――なあ、蓮見。俺は生まれ変わったら、お前の子どもになりたい。きっと甘やかされすぎて、だめな大人になるだろうから、俺に厳しい和泉との間の子ども、とかどうだろう。
先輩は変なところで、和泉さんにかっこつけるからダメなんですよ。そもそも、つけるかっこなんて持ち合わせていないんだから、ちゃんと話してみてください。
ひでえ……。あいつ怖いもん。
怖くないですよ。一番近い場所で、ずっと支えてくれているんだから。
まあなあ。なんか照れんだよ、あいつと向き合うの。
ちゃんと寝て、ちゃんと食べる。それができないんだったら、音楽も料理もさせませんよ。そのぐらいじゃないと、なんでも頑張りすぎるんですから。
蓮見は俺の母ちゃんですか……?
はあ?
すみません……。
歌詞の相談ですか。そんな滅相もない……やっぱり失礼します。ここ、もう少し平易な言葉を選びませんか? 先輩みたいに一般人は言葉を知りませんから。いやでも、それがかっこいいか。先輩はすごい。でも、年齢層を広げるためにも……。
新曲を聞かせてくれるんですか! 今! 心の準備ができていない。和泉さんにちょっと電話して、今から来てもらいます。もしもし!
すごい、すごいもう、言葉にならない。先輩はやっぱり、すごい人だ。
すごい人なんですよ、あなはたは。ずっと、ずっと俺の憧れです。
「ここに居ると思った」
蓮見の店の扉が開き、和泉が入ってきた。店の中にしまわれた看板を、所在なさげにそっと撫でる。
「雪が降ってきたよ」
「寒いはずだな」
和泉は声を出さずに頷いて、俺の祭壇がある座敷に進む。
和泉とも同居を解消して二年が経った。私からも離れた方がいいと、俺に一人暮らしを勧めたのも和泉だ。上京してから同居して五年。和泉と過ごした部屋を出るとき、無性に寂しさが胸に迫り、玄関で号泣した。和泉が引いたように凝視してきたのを今でも根に持っている。
俺は蓮見の店にできるだけ近い物件を選んで、本当に働かせてもらった。和泉が、毎日のように蓮見の店に食べに来るので、俺もほぼ毎日顔を合わせていたし、むしろ同居していた頃よりも一緒に夕飯を囲んだと思う。
あっという間の二年だった。
座敷の床の間にある俺の祭壇に、和泉が昨日のライブチケットを置く。俺はカウンター席からそれを眺めた。
「良い復活ライブだったね」
「おかげさまで」
「よくやってくれた」
和泉はサカシタキョウを分かりすぎていた。一切の音楽から離れた生活をする。蓮見が直々に多くの料理を教えてくれた。食べること、眠ること。新しい顔見知りも増え、笑いの絶えない日々を過ごした。半年もして俺は、再び曲を書けるようになっていた。
また半年をかけて、八曲のアルバムを作った。活動休止となって丸二年後、このアルバムのリリースを機に、ライブハウスのステージに戻ってきたのだ。
復活ライブの日程が決まったのが半年前。蓮見を招待すると、初めてのライブだと言っていた。なんで今までライブに来なかったのかと問うと、自分のことは忘れてほしかったから、と返ってきて、初めての大喧嘩になった。
あの日、蓮見にかけた衝動的な一言から全てが始まった。俺は思った以上に、音楽を愛していて、蓮見にライブを見てほしかったのだ。
復活ライブの一週間前、蓮見は鬼籍に入った。母親と同じ病だそうで、急死だった。数時間前まで笑っていたのに、突然、冷たくなって動かなくなった。二日後には骨を残して、あいつはどこかに消えた。
「よくできてたかな」
小さく座ったままの和泉を見る。西日が入り込み、和泉の影が床の間の祭壇に伸びていた。
「客席のファンの顔が全てでしょう」
「じゃあ、よくできてた」
「そうだよ。すごかったんだから」
