世界から君が消えた日



______たくさんたくさん努力しました。
学校も休まず、宿題もサボらず、家ではずっと机に向かっていました。ご楽はオセロです。でも友だちがいなかったので1人で白と黒をうら返していました。たのしくはありませんでした。
父はいません。ぼくが小学1年生の時に交通事こで亡くなりました。父はとてもやさしかったです。
母はとても。母もとてもやさしい人です。大すきです。
母はよくぼくをたたきます。いたかったです。けれど、その後は必ずだきしめてくれます。
母はよくしにたいと言います。そんな母を見てぼくは母のせ中に手を回します。母はいやがってぼくをつき飛ばしました。けれど何もしなかったらたたかれます。いたかったです。
学校では、くさいと言われます。だれもぼくには近よりません。クラスメイトも先生もぼくを空気と同じようにあつかいます。
だれにも言えませんでした。ぼくのまわりには人がいませんでした。
なんというか、人生がむずかしいと感じました。生きにくいと感じました。
けれどしにたいとは思いません。
ぼくは、大きらいな母のようにはなりません。







「なに、これ」

美しい茜色の夕焼けを背景に涼しい風が吹く。
ここは本来は立ち入り禁止の場所。
後ろを振り向くと僕の後をつけてきたのか、クラスメイトの垣間絵奈が呆然として立っていた。そして心底驚いたような表情を浮かべている。手に視線を移すと1枚の紙切れが握られている。
ポケットにしまっていた生徒手帳の中身を見るといつもは入っているはずの薄汚れたお守りだけが抜けていた。

「それ、拾ってくれてありがとう。僕のだから返してくれる?」

僕より少し高いフェンスから手を離し、彼女の傍へ近寄る。
しかし彼女は渡す気がないのか後ずさる一方だった。

「ちゃんと返すから、質問に答えてほしい」

いつもヘラヘラ笑っていた間垣の真剣な顔は中々見れないものだと思う。恐らく、これからも一生見ることの出来ない表情。
諦める様子がないので僕は仕方なく、その紙切れのことについて説明した。

「それは僕が小学6年生の頃だったかな、書いたお守り」

お守りと言っても何かから守られるとか守るとかそんなんじゃない。ただ自分への戒めだ。
小学6年生の冬。雪のように積もりに積もった苦しみが爆発して自暴自棄になった頃のこと。もうこの世から居なくなりたいと、僕はリビングから、マンションの7階から飛び降りようとした。しかし、偶然にも早帰りした母が僕を乱暴に掴み部屋の中へ連れ戻された。
母にはこっ酷く叱られ、そして殴られた。

“この親不孝者!恩知らずが!”

凄まじい形相で怒鳴られた時のことは多分、これからも忘れないと思う。
そして母は

“反省してなさい!”

と、僕を奥のクローゼットに連れていった。太陽の光が一切入ってこない真っ暗な場所。幼い頃はお仕置として何時間もよくここに入れられていたが、大きくなるにつれ僕は母に従順になり、入れられることも今は減っていた。
昔はお仕置としてクローゼットに入れられるのが当たり前だと思っていた。
しかし、小学高学年の辺りからそれは当たり前ではないと気づいた。
その時に思った。どうしてこんな奴のせいで死ななければならないのか。追い込まれなければいけないのか。
ジンジンと、叩かれて痛む頬を抑えながら僕は

”生きてやる”

そう心に誓った。
けれど簡単にはいかなかった。
苦しい時は何をしてもずっと苦しかった。また、死のうとすら思った。
中学にあがればノリが悪い、不気味だと言われ友達はできなかったし、先生には家庭の状況を無視された。そして家に帰れば母の騒音の元、机に向かうだけ。
中学生の頃の思い出なんて何も無かった。強く印象に残ったことは、強いて言えば、僕と同じくらいの見知らぬ女の子がすれ違いざまに、

「大丈夫?」

と、聞いてきたことだけ。本当に急なことで、僕は一切の言葉も出ないまま彼女は、ハッとした表情で小走りにどこかへ行ってしまった。しばらくの間その場で放心していたことを覚えている。心配されたのなんて初めての出来事だったから。
記憶に留めていたのはそれだけ。
苦しかったのにはなんら変わりない。
時折、嫌な時や苦しい時は、このお守りを見て、あの日の出来事を思い出し、この世にとどまっていた。


