慈悲深い皇帝は加虐的なお方でした

──────本日は夏雲とのお茶会の日。
 会場は彼女の宮の中だと朝通達があった。
 侍女たちは慌ただしく準備に勤しんでいる。
 美玉も今日はなんとなく落ち着かず、窓際をうろうろ歩いたり、本を読み始めたがすぐにやめたりと、ある意味では忙しい。
 そんな様子を見てか、陽紗が服を着せてくれると言うので任せることにした。
「最近美玉様のために見繕った可愛らしい襦裙があるんです!ぜひ本日はそれをご着用なるのはいかがでしょう?」
「本当?じゃあ、それにしようかな」
「かしこまりました!」
 そう言って手慣れた様子で素早く着付けていく。
 同時に智愛は化粧や髪を整える。素晴らしい連携だ。
 二人に感心していると、いつの間にか着替えも化粧も終わっていた。
「ご覧ください!どうですか?この薄衣の襦裙は!」
 姿見の前に立ち、そこに映る自分の姿を見てみると、口が開くほど驚いてしまった。
 まるで令嬢のような美しい娘がそこに立っていた。
 それは他ならぬ美玉なのだ。
「これが、私・・・・・・?」
「もちろんですよぉ!この色、綺麗でしょう?薄い藤色で、美玉様の瞳を一層引き立ててくれるのですよ」
「似合っておりますよ。私の髪型も相まって、更に素晴らしい仕上がりとなっております」
 薄い藤色が基本となっており、披帛は桜色となっていて、全体的に淡い色で構成されている。
 ふわりと回ると、まるでそこに天使が降りてきたかのような仕上がりとなる。
 髪型は飛仙髻(ひせんけい)になっており、二つの輪の間には紅石英が使われている胡蝶蘭を模した簪がさしてある。
(こんな簪あったっけ?)
 その疑問の答えはすぐに分かることとなるのだが。
 鏡に写った自分の後ろには檸檬色や鴇色の文字で埋め尽くされており、この姿を称賛してくれているのがわかる。
 本当にこれが自分だと信じられないが、夏雲に会いに行くにはこのくらいがちょうどいいのだろうか。
 いや、このくらいしなければ駄目だろう。
 侍女たちが一生懸命選んで、やってくれたのだ。これ以上のものはない。
「よし。それじゃあ、夏雲義姉様のもとへ参りましょうか」

◇◇
 いつもは嬉しく思う菓子の甘い香りも、今はかえって吐き気を催すほど重苦しい。
 ここは夏雲の宮である『蓬菊宮(よもぎぎくきゅう)』である。
 月季宮は落ち着いた装飾に、白や桃色を中心とした色の調度品が多い。
 しかし、蓬菊宮は黄金や赤などの派手な色で統一されているため、どこを見ても目が疲れてしまう。
 その原因は宮の中だけではないだろう。
「久しぶりね、美玉。その瞳は相変わらずね。何度見ても気分が悪くなるわ」
「お久しぶりです。夏雲義姉様もお元気そうで良かったです」
「ふふふ。さぁ、貴女のためにたくさん菓子を用意したの。お食べなさい」
 夏雲の金の髪も、黄玉の瞳も美玉の瞳を鋭く刺すように輝いている。
 相変わらず頭上の文字は重苦しい漆黒の文字だが、今日は比較的落ち着いているような気がする。
(さて。今日はどんな用があって私を呼び出したのかな)
 心の準備はできていたが、本人を前にするとやはりすくんでしまう。
 恐怖に駆られてしまうし、どうしても彼女の重圧に負けて口が開かなくなってしまう。
 でも、最初会ったときとは違って美玉には支えてくれる人たちがいる。
 村から救ってくれた宇翔。
 萌萌や陽紗、智愛などの侍女たち。
 そして、ありのままの美玉を認めてくれた才俊。
 どんなことを言われたって、されたって、負けるわけにはいかないのだ。
(そう。夏雲義姉様には申し訳ないけれど、才俊様に愛される寵妃となるのが、宇翔様への恩返しなの)
 この約束をしたことは、後宮入りする二日前に遡る。

◇◇
「後宮入りの件だが、儂の娘である夏雲と共にしてもらうことにした。良いか?」
「もちろんでございます」