和泉の声が震えたかと思うと、嗚咽が混じり、二人きりの店にこだまする。
「あいつ、いっつも突然なの」
「うん……」
「どこ行っちゃったんだろうなあ」
泣き止まない和泉の隣に、俺も腰を下ろす。すっと息を吸い、あの歌を口ずさんだ。
降れる幸せを両の手で包む 人生は愛を得るに至る旅
行き着く先の桃源郷 美しと知れる あなたのように
「この歌詞を覚えてるの、蓮見と俺だけだと思ってた」
「私がいるでしょ」
「ほんとなあ」
からっとした声で笑い、続けて、心の底から言葉を選ぶ。
「ありがとう、和泉」
この一言に尽きるし、この一言に尽きない。
和泉は、ふいいーと大声を上げて泣いた。こつんと頭をくっつけて、俺も目を閉じる。
――独特な泣き方ですね。
あいつ、絶対そう言うよなあ。今までたくさん泣いてきたのに、何かが詰まったように泣けなかった。葬儀も終えて、確かに蓮見の最期を見届けた。蓮見は死んだ。理解はしているし、苦しい。それでも、俺は泣けなかった。
蓮見の居ない日常に違和感を覚えながら、一か月を迎えるころ、突然、堰を切るように涙が溢れた。何をしても、ふと寂しくて、会いたくて、置いて行かれたことに怒って、泣いて、泣いて、月命日が来るたびに悲しくなった。寂しくて仕方がない。
それでも毎日、新しい朝が来た。一年、二年、三年と、つつがなく、朝が来た。
あ! という、子どもの声がして、和泉と同時に後ろを振り向く。可愛らしい足音を立てて、横井の娘が俺たちの元へ走ってきた。
「紗夏ちゃん! キョウくんー!」
「わあ、梨花ちゃん! 遠いのに来てくれてありがとうね」
和泉は飛び込んでくる小さな体を受け止め、ぎゅっと抱きしめる。さっき俺と話していたときよりも、声のトーンがだいぶ高い。
「間に合ってよかった……」
梨花の後に続いた横井は、くたびれたように言う。
「それよか事故らなくて良かったわ。わざわざ見送りありがとな」
「梨花が渡したいものがあるって言ってさ。作り出したのが四時間前」
父の苦悩に、俺と和泉は、いいぞ梨花ちゃん、その調子だ、と言って笑い合う。横井が梨花を促し、小さな手が俺たちに差し出された。俺も和泉の隣にしゃがむ。
「これ、あげる」
「手作り嬉しいなあ。ありがとう」
和泉に、梨花がこくんと頷く。折り紙で作った小さなハートに「おまもり」と書かれていた。ついこの間まで赤子だったのに、ひらがなまで書けるようになっている。友達の子どもの成長はとてつもなく早い。
「キョウくん、ライブがんばってね」
「ありがとう」
梨花の頭にそっと手を乗せると、照れくさそうにしていた顔がぱっと花が咲いたように明るくなる。
「帰ってくる頃には、梨花は七歳だな。ランドセルの色は決めた?」
「オレンジ!」
「いいね」
弾けるような声に、大人たちは目を細めた。
「よし、じゃあ時間もそろそろだろ。二人とも気をつけて」
横井が目元を潤ませるので、俺と和泉は我慢ならずに笑ってしまう。
「横井くん、たった二年だからすぐよ」
「梨花みたいに二年で急に大きくなったりしないから安心して」
「いや、急に大きくなっただろ。復活ライブから三年で海外ツアーなんだから」
横井の返答に、俺は少し考える。
「まあそうか? デビューして十年目だけどな。お前もライブハウス潰さないようにがんばれよ、若社長」
「あれ、もう本場のブラックジョーク始まってる?」
梨花が横井の足にひっついて、ぶらっくじょーくってなあに、と頻りに繰り返す。六年前、横井は逆玉の輿にのったかと思えば、父になり、お義父さんのライブハウス経営を継いだ。
二十代は人生が目まぐるしく移り変わると言うが、数年前まで自分たちも、子ども側だったのに、と一抹の寂しさも感じる。環境が人を大人にするのだろう。