「答えたでしょ、返して」

「...飛ぶの?」

また質問をされて少し苛立ちを覚える。
ここは学校の屋上。下を向けば、自殺しようとしたあの日の視界が鮮明に蘇る。
彼女は鋭い眼でこちらを見つめ、お守りを後ろに隠している。思わずため息が零れた。
背の小さい彼女は僕を下から睨みつけている。
鋭い眼は怖くないけれど、普段からは想像できない彼女の気迫には少し怖気付いた。
もうお守りは諦めようかと思ったがやはりそれは出来なかった。
だったら彼女からお守りを取り返すしかない。けれどクラスメイト、ましてや女子相手に力づくで取り返すのは気が引ける。
だったら手っ取り早い最前線であろう選択を僕は選ぶことにした。

「わかった、飛ばないから。だから」

「本当に?本当に飛ばない?」

濁りのない瞳は真っ直ぐ僕を捉えている。まるで逃がさないと言われているような。

「飛ばない」

その一言に安堵したのか、彼女はその場にへたり込み、大きく息を吐いた。

「はぁ、よかったぁ」

よく見ると彼女の頬は薄っすらと汗ばみ、涙で歪んでいる瞳は僕には理解できなかった。
だから何も知らない人間に止められると腹が立った。
正義感の強い彼女は善意でやったかもしれないが、僕にしたらそれは悪意となる。
僕の覚悟が壊された気分だった。

「なんで君が安心するのさ」

「...…目の前で死なれたら目覚めが悪いよ」

いつにもなく力の抜けた、下手な笑顔が僕に向けられる。
一言文句を言ってやろうかと思ったが、そんな笑顔を向けられてはつい口ごもってしまった。
彼女はゆっくりと立ち上がり手でスカートの埃を払い、僕を見た。何かを観察するような目付きで。

「帰ろっか」

はい、大事なお守り返すね、と僕の手に1部クシャクシャになったお守りを置いた。
いつものヘラヘラした笑顔に戻った彼女は僕に催促する。
でも僕は戻る気は無い。
彼女も1度嘘をついたのだから、僕だって嘘をつく。人間そんなもんだ。いや、違うな、彼女は...。
僕の歩く音が聞こえないことに疑問を抱いたのか彼女は後ろを振り返る。

「ねぇどうしたの、早く帰ろ」

少し声のトーンが低くなり、微かに肩を震わせている。

「早く、はやくこっちに戻ってきて」

僕に手を伸ばす彼女。

「無理な願いだね」

僕は嘲笑した。

垣間絵奈。僕のクラスメイト。
そして、目の前にいる彼女はこの世に存在しない。




_______




笑顔が印象の女の子、という認識だった。
高校3年生になっての初めての席替え。僕の隣は垣間絵奈という人物だった。
明るい彼女はいつもクラスの中心にいた。そして陰気臭い僕にも笑顔で話しかけてくれた。
そこにバカにするような悪意はどこにも感じられなかった。
しかしどう接していいか分からなかった。人生で友達ができたことなんて記憶上にないのだ。
だから、冷たい態度で接してしまった。素直になればよかったのに、気づけばぶっきらぼうな物言いになっていた。
それでも彼女は僕に話しかけた。毎日、毎日。どうして僕に構うのか知らないし、何が目的なのかも不明だ。
善人を装う偽善者のようだった。
そんな、席が隣だけの関係の彼女と友好関係を結んだのはつい最近の事だった。

夜中に散歩をするのが趣味な僕はその日もいつも通り、22時に外に出て1時間近く、財布と携帯だけを持ってアテもなく歩いていた。
満足して帰ろうとしたが、僕は昔遊んでいた公園で足を止めた。ある大木が僕の目にとまったのだ。
いつもは気にならないはずのそれが今日は何故か歩み寄ってしまうほど気がかりだった。
大木は僕が両手を回しても到底手と手は触れ合わない。太い幹はこの公園を見守っている、支えているのだろう、そんなことを考えていた。
すると何処かから先程まで聞こえていなかったすすり泣く声が聞こえてきた。
恐らく声的に女の子だと思う。出処はどこか探そうと声がする方向に向かう。
声の持ち主はすぐに見つかった。僕の見ていた大木の反対側に背中を預けるようにして、髪を下ろした女の子が体育座りをして蹲っていた。

「えっと、大丈夫?」

夜遅くに外ですすり泣く少女、なんて映画でなら幽霊の確定演出だろう。
けれど僕は目の前の女の子を放って帰ることなんてできなかった。何せ良心が痛むとわかっていたから。
僕に声をかけられるまで人の気配に気づかなかったのか、勢いよく顔を上げ焦った表情を浮かべた。そして僕も同様に焦った。