「あと、その時の簪や襦裙はどんなものが良いなど、要望はあるか?」
「特にございません」
 今まで自分の意見を言ったことがない美玉は戸惑っていた。
 どんなふうに言えば良いのか、宇翔の気に障らないような言い方はどんなものなのか。
 何もかもわからずに、ただ言われたことに反応するだけだ。
 そういう態度を取っていると、彼は眉間に皺を寄せ、真面目な顔で話しかけてきた。
「美玉。いままでずっと何も意見を言えるような環境にいなかったのか?」
「そうですね。ずっと小屋の中にいただけですから」
 話し相手どころか、美玉と話したいような人間はいなかったため、語彙力はほぼないに等しいだろう。
 しかし、目上の人と話すことは時々あったため、勉強は惜しまずにやっていた。
 その甲斐があり、宇翔やこの屋敷にいる使用人たちとは特に問題なく会話をすることができる。
(やっておいてよかった。こんなことに役立つとは思っていなかったけれど)
 また黙ってしまった美玉に宇翔は苦笑し、そしてまた真剣な顔に戻った。
「美玉よ。お前にしか頼めない事があるのだが、聞いてもらってもよいか?」
「何でございましょう」
 気になってしまい、話を聞くよりも先に頭上を見てしまった。
【希少価値はあるから道具としては使えるだろう】
【折角珍しいものを拾ったのだ。最大限の利用価値を見出してもらわねばな】
 これらを見て今までの行動に辻褄が合った。
 血縁者二人に冷たく接したのは、美玉の価値を分かっていない馬鹿さに苛ついたから。
 美玉を養女にしたのは、自分が権力を持つため。
 優しく接してくれるのは、宇翔の大切な道具だから。
(でも酷い扱いをしていたあの人たちに比べれば、優しい方よね。ちゃんと感謝しなきゃ)
 黙ってしまった美玉を見て、重苦しそうに宇翔が話を切り出す。
「すまないな。だが、これは儂への恩返しだと思って後宮に行ってくれ」
「恩返し・・・・・・」
「そうだ。そのためにはまず、皇帝陛下の寵妃になってもらおうかね」
 寵妃になってもらうことが一番嬉しい、と言う。
 本人がそう言っているのだ。絶対に皇帝陛下に気に入られるように精進しようと決意をした。
 宇翔の上に浮かんでいる文字が変わっていることに気が付かず。
【家の財産はいよいよ不味くなってきたな。どちらかが寵妃になってくれればよいのだが】
【二人同時に入れることで競争率も上がるだろうな】
【もちろん儂は夏雲の肩を持つがな】
【あくまで美玉は夏雲のやる気を上げるための、使い捨ての駒なのだ】
 やはり彼は手段など選ばない男なのだ。
 そんなことを、美玉は知らない。

◇◇
 宇翔のために、自分を助けてくれた恩人のために寵妃になるしかないのだ。
(だから、夏雲義姉様には申し訳ないけれど・・・・・・)
 きっと今日呼び出されたのは、美玉が才俊から寵を受けていると思っているからだろう。
 実際とは少し違うし、別にそういうわけではないのだ。
 ただ才俊が美玉の事を気に入って、話をしにきているだけだ。決してそういうことをしているわけではない。
 なにかされそうな予感はするが、今の美玉なら乗り越えられる。
 そう信じている。
「美玉。私がせっかく用意した菓子に手を付けないとはどういう事?早くお食べなさい」
「分かりました。頂きますね」
 手前にあった月餅が目についたので、智愛に毒見をしてもらう。
 たとえ本人の前でも毒が入っているという可能性はあるので、無礼だと分かって入るがやるしかないのだ。
 智愛の口の中に入り、喉が上下に動く。
 特に何も反応がないので、それを手に取り食べようとしたその時だった。
「美玉、様・・・・・・、食べない、で・・・・・・」
「智愛!?」
 智愛はそう言い残し、椅子から倒れこんでしまった。
 顔がさっきよりも真っ青になって、手足が痙攣していつもと様子が全く違う。
(え?どういうこと・・・・・・?)
