柳沢吉保は、遠祖をたどれば甲州武田家の旧臣に行き着くという。武田家滅亡後、旧臣の多くが徳川家に仕えることとなり、吉保の祖父もまたその一人であった。
吉保自身は十八で家を継ぎ、そのスタートラインは綱吉の小姓であった。人生の転機は、なんといってもその五年後、二十三の時に綱吉が五代将軍となったことである。もちろん吉保は自動的に幕臣となり、最初は御小納戸役から出発した。有能であったがゆえに加増に次ぐ加増を受け、二十八歳で従五位出羽守を拝命。そして三十三にして側用人にまで出世することとなった。
現在、吉保の肖像画らしきものが残されている。黒絹の衣冠が重々しく肩を覆い、赤い領がわずかに覗くその姿は、権謀術数の渦中で磨かれた鋼のような威厳を湛えている。丸みを帯びた顔立ちは、鋭い眼光とは裏腹に柔和で、頰の肉付きが将軍綱吉の寵愛を物語るかのように豊満である。
烏帽子から垂れる黒髪の紐が微動だにせぬ姿勢を強調し、腰の刀は花菱の家紋を刻んで静かに光を反射する。唇は固く結ばれ、思慮深い皺が額に刻まれているが、その瞳には王朝文化への憧憬が宿り、文化人としての気品が漂うようでもある。
さて、その吉保はわずかな従者と共に、東海道をひたすら西へ西へと旅していた。東海道の西の起点が、京の三条大橋である。
さすが千年の都だけあって、橋を行き交う人々もまた雑多であった。武士もいれば町人もいる。公家衆、僧侶、さらには遊女らしき者たちの姿も見える。鴨川を渡れば、そこはすでに洛中。次に起点となるのが四条橋であった。周辺には商家や茶屋が立ち並び、女郎屋の姿も見える。一方で橋のたもとには、生活に困窮した浮浪者の姿もあった。
吉保は後世、典型的な悪人として語られることが多い。しかし一方で王朝文化に通じ、和歌や漢詩にも秀でた文化人でもあった。その吉保にとり、初めて見る京は実に刺激的であった。
吉保の京での勤めは、桂昌院と綱吉の命により、寺社仏閣の修復事業の様子を監督することである。そのため最初に向かったのが、天台宗の山岳寺院で、千手観音を本尊とする善峯寺であった。
ここは平安時代に建立され、歴代天皇の尊崇も厚かったが、応仁の乱以後は荒れ果てていた。桂昌院の命により、幕府が金銀を惜しむことなく再建に乗り出したのが、去年のことである。
現場では棟梁、人足頭、鍛冶などの職人がきびきびと動いていた。工事の責任者ともさまざまなことを話し合い、その日は幕府の手配した小さな寺に宿泊することとなった。
寺の名は円広寺といい、規模としては決して大きくない。吉保が見たところ、小坊主が五、六人ほど。そのうち、かなり背丈の高い十九ほどの小坊主の案内で、吉保と従者は仏間に通された。
やがて寺の和尚が姿を現した。齢七十ほどであろうか。
「おお! 貴方様が今をときめく柳沢様でござりまするな。お待ちしておりました。噂はかねがね聞き及んでおりまする。将軍綱吉公のおぼえめでたく、小姓より加増に次ぐ加増で、幕府側用人にまでのぼりつめたと、京でも昨今よく噂になりまする」
と和尚は世辞を言った。
間もなく茶が運ばれ、菓子も出された。そして他愛もない世間話が続いた。
「上様、そして桂昌院様は、まこと慈悲深い方であられる。戦乱の世において多くの寺社が破壊を免れなかったが、それを惜しみなく金銀を費やして修復し、世に新たな秩序を生み出そうとなされている。まこと上様は、神仏が世に遣わされた方に違いない」
と、吉保は少し大げさなことを言った。
「神仏は気高く、荘厳で、そして清らかなものであります。なれど、人が生きる世は決して清らかなだけではござりませぬ……」
「何が申したい?」
吉保は怪訝な顔をした。
「その御年での上様のお取立て。幕府の中には、さぞかし貴殿を妬む者、反感を抱く者もおりましょう」
と和尚はため息をつきながら言った。
「何、わしは人の妬みなど恐れてはおらぬ。かつて武田信玄公は父を追放し家督を継ぎ、義理の弟を殺め、その娘を奪い妾とした。義理の娘の実家を攻め、己の領土としたこともあった。人はそれを傍若無人の振る舞いと嘲るやもしれぬ。なれど、わしはかような生き様も男として“あり”だと思う。男である以上、かように生きてみたいとさえ思う」
