──────ここは『楊国』。とある大陸にある大きな皇国だ。
そこは周りの王国よりも栄えており、国民たちは皆幸せに暮らしていた。
だが、皆といっても一部の人間のみだが──。
王都から遠く離れた田舎の村に嫌われ者の娘がいた。
「そのような目で我らを見るでない!」
「呪われているのよ。あぁ、忌々しい」
「早くどこか行ってしまえば良いものを」
彼女の瞳は左右非対称な色をしていた。
左は青玉のような深く吸い込まれそうな瞳を、右は翡翠のような美しく見惚れるような瞳を持っていた。
その珍しさ故に呪われている、と村では言われており、彼女は虐められていた。
村の者たちには名前など覚えられていないようだが、彼女には両親からもらったれっきとした名がある。
『厳美玉』。これが呪い子の名だ。
◇◇
(どのくらい前にご飯を食べられたっけ)
全てを諦めたような表情で小屋の外を眺めながら美玉は考えた。
過去を思い出してもしょうがないと自分でも思っているが、どうしても小さい頃の記憶を辿ってしまう。
美玉は生まれたときからこのような目をしていた。
両親は綺麗だ、素晴らしいと褒めてくれ、素晴らしいものを神から授かったものだと嬉しくて舞い上がりそうになった。
齢五になるまでは時折湯浴みをし、質素なご飯を食べ、両親の仕事の手伝いをしたりと充実した生活を送っていた。
だが、そんな生活は終止符を打たれてしまった。
ある日、突然母の頭上に漆黒の墨で書かれたような、そんなおぞましい字が浮かび上がってきたのだ。
別に影響はないだろう、と思っていたがその予想は外れることとなる。
それから少し経った日。
両親はいつものように美玉の瞳のことを褒めてくれた。
しかし、頭の上に浮かぶ文字はその発言とは真反対のことを示していた。
【なんて気味が悪いのでしょう。こんな呪い子は私の娘なんかじゃない】
【早く何処かにやりたいが、このような見た目では売るに売れないな】
意味がわからなかった。
生まれてこの方、自分に対して悪く言われたことがなかった。
確かにずっと褒めてばかりで叱られたことがないし、外に出させてもらったことはなかったからおかしいとは思っていた。
けれど、瞳のことを両親が言及するのは不思議だと思い、思い切って聞いてみたのだ。
「父さん、母さん。私の瞳は気味が悪いの?私のことを視界から外したいの?」
この好奇心が裏目に出てしまった。
「あぁ。そうだ。紛れもなくお前の瞳は呪われているのだ」
「今までずっと騙されていたというの?哀れなほどに馬鹿な小娘ね」
さっきのにこやかな表情とは打って変わって糞でも見るような、そんな冷たい視線でこちらのことを見てきたのだ。
少し前まで慈愛に満ちていたはずの両親の口からは突き放すような、そんな冷たい言葉しか出てこない。
もはや頭上に浮かぶ文字は黒く塗りつぶされた悪意の塊としか見れなくなっていた。
きっと頭の上に浮かぶ文字はその人の思っていることがわかるようになっているのだろう。
それに加え、文字の色に感情が反映されることもあるのかもしれない。両親の文字の色はどす黒かった。
だが、両親はこのことを知らないみたいだ。
さっきの発言から怪しまれることがなかったのも不幸中の幸いと言えるだろう。
今までとは違う怖い雰囲気をした両親に怯えているうちに無理矢理目隠しをされ、手を拘束された。
そして立ち上がれ、と言われたので実行すると強く引っ張られ、何刻も歩かされた。
目的地に到着したのか、視界が解放されるとそこはオンボロの小屋だった。
どういう状況なのか理解ができず、そばにいた老人に聞いてみると、鋭い視線を向けながら吐き捨てるように言った。
「ふん。こんなこともわからないのか。お前は両親に売られたんだよ。僅かな金だが、呪い子が家にいるよりは良いだろうな」
そう言い残して小屋の外へ行ってしまった。