 急に恐怖が押し寄せてきて、後ろへ下がり、智愛から離れてしまう。
 こういうときは主として傍に寄り、声をかけてやることが一番いいというのに。
 そんな事もできず、自分のことを優先してしまう自分が嫌になる。
 どうしよう。
 何をすれば良いんだろう。
 分からない。
 自分がここにいる意味はあるのか?
 長い思考の果てに、この事態を起こした犯人を問い詰めるのが最適解だと辿り着いた。
「夏雲義姉様っ!貴女が、貴女が毒を仕込んだのですか!?」
 彼女が用意した菓子だ。きっと何か仕込んでいたのだろう。
 毒見をされるのは分かりきったことだ。
 ならば遅効性の毒にし、それが回りきらないうちに美玉の体内に入れようと企んでいたのだろう。
 だがその予想とは違い、即効性の毒と間違っていたようで、幸いにも美玉が口にすることはなかった。
 動機は不明だが、きっとこの仮説が正しいだろう。
「ふふっ。美玉、あんたはそんな見た目なのに、頭の回転は早いのね。流石『莫偉豪(バクウェイハオ)』の孫ね」
「莫偉豪?」
「そう。楊国の第五代皇帝よ。この国の昔は発展していなかったけれど、彼はその素晴らしい頭脳を活かしてどんどん豊かにしていったそうね。そんな事も知らないなんて、流石元農民」
 その第五代皇帝のことはどうでもいい。
 しかし美玉が彼の孫だなんてあり得ない。
 夏雲の言った通り、美玉はただの元農民だ。しかも貧しい村の。
(普通皇族って豊かなんじゃないの?ていうか、私が偉豪様の孫って確証はないんじゃないかな?断定できるものはないはずだし)
 そう。確証がないはずなのだ。
「なぜ夏雲義姉様は知っておられるのですか?」
「お父様に聞いたのよ。お前は偉豪様の孫だってね。でもその血は汚らわしいものだから、お前は農民になって貧しい生活をしているんだってことも」
 それに、と夏雲は更に言葉を連ねる。
「あんたの簪。それについている金製の牡丹と、翡翠で出来た葉の飾りが付いている宝飾品を持っている者は、その皇帝の子孫なんだってね。国書にも書いてあることなのよ。これだから没落した皇族は」
「そうなの・・・・・・?」
 夏雲の頭上には、美玉の視界が埋め尽くされるほどに皮肉や嘲笑う言葉が浮かんでいた。
【汚らわしい血を引いた者が私の目の前に立つんじゃないわよ】
【お前にそれを持つ価値なんてない】
【惨めねぇ。この私が憐れむほどには】
 黒、というより黒紫に近い色をしており、完全に美玉を貶していた。
(そんな。私は、皇族なの?それも、没落した)
 国書、というのは宮廷が書き記した公式な情報が書いてある本のことだ。
 それに書いてあるというのなら、美玉が皇族の血を引いている事実だろう。
 ならば、それほど有名なのだから侍女たちは皆知っているはずだ。
「萌萌。あなたたちは知っていたの?」
「・・・・・・申し訳ございません。存じておりました」
「じゃあ今まで優しく接してくれたのは、私が皇族の血を引いているからってことなの?」
「そんなつもりはめっぽうございません!私共は、美玉様が、貴女様が素晴らしいお方ですので、誠心誠意お世話をしていたに過ぎません!」
 彼女たちは濁った灰色の文字を漂わせていたが、いつもよりもふわふわしている。
 信じられない。
 こんな事実を聞いてしまった今、積み重ねてきた信頼は崩れ落ちてしまった。
 やっぱり信じなければよかった。裏切られるって、心では分かっていたというのに、この短期間で完全に絆されてしまっていたというのか。
(あぁ。村にいたときから私は気づいていたというのに。甘かったわ)
 何もかも甘い自分に今更だが腹を立ててしまった。
 本当ならここで夏雲と真剣に話をし、解決するか、正々堂々と寵妃の座をかけて勝負をするのだろう。
 才俊の妃としての威厳を見せるべきところなのだろう。
 だがそんな事はできない、やるべきではないと心が叫ぶ。
 美玉はすぐに諦めてしまうし、とても弱い人間なのだ。
 この世界には、絶望しかない。
