無言で頷く事しかできなかった。

「よし、分かった。まず、草薙は他の記者に比べて書くという能力が高い。表現力、単語の使い方、文章のテンポは後天的に身に付くものではない。明らかに才能だ。文体も安定しているし、要点をまとめる能力も十分に備わっている。読みやすい文章であり、その内容に臨場感もある。ただ残念なのは、情報誌が求めている内容とのズレがある事だ。いくら記事が良くても、掲載する媒体とのバランスが取れていなければ、その良さは半減してしまう。『たけのこの美味しい食べ方2』これはこれで次号に掲載しよう。次回からは、こちらの意図を汲み取って書くように努力して欲しい。そうすれば、一段上の記者になれるだろう。これからも先見のMAYのメイン記者として頑張ってくれ」

 これと同じ感覚を、草薙は少し前に経験していた。
 あの時の気持ち悪さを感じながら、草薙は最近の出来事を脳裏に浮かべる。

 後輩の石原。
 編集長。
 non-noteの大学生。
 オーバードーズの犬飼さん。

―――――AIって洒落という言葉も理解している―――――

 草薙はパソコンの画面にフルネームを列記する。

 石原 天音
 今井 明夫
 生田 彰利
 犬飼 愛莉

 その時、草薙が覗き込んでいるパソコンの画面に、背後に立つ人の影が写った。
 草薙はゆっくりと振り返ると、その人物に声を掛ける。

「石原、その手にしている花瓶は何に使うんだ?」

 石原は満面の笑みを浮かべた。

「ほんのジョークです」








~ fin ~