彼もまた美玉のことを悪く思っているようで、文字は烏黒で罵倒の言葉が書かれていた。
今気づいたのだが、感情も文字の色に反映されるようだ。
(なんて面倒くさいものなの。いらないというのに)
それからというものの、美玉はずっと小屋の中におり、人が入ってこようものなら美玉の容姿を悪く言ってくる。
よく暴力も振られたりするし、一番酷かったのは右腕の二の腕に湯をかけられたことだろうか。その跡は今も残っている。
そのような生活を送っているうちに、いつの間にか美玉は齢十七になっていた。
相変わらずの左右非対称な目に、伸び切った深緑の髪。あちこちにすすが付いた悪くはない顔立ち。
もしこんな田舎に生まれていなかったらまだマシな扱いを受けていたかもしれないと考えるときもある。
でもそれはきっと違う。
こんなに気味の悪い瞳を持った人など、結局は呪い子と言われて終いだ。
何も変わらない。自分の運命はずっと前から決まっているのだ。
すべてを諦めなければ、生きていけないのだ。
(希望を少しでも持ってしまえば、裏切られた気分になるもの。それだったら最初から期待しなければいいの)
いつまでもこんな気持ちを持ちながら生きていくと思っていた。
◇◇
お世辞にも布団と言えないような布ですやすやと美玉は眠っていた。
何年もずっとこれで寝ているのだからもう慣れっこだ。
そんな快適な睡眠は外から聞こえる大きな物音で妨害されることとなる。
「おい。何だよあれ?」
「あんな豪華な馬車、王都に行ったとき以来に見たぜ」
「つまり、王都から来た馬車ってことか?」
人々のざわめきで美玉は起きてしまった。
小屋から差す朝日がこんなにも眩しいとは思ったこともなかったが、今日はいつにも増して日差しが強い気がする。
(なんだろう。村の皆が騒がしい。馬車の音も聞こえるような気がする)
珍しく外のことに関心を寄せた美玉は、小屋に取り付けられている格子の隙間から外を見た。
すると見たこともないような光景が外に広がっていた。
朱塗りされ、ところどころに金がある田舎暮らしの者にとっては眩しい馬車。
その周りにはたくさんの従者らしき人がぱっと見るに五十人程いた。
少し見るだけで大きな家の者たちだとわかる。
「どうしよう・・・・・・。私みたいな見た目の者がいると知られてしまったら、どんな対応をされるのでしょう」
村の対応もひどいのだから、すぐになんでも怖がるような富豪たちは美玉のことをよく思わないだろう。
村では『呪い子』程度で終わっているが、国ほどの大きな単位となるとどうなるのだろうか。
今のように監禁されるかもしれないし、最悪の場合処刑される。
(怖い・・・・・・。誰か、助けて・・・・・・)
今まで感情というものを抑えていたはずだ。そうでなければ心が壊れてしまうから。
でもこんなに大きな恐怖心を抱いたことはない。
小屋の端にうずくまって、これから来る恐怖を大人しく待つしか、美玉の中に選択肢はないのだ。
◇◇
「呪い子、がいると聞いたのだが、それは本当か?」
王都から遠く離れた田舎まで来たのは良いものの、そんなことは事前に聞いていなかった。
馬車の中に乗っているのは、国内でも最高位に位置する商家の家長である『葉宇翔』という名の男と、その従者たちだ。
彼らは商品に加工する前の材料を仕入れに、この村に来ていた。
そこでは白身魚が多く生息しており、その魚たちをすり身にし、固めて練り物にすると美味しいらしい。
その練り物を作り、販売して王都で儲けようという算段だ。
目的は達成したので帰ろうとしたのだが、それ以上に気になる話題が出てきたため、まだ村にとどまろうと思っているのだ。
「はい。その呪い子は左右非対称な目を持っており、左は青玉のような、右は翡翠のような瞳を持っているとのことです」
「なるほど。容姿は整っているのか?」