「生きていても、幸せになったとしても絶対に不幸が、絶望がやってくるんだから」
「────その後には、幸せと希望がやってくるのだぞ」
「さ、才俊様・・・・・・!」
 崩れ落ちた美玉の隣には、いつも通り慈悲の仮面をつけた才俊が立っていた。
 気配を全く感じられず、驚きを隠せなかったが、それはそれで彼は嬉しそうに石竹色を纏わせていた。
【こんなに驚いて。愛らしい】
【簪をつけてくれている!やはり自ら選んだ甲斐があったな】
【やはり食べてしまうのも良いかもしれん】
 三日ほど会えていなかったので嬉しく思うし、久しぶりに彼の加虐的で恐ろしい思考に血が騒ぐ。
 顔が真っ赤になると同時に安心感が美玉の中に芽生える。
(あれ。私いつの間にか才俊様のことを安心できる存在だと、信頼できる人だと思ってるの?人は信じられないと先程再確認できたはずなのに)
 彼の存在そのものが美玉を振り回す。
 こんなにも胸が苦しくなったことなど、人生で一度もない。
 気づいてしまった。美玉は才俊のことが好きなのだ。
 ただ寵を受けるために話していただけなのに。対応をしていただけなのに。
 それ以上の感情を持ってはいけない・・・・・・のか?
 別にいいのかもしれない。誰も駄目だなんて言っていない。
 思い立ったらすぐに言うべきだ。雰囲気なんて関係ない。
「才俊様」
「何だ?美玉」
 言おうとした瞬間、水が目から溢れ出した。
「お慕いしております。愛しています」
「!美玉、なぜ泣いているのだ?」
 いつも冷静な彼があたふたし始め、少しおかしく思ってしまった。
 笑いたくなったが、それとは真逆にさらに涙の量が増えてしまう。嗚咽もしてしまう。
 更に泣いてしまった美玉を見て、才俊はぎゅうっと強く彼女の体を抱いた。
 石竹色が群青に変わり、その後漆黒に変わる。
 その場の空気が文字通り冷たくなり、才俊の周りには水が浮いている。
 それは、夏雲を捕らえており、今にも飛んでいきそうだ。
「美玉・・・・・・。なぜ泣いているのだ?」
「わかりません。ただ、いつの間にか泣いていたのですっ」
「そうか。話は分かった。今すぐ行くからな」
「えっ?才俊様はここにいらっしゃるでしょう?」
 そう美玉が言うと、ふっと笑みを浮かべた後、あたりに光が漂い消えてしまった。
(今のは何だったのかしら?)
 先程起こったことをうまく飲み込むことが出来ない。
「うざったらしいわね。いい加減私に返事をしなさい!」
 全く話を聞いていなかったので、正直に言う。
「申し訳ございません。聞いておりませんでした」
「はぁ。意味がわからない。憎しみを超えて呆れが出てきたわ。かといって悪意が小さくなるわけではないけれど」
 美しく真珠のような肌に血管が浮かび、今にも怒りが溢れ出しそうだ。
 様子が凄まじく、顔を少し伏せてしまったが、辛うじて頭上の文字は見えた。
 それらはただの漆黒ではなく、すべての色を混ぜてできたようなどろどろした黒の文字だった。
【私の才俊様を盗んだ】
【寵は私のものなのに】
【あんなやつに盗られてたまるか】
【私のお父様も奪って、更に才俊様も盗るだなんて】
 才俊の寵を受けているのは認めるが、夏雲のものというのは違うだろう。
 それに宇翔を奪ったつもりもない。どういうことなのだろうか。
 抱きしめる腕の力が少し緩んだ時を狙って、夏雲に声を掛ける。
「夏雲義姉様。私は宇翔様を奪ってなどおりません」
 事実を伝えたまでなのに。
 彼女は逆上し、美玉の胸元の布を掴み宙に浮かばせる。
「夏雲第三位妃様!美玉様を降ろしください!」
 萌萌と陽紗が声を掛けるが、そんなことに聞く耳を持たない。
 むしろ更に手に力を入れ、美玉の皮膚も掴んでくるため、鎖骨の周囲が痛い。
「何を言っているの!?お前が来てからお父様はお前のことばっかり話すのよ。私の話を聞くどころか、私にもその話をしてくる。お前がお父様を奪った!私にしてくれていた期待をお前が取った!」
 そんなことは初耳だ。