いってらっしゃい、と横井と梨花に見送られ、俺たちは手を振って保安口へ入った。淡々と保安検査を済ませ、搭乗ゲートに進む。
三月の季節柄、どこも多くの人で賑わっている。それぞれの言語が飛び交い、一つの塊の様に聞こえる。
「これが人間の鳴き声かーと思うよな」
「突然なによ……。黙ってるなあと思ったら」
「今朝、久しぶりに蓮見の夢を見たよ」
和泉がこちらを振り返って、足を止める。
「どんな夢だった? 事務所で今朝、泣きながら寝てた」
「蓮見と和泉が結婚する夢」
「はあ?」
顔を強張らせていた和泉から、空気が抜けるようなため息が出た。
「お前、蓮見のこと好きだったろ」
「それはもちろん。今も好きだけど」
「そういうのじゃなくて」
俺がなおも言うと、和泉は髪を揺らしながら、隣を少し楽しそうに空港を歩く。口角を少し上げて、大切な思い出の蓋を開けるように続けた。
「いつの話をしてるんだか。蓮見は坂下しか見てなかったでしょ。ずっとね」
「そりゃあ、ファン一号だし」
「二号よ」
和泉が目を細めて見上げてくる。
「俺について来て本当にいいの? 結婚とか子どもとか。将来のこととか」
今更と思うようなことを、口走っていた。周りがどんどん大人になって行く中で、俺だけが取り残されたままだ。和泉を怒らせるようなことを懲りずに言ってしまう。こんな大切な話を、きちんと場を設けて切り出せないあたり、俺は臆病で、子どものままなのだ。
搭乗ゲート付近の椅子に和泉が座り、俺も隣に腰を下ろす。これから乗る飛行機が、ガラス越しに見えた。機体は黄昏時の太陽に染まって輝いている。
「ほしいものって大体お金で買えるの。私、独立したし。株式会社だし。でしょ?」
和泉が小首をかしげて俺を見るので、黙って頷く。
「でもね、生き甲斐ってその場で買えないの。足を運んで、手を動かして、もう無理だって思ってからの一歩を重ねて、重ねて、ようやく手に入る。人生のご褒美みたいなものなの。それがサカシタキョウとだったらできる。今の仲間とだったらできる。私の人生に、なにか文句ある?」
「ない。ないけど……。子どもを授かる選択は後戻りができない」
「まあ、いざとなれば精子バンクよ。私たちが今から行くところはどこだっけ? アメリカなんだから」
「ちょっとまって!」
「なに」
「だったら俺でいいだろ!」
「はあ? あんたの遺伝子だったら大変なことに……。まあでも、音楽センスだけはあるか」
自分が言ったことにはっとして、俺は両手で顔を覆った。耳の先まで熱が回るのが分かる。指の隙間から小さく視線を向けると、和泉はお腹を抱えて大笑いしている。
「あー可笑しい。変わらないなあ。十年前、上京するって言ったら、じゃあ一緒に住めばいいだろって言ったの、誰だっけ」
「俺です……」
「あっという間のような。遠くまで来ちゃったような十年だった」
「うん。そうだな」
和泉は息を整えて立ち上がる。
「行こう、坂下。新しい十年だ」
そう言って、俺に手を差し出した。夕日の光を受けて、和泉は髪まできらめいている。
俺はその手ぐっと引き寄せて、和泉を抱きしめた。この小さい体にどれだけ助けられてきたか。何があっても、和泉だけは不幸にしない。幸せにする自信はまだ無いけれど、よかったと思ってもらえるステージを、曲を、一つでも増やしたい。
「ありがとう」
「こちらこそ」
和泉が怪力で抱き返してくるので、俺は小さく悲鳴を上げて離れる。社長の力量はハグの力強さで決まるのよ、と以前、真面目そうな顔で話していた。
俺たちは、異国だと思っていた東京に住み慣れた。そしてこれから東京を離れ、また別の異国へと旅経つ。