「おそらく。ですが、何故そんなことを?」
普通はその珍しさに驚いたり、怯えたりするのもなのだが、あまり関係ないことを聞くのだから疑問に思うのは当然と言えるだろう。
宇翔は王都一の頭脳を持っていた。どんな思考回路をしているか誰もわからないが、一つだけわかることがある。
「その呪い子を養女とし、後宮に入れようと思う」
家の発展のためには、どんな手段も選ばない。
それが男の理念だ。
◇◇
思ったよりも人が来るのが遅い。
太陽が山から出たばかりだったというのに、今では空の真上に行こうとしている。
(もしかしたら、なにもないのかも。それだと良いのだけれど)
考えるのと同時に、首を振りその思考を捨てる。
今までも甘い考えをして、結局裏切られるという結果になっていた。
期待など、してはいけない。
そんな権利など、美玉にはない。
いつものように心を無にして、村の者が来るのを待っていると、やはり怪訝な顔をした老人が来た。
彼は美玉のお世話役を命じられており、本人は嫌がりながらもしっかりとこなしている。
おそらく、仕事をしなければ罰が与えられるからだろう。
「おい。王都から大きな商家の方が来られた。お前に会いたいとおっしゃられた。来い」
「分かりました。すぐに」
なぜこの村に来たのか、なぜ美玉に会いたいのか。
疑問はたくさん浮かぶが、口答えをしてはいけない。それが規則だ。
(私などが口を開けてはいけないの。言われたことをすれば、拳が飛んでくることはないわ)
手首を前の方で縛られ、言われるがままについていく。
向かった先は村長の屋敷だった。
屋敷とは言い難いが、貧しいこの村の中では一番大きな建物だったので、皆屋敷と呼んでいる。
そんなことはどうでも良くて、中に入っていくとなんだか高貴な感じの香の匂いがした。おそらく白檀だろう。
この国では人の匂いだけでどんな身分か判断がおおよそつく。白檀は最高級のものなので、本当に商家の者が来たのだろう。
「失礼します。かの者を連れてまいりました」
「うむ。入れ」
老人は扉をたたき、了承を得ると部屋の中に美玉を連れて入る。
中には村長と美玉の両親、そして例のやんごとなき人が長椅子に腰掛けていた。
美玉の縄を解くと、足早に彼は部屋を去っていった。村長に命令されたのだろう。
「お前がこの村で呪い子と呼ばれている者か」
「はい。美玉でございます」
作法や礼儀、社会常識などの勉強は小屋の中にいるときから学ばされてきた。
特にやることもなかったので、ずっと独学でしているうちに、妃として後宮入りしても遜色ない程にまでに知識を蓄えてしまった。
そのため、このような方の前でも恥ずかしくないような対応はできる。
(でも、『できる』と『する』ではまた違うもの。まさかこんな方の前で披露するなんて、夢にも思わなかった)
顔を上げて、例の方を観察してみる。
頭の頂点で丁寧に結われた髪は艶があり、黄金に輝いていた。
それとは対称的に、言い方が悪いかもしれないが、泥のような濁った茶色の瞳は美玉のほうを見て爛々と輝いている。
まるで、美玉が何かの鍵を握っているかのように。
じっと彼のことを見ていると、急ににこりと笑って話しかけてきた。
「抜き打ちで呼んでしまい申し訳なかった。儂は王都で店などを経営する葉宇翔だ。よろしく頼む」
「よろしくお願いいたします、宇翔様」
「ははは。そうかしこまらなくても良い。さ、儂の前にある椅子に座るが良い」
「・・・・・・え」
つい驚いてしまった。
今まで椅子に座れと促されたことがなかったし、そもそも座ったこともない。
ずっと立っているか地べたにしゃがむかの二択だった。
でも、言われたからには座るべきか。だが両親は立っているし、許可が出ていない。
美玉の独断でするわけにはいかないが、聞くのはこのような場面では好ましくないと思い、両親に頭を下げながら浅くちょこんと座った。