 しかし宇翔は美玉に期待などしていないだろう。夏雲の勘違いだ。
「そ、そんなことは、ございません。夏雲義姉様は、宇翔様の娘、ですよね?」
「そうよ。だからこそ苛立つの。ねぇ、お前のことは全部私の頭に入っているのよ。後宮に入ってからのこともね。弱みを皇帝陛下の御前でお話することもできるのだけれど」
 ねぇ龍城、と彼女が声を出すと、美玉の視界の端に宦官である彼が映る。
「龍城・・・・・・」
 彼は美玉の弱みを握るために、今日お茶会でこのことを決行するために密偵としての役割を果たしていたのだろうか。
(全くわからなかった。あぁ、この人は本気で私のことを殺しにかかっているかもしれない)
 来ると言っていたのに、結局才俊はいない。このまま助けてくれないかもしれない。
 そんなことをするような人ではないと思っているが、怪しく思ってしまう。
 死ぬかもしれない。そう夏雲の周りに漂う文字が教えてくれている。
【許さない。お父様も、寵も奪うなんて】
【死ね。死ねばいいのに!この手で殺してやる】
【ここでしくじっても、こいつは人間不信のまま生きることになる】
【そうすればいつか野垂れ死ぬはずよ】
 久しぶりにこんな恐怖を味わった。
 最初会ったときから悪意はあったが、今では殺意に発展している。
 ここからどうやって美玉を殺すのだろうか。
 彼女の言う通り今美玉は侍女すらも信じられていない。
 夏雲の侍女に取り押さえられているが、助けようとしてくれているのは分かる。だがそれも自分の立場のためだろうと考えてしまう。
 そしたらいっそのこと死んだほうがましかもしれない。
(申し訳ございません、才俊様。私のために苦しませてごめんね、智愛。助けようとしてくれてありがとう、萌萌、陽紗)
 すべてを諦め、体から力を抜いた。
 その瞬間を逃すまいと、夏雲は己の手を離し、美玉は床に落とされた。
 体に振動が走り、衝撃でうめき声が出る。
「美玉様っ!──離して、離してよっ!」
「申し訳ありません。夏雲様の御命令ですので」
 苦しそうな声と夏雲の行動を見て、萌萌がこれ以上はまずいと察知したのか、自分を拘束する人の手を振り払おうとするが、力が足りない。
 美玉も少しは抵抗したい気持ちがある。だが、何故か体に力が入らない。
(これも何か仕込んであるからかな?)
 胸元においてあった手の筋肉が全く機能しなくなり、だらんと床についてしまった。
 おそらく脱力させるような毒を体内に入れているのだろう。
 美玉はここまで何も口にしていないため、もしかしたら空気の中に盛っているのかもしれない。
 抵抗する術は、尽きてしまった。
「あははっ。本当に惨めだねぇ。お前を殺す前に、その簪を壊してやろうかしら。龍城、この女を取り押さえといて」
「かしこまりました」
 そう言って入口の近くに控えていた龍城は美玉を転がし、背後で腕を取り押さえる。
(そんなことをしたって、私は動けないはずなのに。意味がないのに)
 考えることすらもやめてしまいそうで恐怖を覚えてしまう。
 夏雲が整えられた美玉の髪を引っ張り、簪を抜く。
「あら。これって意外と鋭いのね。短刀の代わりになりそうだわ」
 自らの手の甲を切り、斬れ味を確認した後、付いてしまった己の血を舐め取った。
 舌舐めずりをし、美玉を見下ろす。
 その表情はまさしく獲物を狙う虎の顔だ。
 龍城に美玉が上を向くように指示をし、美玉が仰向けになったところで夏雲は宣言をした。
「さぁ、その真紅の心臓を見せてちょうだい。皇族の血が流れる、それを!」
 飾りがぶつかり合い、豪華な音を鳴らすそれを振りかざし、美玉を貫こうとしたその時であった。
 部屋の温度が急激に下がり、たくさんの足音が聞こえる。
 夏雲がこちらを見ていない隙に顔を動かすと、才俊が冷酷な表情でこちらに近づいてきているのが見えた。
 いつもの柔和な慈悲の笑みは跡形もなく消え、全てを映す瞳は深夜の海のように、深く、暗い。