と吉保は眼光を稲妻のように鋭くして言い放った。
しばし世間話が続いたが、異変は吉保が汁物に手を出した時に起こった。突如として、吉保が口にしたものを吐き出したのである。
「これはどうしたことだ! 喉が、喉が焼けるようじゃ!」
「殿! いかがいたしました!」
側近中の側近、左馬之助が必死に背中をさする。和尚も驚き、真っ青になる中、障子の向こうから女の笑い声がした。
「己! あ奴め!」
和尚が障子を開くと、そこには十九ほどの若い女がいた。
「こたびという、こたびこそは許さん!」
和尚は女を追いかけ、姿を消した。やがて戻ってくる頃には、吉保は平素の様子に戻っていた。
「申し訳ありませぬ。取り逃がしました。あれはこの寺でその身を預かっている、由希という身寄りなき女にございます。昨今も来客が連れてきた犬に毒を盛るなど、何度申しても悪ふざけがおさまりませぬ」
と和尚は申し訳なさげに言った。
「いや、所詮は子供の悪ふざけであろう。和尚が詫びるほどのことではない」
と吉保は笑って済ませたが、由希の悪ふざけはこれで終わりではなかった。
その夜遅く、吉保は和尚の案内で近くの温泉に浸かった。ちょうど満月の晩である。
やがて風が冷たくなる頃、吉保は湯から上がろうとした。そこで信じられぬことが起こる。近くに置いてあったはずの着替えがないのだ。呆然とする吉保の背後で笑い声がした。見ると、先ほどの由希であった。
彼女は黒地に赤と白の鮮やかな模様が舞う振袖をまとい、そこに佇んでいた。艶やかな黒髪を後ろで緩やかにまとめ、赤い紐と花飾りが優しく揺れる。その姿は、まるで妖精のようにさえ見えた。
「己! 無礼にもほどがある!」
吉保は追いかけようとしたが、全裸ではそれもかなわない。
いかに暑い盛りとはいえ、やはり全裸では寒い。凍える吉保の耳に、やがて笛の音が聞こえてきた。
「これは……? もしや、先ほどの女が吹いておるのか?」
どこか哀しげで、それでいて人を惹きつける不思議な音色だった。思わず吉保はしばし聴き入ったが、すぐに正気に戻った。
かの武田信玄も、野田城攻めの最中、敵陣から聞こえてくる笛の音に魅せられ、城外へ出たところを狙撃され、その傷が命取りとなったという風説がある。
「いかん、身を引き締めねば」
と吉保は青ざめた顔ながら、すぐに現実へ帰った。
結局、明らかに主君の帰りが遅いことに気づいた左馬之助が現れるまで、吉保はそこから動くことができなかった。
「一体これは何事でござるか! こたびは子供のいたずらではすまされませぬぞ!」
「左馬之助、もうよい」
と吉保は止めたが、なおも左馬之助は和尚を厳しく問い詰めた。
「誠に申し訳なきこと、お詫びの言葉もござりませぬ。実を申しますると、由希には深い事情がありまして……」
と和尚が語って聞かせたことは、吉保にとり到底信じられない話だった。
吉保自身は十八で家を継ぎ、そのスタートラインは綱吉の小姓であった。人生の転機は、なんといってもその五年後、二十三の時に綱吉が五代将軍となったことである。もちろん吉保は自動的に幕臣となり、最初は御小納戸役から出発した。有能であったがゆえに加増に次ぐ加増を受け、二十八歳で従五位出羽守を拝命。そして三十三にして側用人にまで出世することとなった。
現在、吉保の肖像画らしきものが残されている。黒絹の衣冠が重々しく肩を覆い、赤い領がわずかに覗くその姿は、権謀術数の渦中で磨かれた鋼のような威厳を湛えている。丸みを帯びた顔立ちは、鋭い眼光とは裏腹に柔和で、頰の肉付きが将軍綱吉の寵愛を物語るかのように豊満である。
烏帽子から垂れる黒髪の紐が微動だにせぬ姿勢を強調し、腰の刀は花菱の家紋を刻んで静かに光を反射する。唇は固く結ばれ、思慮深い皺が額に刻まれているが、その瞳には王朝文化への憧憬が宿り、文化人としての気品が漂うようでもある。
さて、その吉保はわずかな従者と共に、東海道をひたすら西へ西へと旅していた。東海道の西の起点が、京の三条大橋である。