予想はしていたが、後ろから冷たい空気が流れてくるようで縮こまってしまうが、目の前に人がいるというのにそんな態度をすることは出来ない。
背筋をいつもよりピンと伸ばし、宇翔から話しかけられるのを待つ。
そうすると、少し訝しげな顔で美玉に質問をしてきた。
「なぁ。何故お前は儂に何も質問しない。普通ならば、この状況の全てを疑問に思うのではないか?」
「あ、まぁそうですね・・・・・・」
「儂は構わんが、後ろにいるそいつらに何かやられているのか?」
宇翔は殺気立たせながら黙ったまま控えている両親を睨む。
なぜ美玉をかばうような行為をするのかは不明だが、彼らを嫌っているということはわかる。
美玉は振り返ることも出来ず、ただ場面が動くのを待つ。
そうすると、母親は狂ったように笑い声を出し始めた。
「あははははっ!なに、あんたこいつのこと気に入っているの?やめたほうが良いわよ?」
「どういう意味だ?それに、なぜこの子はこんな見た目をしているのだ。村八分しているのか?」
「正解。この瞳を見てご覧なさい。非人間的よ。だからのけ者にしているの」
背中に悪寒が走った。
狂気的に笑っている人が、自分の肉親とは腑に落ちにくかった。
なにか事情があって会えなかっただけで、少しは自分のことを愛してくれていると思っていた。
あのときは演技をしていると思っていた。調子が悪かっただけだと信じていた。
こんな扱いを受けているとはいえ、家族はこの世に二人しかいないのだ。
唯一血がつながっている人間なのだから、と期待していた。
(あ。また私は期待をしてしまっていた。家族だからって、そんなの駄目だって分かってたはずなのに)
やっぱり、自分は他人とは分かり合えないし、信じてはいけない生き物なのだとついに確信してしまった。
目の前にいる宇翔という人間も、美玉のことを庇っているようだが、きっと心の底では気味が悪いとでも思っているだろう。
自分の心が闇に沈んでいくのが分かってしまった。
「美玉。あんた、そろそろこの村から出ていってちょうだい。何なら、死んでもいいのよ?」
女は一通り言い切ったのか、吐き捨てるように美玉に言葉を向け、部屋から出ていってしまった。
その場に取り残された男は、宇翔にすがるように話し始めた。
「宇翔様。誠に申し訳ございません。帰ったらうちの妻にはしっかりと──」
「死んでもよいのなら、この娘は儂の好きにしてもよいのだな?」
いつの日か、先程去っていった女がしたあの冷たい視線のような。いや、それよりもはるかに温度の低い目を男に向けて言い放った。
床に這いつくばっている男は首がもげてしまうほど頷き、また謝ろうとしたが、宇翔が不快そうな顔をしたため、逃げるようにまた扉をくぐって行ってしまった。
(あの人たちは何をしに来ていたんだろう)
今となってはどうでもいいが、部屋に取り残された美玉たちは少し気まずそうに向き合った。
重い雰囲気に耐えかねたのか、宇翔が静寂を破った。
「確か美玉と言ったかね。あの両親どもはもうどうでもいいかね?」
「当たり前です。そもそも彼らを家族と認識しておりません。赤の他人でございます」
「そうか」
会話が終わってしまった。
質問をしたいが、口を開いて良いのだろうか。
だが、先程宇翔は構わないと言っていたため、大丈夫だろう。
「宇翔様。私はこれからどうすればよろしいのでしょうか。死ねばよろしいのでしょうか」
「あいつらが言ったことを鵜呑みにするな。どうせ死ぬのなら誰かの役に立ってからにしなさい」
「というと?」
開放感からか、いつもは活躍することのない唇と舌がよく動く。
思ったことが滑らかに出てくる。元々美玉はよく喋る方なのだろうか。
質問を重ねてしまったせいか、少し考えながら宇翔は言葉を発した。
「そうだな。美玉、お前は今日から儂の養女にしようかの」