 美玉は震えながらも彼の頭上を見上げると、そこには漆黒の混じる鮮血のような文字が浮かんでいた。
【俺の美玉に手を出すとは、よほどの覚悟があるのだような】
【言葉を発する舌も、俺の宝石に触れたその手も全て削ぎ落としてやりたい】
【不快だ。罰してやる】
 普段ならその言葉を否定するところだが、今回は口を動かすことも出来ないほどの圧を感じ、することが出来ない。
 その場にいる全員が彼の動きを待っていた時、まっすぐに閉じていた唇が開いた。
「やめろ。お前は高貴なものをそれ以上穢すつもりか」
 低く、冷え切った声が部屋に響く。
 先程まで威張っていた夏雲も恐縮をするが、負けじと声を張る。
「・・・・・・こいつが所有している時点で穢されているのだから、これ以上よごれても気にならないでしょう?」
「そういうことではない。龍城、美玉を解放しその女を取り押さえろ」
「承知仕りました」
 先程まで美玉を拘束していたその手で夏雲を床に叩きつけ、取り押さえる。
「龍城!あなたの主人は私よ?いくら皇帝だからって何でも命令を聞くもんじゃないわよ!」
 彼女もそうだが、美玉もなかなかに混乱している。
 夏雲の言う通り、いくら才俊が命令したからと言って自分の主人を拘束したりしないだろう。
(あ、もしかして・・・・・・)
 何かに気づいた様子の美玉を見て、才俊が甘い笑顔で話す。
「気づいたか、美玉。流石だな」
 その言葉と同時に才俊に抱きしめられる。
 耳元で小さく囁かれるが、抱きしめる腕は執着心と狂おしい独占欲に満ちている。
 美玉に向ける視線は暖かく優しいものだが、夏雲に向けるものは凍りつきそうなほど冷徹だった。
「相手を間違えたな、夏雲。美玉は私の所有物。つまり、美玉の心臓も私のものだ。・・・・・・俺の心臓を傷つけようとした罪は誰よりも重いぞ」
 美玉を大事に思うがゆえにこのように言っているのだろう。
 嬉しさに体を震わせてしまう。
 だが夏雲は意味をよくわかっていないようで、才俊に言い返す。
「どういうこと!?私には全くわからないわ。説明しなさい!」
「それよりも先にお前の罪を裁くほうが先ではないか?葉夏雲」
 その言葉に夏雲は顔を真っ青にする。
 おそらく罪、とは美玉をこんな事態に陥らせたことだろう。
 だがこの程度でここまでする必要はないと思ってしまう。
 もしかしたら他にも何かしていたのかもしれない。
 急に頭の中がはっきりし始め、あたりを見渡す余裕ができた。
 いつの間にか蓬菊宮に仕えている侍女や宦官たちは、才俊の部下であろう者たちに縄で縛り付けられている。
 それによって萌萌たちも解放されたようで安心したように座り込んでいる。
 智愛の姿が見られないことから、おそらく医局に運ばれたのだろう。
(良かった・・・・・・)
 何度目かわからない安心で緊張が段々ほぐれてくる。
 そこからは怒涛の才俊による言葉責めだった。
「まず一つ。妃の位ごとに配給される衣裳や簪などを実家に送り、葉家のものと偽装し売った罪」
「は?そんなことしてないわよ」
「二つ。侍女や宦官を通じて後宮の外にいる男と文通をしていた罪」
 後宮に入る妃は己の全てを皇帝に捧げなければならない。他の男に目を移してはいけないのだ。
 だからこれは罪なのだ。
「三つ。実父である葉宇翔と共謀し、俺の美玉を陥れようとした罪。具体的には毒を盛ったり、香に脱力させる効能がある毒を仕込んだことだな」
「皇帝陛下。もう一つございますよ。四つ。貴方様の大切な美玉第五位妃様を傷つけようとした罪、でしょう?」
「あぁ。そうだな。ではもう一つ付け加えるとしようか。五つ。間接的に俺を殺そうとした罪。美玉が死んだら俺も死ぬと国家の宣誓状に書いたからな」
 そんなことは知らなかった。しっかり伝えてほしいものだ。
 それに、適当に罪を作らないでほしい。大切にしてくれているのはわかるが、大事(おおごと)にしてしまっては宇翔にも処罰が下るだろう。
(ん?でも夏雲義姉様と共謀していたって言っていたよね?)