――ここじゃないどこかへ行きたい。
気付けばこの十年、音楽はどこまでも俺を運び続けた。蓮見との縁を繋ぎ続け、東京タワーの下で拾ってもらえたのも、逃げ込める先がライブハウスだったのも。音楽が常に傍にあり、流されるまま、運ばれていた。
上がり慣れたステージから新しいステージへ。訪れたことのない街から街へ。これからも曲を作り、歌い、生きていくのだと思う。
――死よりも魅力的な、夢中になれる音楽は何処か。
音楽の神様は、ついぞ答えてくれなかった。壁を乗り越えた先にあるのも、また壁だ。音楽を愛しているけれど、呪いに近いのかもしれない。
青すぎたあの日の非常階段で、俺はきっと悪魔と契約してしまった。そのきっかけが蓮見で、おかげで今も俺は生きている。万雷の拍手が降るステージを求めて、どんなに深い水の底でも潜って行くのだ。
蓮見とは長らく会えていないけれど、いつもどこかに居るままなのは変わらない。それが遠かったり近かったりするのだが、人はそれを『死』と呼ぶのだと、初めて死の意味を知ったように思う。
蓮見と再会し、一緒に過ごした二年があったから、音楽で夢を叶えたこの三年がある。
制服を纏って青春を走っていた俺を、俺たちを、音楽を、超えた瞬間は確かにあった。蓮見の店で曲を作ったとき、鍋を煮詰めながら歌ったとき、それとも店の掃除中か分からないけれど、単に俺はもう一度、蓮見に会いたかったんだ。
また会えて嬉しくて、一緒に過ごせて、すごく楽しかった。今すぐにでも会えるなら、どんなことでもするだろう。
だからと言って、死んじゃおうとは思わない。蓮見が居なくなってどれだけ寂しいか。和泉がどんなに泣いたか。和泉にあんな顔を、二度とさせられない。あいつより一日でも長生きしてやりたいし、お前が早く逝ったから、俺はできるだけ蓮見のお父さんにも親孝行がしたい。もちろん、自分の親にも。
俺は自分のためだけに生きるのが下手だったんだ。誰かのためになら、下手なりにでも生きていこうと思える。蓮見が教えてくれたんだ。死を通してまで、お前は俺に生きるすべを教えてくれた。
生きるよ。この体が動かなくなるまで、最期まで生きると約束する。頑張るから、俺がそっちに行ったときは、絶対に迎えに来てくれ。いつになるか分からないけど、お前がどこかで退屈しないように、ここから歌い続けるから、待っていてほしい。
「あ、起きた?」
いつの間にか機内で眠っていて、ぼんやりと目を開ける。和泉が窓の外を指さして、綺麗だと目を輝かせている。朝日に照らされた雲海の上を俺たちは飛んでいた。どこまでも広く、優しい光が降り注ぐ。
「天国よりも、天国みたいだな」
「私も思った。蓮見にちょっとだけ近い気がする」
和泉は悪戯めいた顔で笑った。社長になってから、無邪気に笑うことが減ったように思う。それを尊敬もしているが、少し心配でもあった。
「……大切にするよ」
「何を?」
「なんでもない」
俺は誤魔化すように、口元に手を当てていた。
「幸せにするよ」
「あはは、本当に男前だな」
無意識に、敵わないなと前髪をかき分ける。和泉も寝ていたのだろうか、自信満々な表情とは裏腹に前髪がぴよんと跳ねていた。悔しいし、面白いから、次の機内食まで言わないでおこう。
「結構もう、幸せだよ」
和泉に聞こえないよう、そっと口にして、もう一度目を閉じる。
生きよう。大切な人たちを大切にしたいから。こっちの土産話も、多い方がいいだろうから。
なあ、そうだろう蓮見。だから、また会える日を楽しみに待っていて。料理とか読書とか好きなことをたくさんして、俺を待っていて。そしてまた、和泉と三人で、必ず。