そこは周りの王国よりも栄えており、国民たちは皆幸せに暮らしていた。
だが、皆といっても一部の人間のみだが──。
王都から遠く離れた田舎の村に嫌われ者の娘がいた。
「そのような目で我らを見るでない!」
「呪われているのよ。あぁ、忌々しい」
「早くどこか行ってしまえば良いものを」
彼女の瞳は左右非対称な色をしていた。
左は青玉のような深く吸い込まれそうな瞳を、右は翡翠のような美しく見惚れるような瞳を持っていた。
その珍しさ故に呪われている、と村では言われており、彼女は虐められていた。
村の者たちには名前など覚えられていないようだが、彼女には両親からもらったれっきとした名がある。
『厳美玉』。これが呪い子の名だ。
◇◇
(どのくらい前にご飯を食べられたっけ)
全てを諦めたような表情で小屋の外を眺めながら美玉は考えた。
過去を思い出してもしょうがないと自分でも思っているが、どうしても小さい頃の記憶を辿ってしまう。
美玉は生まれたときからこのような目をしていた。
両親は綺麗だ、素晴らしいと褒めてくれ、素晴らしいものを神から授かったものだと嬉しくて舞い上がりそうになった。
齢五になるまでは時折湯浴みをし、質素なご飯を食べ、両親の仕事の手伝いをしたりと充実した生活を送っていた。
だが、そんな生活は終止符を打たれてしまった。
ある日、突然母の頭上に漆黒の墨で書かれたような、そんなおぞましい字が浮かび上がってきたのだ。
別に影響はないだろう、と思っていたがその予想は外れることとなる。
それから少し経った日。
両親はいつものように美玉の瞳のことを褒めてくれた。
しかし、頭の上に浮かぶ文字はその発言とは真反対のことを示していた。
【なんて気味が悪いのでしょう。こんな呪い子は私の娘なんかじゃない】
【早く何処かにやりたいが、このような見た目では売るに売れないな】
意味がわからなかった。
生まれてこの方、自分に対して悪く言われたことがなかった。
確かにずっと褒めてばかりで叱られたことがないし、外に出させてもらったことはなかったからおかしいとは思っていた。
けれど、瞳のことを両親が言及するのは不思議だと思い、思い切って聞いてみたのだ。
「父さん、母さん。私の瞳は気味が悪いの?私のことを視界から外したいの?」
この好奇心が裏目に出てしまった。
「あぁ。そうだ。紛れもなくお前の瞳は呪われているのだ」
「今までずっと騙されていたというの?哀れなほどに馬鹿な小娘ね」
さっきのにこやかな表情とは打って変わって糞でも見るような、そんな冷たい視線でこちらのことを見てきたのだ。
少し前まで慈愛に満ちていたはずの両親の口からは突き放すような、そんな冷たい言葉しか出てこない。
もはや頭上に浮かぶ文字は黒く塗りつぶされた悪意の塊としか見れなくなっていた。
きっと頭の上に浮かぶ文字はその人の思っていることがわかるようになっているのだろう。
それに加え、文字の色に感情が反映されることもあるのかもしれない。両親の文字の色はどす黒かった。
だが、両親はこのことを知らないみたいだ。
さっきの発言から怪しまれることがなかったのも不幸中の幸いと言えるだろう。
今までとは違う怖い雰囲気をした両親に怯えているうちに無理矢理目隠しをされ、手を拘束された。
そして立ち上がれ、と言われたので実行すると強く引っ張られ、何刻も歩かされた。
目的地に到着したのか、視界が解放されるとそこはオンボロの小屋だった。
どういう状況なのか理解ができず、そばにいた老人に聞いてみると、鋭い視線を向けながら吐き捨てるように言った。
「ふん。こんなこともわからないのか。お前は両親に売られたんだよ。僅かな金だが、呪い子が家にいるよりは良いだろうな」
そう言い残して小屋の外へ行ってしまった。