「垣間?」

それは毎日学校で見ている顔だった。
暗くてハッキリとは見えないが、雲から出てきた月の光で大木ごと照らされる。

「え、なんでここに、いるの?」

それはこちらのセリフだ。女子高校生が夜中に、それも暗い公園で泣いているなんてただ事じゃない。

「散歩、そっちは?なんで泣いてんの」

「べ、別に泣いてないよ!」

泣いていたのを悟らせないようにするためか、笑顔をつくった。目元は赤く腫れ、袖には涙であろうシミが付いていた。
よくそれで笑えるものだ。無理をしていいことなんて一つもないのに。
しかし今の垣間にとってその言葉はあまりにも辛いと思う。だから僕は彼女と少し距離をとって大木に背中を預けた。

「え、帰らなくていいの?」

「もうちょっと散歩する予定だったから、大丈夫」

「そっか」

垣間はまた膝に顔を埋める。
そして肩を震わせ、声を殺しながら泣いた。
スマホの画面がやけに眩しく見える。母に【帰るの遅くなる】とだけ連絡し、そのまま電源を落とした。
彼女と同じように座って綺麗な満月を眺める。
彼女が落ち着くまで僕は無言でずっと座っていた。自分でもなんでここに居続けるのか不思議だけれど、多分彼女が僕と同じ瞳をしていたから。あの日の僕と一緒の瞳を。
彼女もまた悩みを抱えているのだろう。でもその悩みを聞こうとは思わない。
他人に言ったところで解決なんてしないんだから。けれど、垣間みたいな人物は悩みを聞いて欲しかったりするのだろうか。
垣間に干渉していいのか迷っているといつの間にか垣間からの微かな声は消えていた。泣き終わったらしい。
顔を上げ、明るい満月を見つめている。
光に照らされた彼女は、一言で言うと儚かった。

「ありがとね」

満月から視線をそらさず、随分と落ち着いた声で彼女は感謝を述べた。

「別に。こんな夜中にいたら危ないでしょ、女の子なんだから」

日付を越すまであと40分。
僕もだけれど高校生がこんな時間に1人で出歩いていたら何かアクシデントがおきたって無理もない。

「...うん、そうだね。危ないよね」

垣間は即座に立ち上がり、思い詰めたような顔つきで頷いた。

「一緒にいてくれてありがとう。もう、大丈夫だから」

少しくらい話を聞いてやればよかった。
彼女は言葉を残したあとすぐにその場から立ち去ってしまった。
残されたのは僕と月明かりに照らされている大木のみ。
辺りを見回すと薄暗い、夜特有の空気感が漂っていた。
早く帰ろう。僕の足は勝手に動きだしていた。





翌日、いつものように登校すると、腰まである長い髪を括った垣間が既に席に着いていた。
こんなに早く学校に来ているのは僕と垣間くらいだろう。他学年の駐輪場にも自転車はあったのを見たが、はやりこの学年の1番は垣間か僕のようだ。
昨日のこともあり少し気まづいがいつも通りに彼女に接する。

「おはよう」

「あ、おはよ。今日も早いねー」

彼女は大きく伸びをし目元を擦った。明らかに寝不足の跡が付いていた。

「隈できてるけど」

「昨日ちょっと眠れなくてさ」

しまった。昨日の出来事を掘り下げてしまった。
他の話題に変更しようと話を振ろうとしたが、彼女から話題が提供された。

「夜遅かったけど親に怒られた?」

結局昨日の話だが、彼女からの話題なので気にせず話を続ける。

「怒られたよ。次は無いからなって脅された」

次23時を回れば当分夜の散歩は禁止だろう。さすがにそれは嫌なので約束は守ろうと思う。
それに叩かれるのはもう散々だ。

「私はバレなかったから怒られなかったなあ」

垣間の親は寝ていたのだろうか。普通、娘があんな時間まで出歩いていたら怒るか心配すると思う。寝ていたのなら仕方ないけれど。
話していると次々と生徒が登校して来て、自然と僕らは話さなくなった。
垣間も僕も別の友達と喋り始める。いつもなら気にならない彼女。だけど昨日の件で僕は彼女を放っておくほど畜生な人間では無いらしい。
先生が話している時も嫌でも泣いてる彼女が頭に浮かんでしまう。チラッと横目で彼女を見ると、いつも通りに授業を真剣に聞いてる、綺麗な横顔のシルエットの輪郭がある。
果たして、昨日のことは忘れることが彼女にとって良なのだろうか。