 情報が多すぎて頭の中が混乱状態になるが、そうしている間にも話は進む。
「証拠は?証拠はどこにあるのよ。私に冤罪をかけるつもり!?」
「そうであれば良いのだがな。龍城」
 姿が見えていなかった龍城がさっと才俊の横に屈み込む。
 胸元から何本か巻物を取り出し、その姿勢のまま一本ずつ夏雲に見せつける。
「こちらには実家に送った物品と、他所へ送ると偽装した男に送っていた手紙の内容が記されております。こちらには宇翔様と面談される際の会話を記したもので、白粉と偽装した毒が夏雲に送られてきた際の日時などが事細かく記されています」
 余罪についても調査済みです、と言い切り、夏雲を脇に抱えどこかへ行ってしまった。
(あの人、ある意味非人間的よね。もしかしたら、東にある島国にいる『忍者』という者なのかも)
 それくらい彼は不思議だ。
 そう。彼は二重で密偵としての役割を果たしていたのだ。
 夏雲に命令され美玉の様子を探っていたが、そのことは全て才俊のもとに知らされていたようだ。
 彼の仕事っぷりに感動していると、才俊が美玉の顔を覗き込み、微笑んだ。
「やっと俺と目を合わせてくれたな、美玉。少し寂しかったぞ。このためとはいえ会えていなかったからな。これからはもう、一瞬たりとも離したりしないからな」
「はい。才俊様、愛しております」
 ついに自分から本心を言葉にすることが出来た。才俊も驚いた顔で髪が垂れてかけている美玉の頭を撫でた。
「ふふ。その言葉を聞いたのは二回目だな。まぁ、もっと言ってもらうことになるがな。美玉には俺の皇后になってもらうぞ」
「・・・・・・皇后?私がですか?」
「そうだ。良いか?」
「もちろんです!・・・・・・ですが私にはもう後ろ盾がありません。良いのですか?」
 宇翔のお陰で妃になれたが、彼も処罰されるだろう。
 そうすれば美玉に後ろ盾はなくなる。
 何か良い案がないか思考を巡らせていると、才俊が声を上げた。
「俺の臣下である静の義妹になってもらうか。そうしたら俺も静も後ろ盾になれるぞ」
「え。静様は良いのですか?」
 そうすると才俊の後ろにいた静は頷き、肯定を示した。
「ははっ。静は美玉の従兄だからな。良いではないか!」
「えっ?ということは、静様も第五代皇帝の──」
「それはまた今度。さぁ、愛しの美玉。俺という縄をほどくことなど出来ないと思え」
 今まで見た中で1番甘い笑みを才俊は浮かべた。
 その言葉と表情に幸せを感じて笑みを浮かべると、萌萌たちが駆け寄ってきた。
「美玉様!私共は貴女様の出自を存じていましたが、それで優しく接していたのではありません。美玉様ご自身が素晴らしいお方でしたので──」
「分かってたよ。ごめんね。八つ当たりしちゃったの」
「うわーん!誠に申し訳ございませんでしたぁ!これからはもっと精進しますので!美玉様から離れたくありません!」
「もちろんよ。私のほうが離れたくないもの」
 そう言うと陽紗は更に泣き出してしまった。萌萌も薄っすらと涙ぐんでいる。
 これが俗に言う大団円というものなのだろうか。
(本当に良かった。もう二度と人を不審に思ったりしないわ)
 それも全て才俊のおかげだ。感謝してもしきれない。
 美玉は生まれて初めて『幸せ』というものを実感した。