彼もまた美玉のことを悪く思っているようで、文字は烏黒で罵倒の言葉が書かれていた。
今気づいたのだが、感情も文字の色に反映されるようだ。
(なんて面倒くさいものなの。いらないというのに)
それからというものの、美玉はずっと小屋の中におり、人が入ってこようものなら美玉の容姿を悪く言ってくる。
よく暴力も振られたりするし、一番酷かったのは右腕の二の腕に湯をかけられたことだろうか。その跡は今も残っている。
そのような生活を送っているうちに、いつの間にか美玉は齢十七になっていた。
相変わらずの左右非対称な目に、伸び切った深緑の髪。あちこちにすすが付いた悪くはない顔立ち。
もしこんな田舎に生まれていなかったらまだマシな扱いを受けていたかもしれないと考えるときもある。
でもそれはきっと違う。
こんなに気味の悪い瞳を持った人など、結局は呪い子と言われて終いだ。
何も変わらない。自分の運命はずっと前から決まっているのだ。
すべてを諦めなければ、生きていけないのだ。
(希望を少しでも持ってしまえば、裏切られた気分になるもの。それだったら最初から期待しなければいいの)
いつまでもこんな気持ちを持ちながら生きていくと思っていた。
◇◇
お世辞にも布団と言えないような布ですやすやと美玉は眠っていた。
何年もずっとこれで寝ているのだからもう慣れっこだ。
そんな快適な睡眠は外から聞こえる大きな物音で妨害されることとなる。
「おい。何だよあれ?」
「あんな豪華な馬車、王都に行ったとき以来に見たぜ」
「つまり、王都から来た馬車ってことか?」
人々のざわめきで美玉は起きてしまった。
小屋から差す朝日がこんなにも眩しいとは思ったこともなかったが、今日はいつにも増して日差しが強い気がする。
(なんだろう。村の皆が騒がしい。馬車の音も聞こえるような気がする)
珍しく外のことに関心を寄せた美玉は、小屋に取り付けられている格子の隙間から外を見た。
すると見たこともないような光景が外に広がっていた。
朱塗りされ、ところどころに金がある田舎暮らしの者にとっては眩しい馬車。
その周りにはたくさんの従者らしき人がぱっと見るに五十人程いた。
少し見るだけで大きな家の者たちだとわかる。
「どうしよう・・・・・・。私みたいな見た目の者がいると知られてしまったら、どんな対応をされるのでしょう」
村の対応もひどいのだから、すぐになんでも怖がるような富豪たちは美玉のことをよく思わないだろう。
村では『呪い子』程度で終わっているが、国ほどの大きな単位となるとどうなるのだろうか。
今のように監禁されるかもしれないし、最悪の場合処刑される。
(怖い・・・・・・。誰か、助けて・・・・・・)
今まで感情というものを抑えていたはずだ。そうでなければ心が壊れてしまうから。
でもこんなに大きな恐怖心を抱いたことはない。
小屋の端にうずくまって、これから来る恐怖を大人しく待つしか、美玉の中に選択肢はないのだ。
◇◇
「呪い子、がいると聞いたのだが、それは本当か?」
王都から遠く離れた田舎まで来たのは良いものの、そんなことは事前に聞いていなかった。
馬車の中に乗っているのは、国内でも最高位に位置する商家の家長である『葉宇翔』という名の男と、その従者たちだ。
彼らは商品に加工する前の材料を仕入れに、この村に来ていた。
そこでは白身魚が多く生息しており、その魚たちをすり身にし、固めて練り物にすると美味しいらしい。
その練り物を作り、販売して王都で儲けようという算段だ。
目的は達成したので帰ろうとしたのだが、それ以上に気になる話題が出てきたため、まだ村にとどまろうと思っているのだ。
「はい。その呪い子は左右非対称な目を持っており、左は青玉のような、右は翡翠のような瞳を持っているとのことです」
「なるほど。容姿は整っているのか?」
「おそらく。ですが、何故そんなことを?」
普通はその珍しさに驚いたり、怯えたりするのもなのだが、あまり関係ないことを聞くのだから疑問に思うのは当然と言えるだろう。
宇翔は王都一の頭脳を持っていた。どんな思考回路をしているか誰もわからないが、一つだけわかることがある。
「その呪い子を養女とし、後宮に入れようと思う」
家の発展のためには、どんな手段も選ばない。
それが男の理念だ。
◇◇
思ったよりも人が来るのが遅い。
太陽が山から出たばかりだったというのに、今では空の真上に行こうとしている。
(もしかしたら、なにもないのかも。それだと良いのだけれど)
考えるのと同時に、首を振りその思考を捨てる。
今までも甘い考えをして、結局裏切られるという結果になっていた。
期待など、してはいけない。
そんな権利など、美玉にはない。
いつものように心を無にして、村の者が来るのを待っていると、やはり怪訝な顔をした老人が来た。
彼は美玉のお世話役を命じられており、本人は嫌がりながらもしっかりとこなしている。
おそらく、仕事をしなければ罰が与えられるからだろう。
「おい。王都から大きな商家の方が来られた。お前に会いたいとおっしゃられた。来い」
「分かりました。すぐに」
なぜこの村に来たのか、なぜ美玉に会いたいのか。
疑問はたくさん浮かぶが、口答えをしてはいけない。それが規則だ。
(私などが口を開けてはいけないの。言われたことをすれば、拳が飛んでくることはないわ)
手首を前の方で縛られ、言われるがままについていく。
向かった先は村長の屋敷だった。
屋敷とは言い難いが、貧しいこの村の中では一番大きな建物だったので、皆屋敷と呼んでいる。
そんなことはどうでも良くて、中に入っていくとなんだか高貴な感じの香の匂いがした。おそらく白檀だろう。
この国では人の匂いだけでどんな身分か判断がおおよそつく。白檀は最高級のものなので、本当に商家の者が来たのだろう。
「失礼します。かの者を連れてまいりました」
「うむ。入れ」
老人は扉をたたき、了承を得ると部屋の中に美玉を連れて入る。
中には村長と美玉の両親、そして例のやんごとなき人が長椅子に腰掛けていた。
美玉の縄を解くと、足早に彼は部屋を去っていった。村長に命令されたのだろう。
「お前がこの村で呪い子と呼ばれている者か」
「はい。美玉でございます」
作法や礼儀、社会常識などの勉強は小屋の中にいるときから学ばされてきた。
特にやることもなかったので、ずっと独学でしているうちに、妃として後宮入りしても遜色ない程にまでに知識を蓄えてしまった。
そのため、このような方の前でも恥ずかしくないような対応はできる。
(でも、『できる』と『する』ではまた違うもの。まさかこんな方の前で披露するなんて、夢にも思わなかった)
顔を上げて、例の方を観察してみる。
頭の頂点で丁寧に結われた髪は艶があり、黄金に輝いていた。
それとは対称的に、言い方が悪いかもしれないが、泥のような濁った茶色の瞳は美玉のほうを見て爛々と輝いている。
まるで、美玉が何かの鍵を握っているかのように。
じっと彼のことを見ていると、急ににこりと笑って話しかけてきた。
「抜き打ちで呼んでしまい申し訳なかった。儂は王都で店などを経営する葉宇翔だ。よろしく頼む」
「よろしくお願いいたします、宇翔様」
「ははは。そうかしこまらなくても良い。さ、儂の前にある椅子に座るが良い」
「・・・・・・え」
つい驚いてしまった。
今まで椅子に座れと促されたことがなかったし、そもそも座ったこともない。
ずっと立っているか地べたにしゃがむかの二択だった。
でも、言われたからには座るべきか。だが両親は立っているし、許可が出ていない。
美玉の独断でするわけにはいかないが、聞くのはこのような場面では好ましくないと思い、両親に頭を下げながら浅くちょこんと座った。
予想はしていたが、後ろから冷たい空気が流れてくるようで縮こまってしまうが、目の前に人がいるというのにそんな態度をすることは出来ない。
背筋をいつもよりピンと伸ばし、宇翔から話しかけられるのを待つ。
そうすると、少し訝しげな顔で美玉に質問をしてきた。
「なぁ。何故お前は儂に何も質問しない。普通ならば、この状況の全てを疑問に思うのではないか?」
「あ、まぁそうですね・・・・・・」
「儂は構わんが、後ろにいるそいつらに何かやられているのか?」
宇翔は殺気立たせながら黙ったまま控えている両親を睨む。
なぜ美玉をかばうような行為をするのかは不明だが、彼らを嫌っているということはわかる。
美玉は振り返ることも出来ず、ただ場面が動くのを待つ。
そうすると、母親は狂ったように笑い声を出し始めた。
「あははははっ!なに、あんたこいつのこと気に入っているの?やめたほうが良いわよ?」
「どういう意味だ?それに、なぜこの子はこんな見た目をしているのだ。村八分しているのか?」
「正解。この瞳を見てご覧なさい。非人間的よ。だからのけ者にしているの」
背中に悪寒が走った。
狂気的に笑っている人が、自分の肉親とは腑に落ちにくかった。
なにか事情があって会えなかっただけで、少しは自分のことを愛してくれていると思っていた。
あのときは演技をしていると思っていた。調子が悪かっただけだと信じていた。
こんな扱いを受けているとはいえ、家族はこの世に二人しかいないのだ。
唯一血がつながっている人間なのだから、と期待していた。
(あ。また私は期待をしてしまっていた。家族だからって、そんなの駄目だって分かってたはずなのに)
やっぱり、自分は他人とは分かり合えないし、信じてはいけない生き物なのだとついに確信してしまった。
目の前にいる宇翔という人間も、美玉のことを庇っているようだが、きっと心の底では気味が悪いとでも思っているだろう。
自分の心が闇に沈んでいくのが分かってしまった。
「美玉。あんた、そろそろこの村から出ていってちょうだい。何なら、死んでもいいのよ?」
女は一通り言い切ったのか、吐き捨てるように美玉に言葉を向け、部屋から出ていってしまった。
その場に取り残された男は、宇翔にすがるように話し始めた。
「宇翔様。誠に申し訳ございません。帰ったらうちの妻にはしっかりと──」
「死んでもよいのなら、この娘は儂の好きにしてもよいのだな?」
いつの日か、先程去っていった女がしたあの冷たい視線のような。いや、それよりもはるかに温度の低い目を男に向けて言い放った。
床に這いつくばっている男は首がもげてしまうほど頷き、また謝ろうとしたが、宇翔が不快そうな顔をしたため、逃げるようにまた扉をくぐって行ってしまった。
(あの人たちは何をしに来ていたんだろう)
今となってはどうでもいいが、部屋に取り残された美玉たちは少し気まずそうに向き合った。
重い雰囲気に耐えかねたのか、宇翔が静寂を破った。
「確か美玉と言ったかね。あの両親どもはもうどうでもいいかね?」
「当たり前です。そもそも彼らを家族と認識しておりません。赤の他人でございます」
「そうか」
会話が終わってしまった。
質問をしたいが、口を開いて良いのだろうか。
だが、先程宇翔は構わないと言っていたため、大丈夫だろう。
「宇翔様。私はこれからどうすればよろしいのでしょうか。死ねばよろしいのでしょうか」
「あいつらが言ったことを鵜呑みにするな。どうせ死ぬのなら誰かの役に立ってからにしなさい」
「というと?」
開放感からか、いつもは活躍することのない唇と舌がよく動く。
思ったことが滑らかに出てくる。元々美玉はよく喋る方なのだろうか。
質問を重ねてしまったせいか、少し考えながら宇翔は言葉を発した。
「そうだな。美玉、お前は今日から儂の養女にしようかの」