さすが千年の都だけあって、橋を行き交う人々もまた雑多であった。武士もいれば町人もいる。公家衆、僧侶、さらには遊女らしき者たちの姿も見える。鴨川を渡れば、そこはすでに洛中。次に起点となるのが四条橋であった。周辺には商家や茶屋が立ち並び、女郎屋の姿も見える。一方で橋のたもとには、生活に困窮した浮浪者の姿もあった。
吉保は後世、典型的な悪人として語られることが多い。しかし一方で王朝文化に通じ、和歌や漢詩にも秀でた文化人でもあった。その吉保にとり、初めて見る京は実に刺激的であった。
吉保の京での勤めは、桂昌院と綱吉の命により、寺社仏閣の修復事業の様子を監督することである。そのため最初に向かったのが、天台宗の山岳寺院で、千手観音を本尊とする善峯寺であった。
ここは平安時代に建立され、歴代天皇の尊崇も厚かったが、応仁の乱以後は荒れ果てていた。桂昌院の命により、幕府が金銀を惜しむことなく再建に乗り出したのが、去年のことである。
現場では棟梁、人足頭、鍛冶などの職人がきびきびと動いていた。工事の責任者ともさまざまなことを話し合い、その日は幕府の手配した小さな寺に宿泊することとなった。
寺の名は円広寺といい、規模としては決して大きくない。吉保が見たところ、小坊主が五、六人ほど。そのうち、かなり背丈の高い十九ほどの小坊主の案内で、吉保と従者は仏間に通された。
やがて寺の和尚が姿を現した。齢七十ほどであろうか。
「おお! 貴方様が今をときめく柳沢様でござりまするな。お待ちしておりました。噂はかねがね聞き及んでおりまする。将軍綱吉公のおぼえめでたく、小姓より加増に次ぐ加増で、幕府側用人にまでのぼりつめたと、京でも昨今よく噂になりまする」
と和尚は世辞を言った。
間もなく茶が運ばれ、菓子も出された。そして他愛もない世間話が続いた。
「上様、そして桂昌院様は、まこと慈悲深い方であられる。戦乱の世において多くの寺社が破壊を免れなかったが、それを惜しみなく金銀を費やして修復し、世に新たな秩序を生み出そうとなされている。まこと上様は、神仏が世に遣わされた方に違いない」
と、吉保は少し大げさなことを言った。
「神仏は気高く、荘厳で、そして清らかなものであります。なれど、人が生きる世は決して清らかなだけではござりませぬ……」
「何が申したい?」
吉保は怪訝な顔をした。
「その御年での上様のお取立て。幕府の中には、さぞかし貴殿を妬む者、反感を抱く者もおりましょう」
と和尚はため息をつきながら言った。
「何、わしは人の妬みなど恐れてはおらぬ。かつて武田信玄公は父を追放し家督を継ぎ、義理の弟を殺め、その娘を奪い妾とした。義理の娘の実家を攻め、己の領土としたこともあった。人はそれを傍若無人の振る舞いと嘲るやもしれぬ。なれど、わしはかような生き様も男として“あり”だと思う。男である以上、かように生きてみたいとさえ思う」
と吉保は眼光を稲妻のように鋭くして言い放った。
しばし世間話が続いたが、異変は吉保が汁物に手を出した時に起こった。突如として、吉保が口にしたものを吐き出したのである。
「これはどうしたことだ! 喉が、喉が焼けるようじゃ!」
「殿! いかがいたしました!」
側近中の側近、左馬之助が必死に背中をさする。和尚も驚き、真っ青になる中、障子の向こうから女の笑い声がした。
「己! あ奴め!」
和尚が障子を開くと、そこには十九ほどの若い女がいた。
「こたびという、こたびこそは許さん!」
和尚は女を追いかけ、姿を消した。やがて戻ってくる頃には、吉保は平素の様子に戻っていた。
「申し訳ありませぬ。取り逃がしました。あれはこの寺でその身を預かっている、由希という身寄りなき女にございます。昨今も来客が連れてきた犬に毒を盛るなど、何度申しても悪ふざけがおさまりませぬ」
と和尚は申し訳なさげに言った。
「いや、所詮は子供の悪ふざけであろう。和尚が詫びるほどのことではない」
と吉保は笑って済ませたが、由希の悪ふざけはこれで終わりではなかった。
その夜遅く、吉保は和尚の案内で近くの温泉に浸かった。ちょうど満月の晩である。
やがて風が冷たくなる頃、吉保は湯から上がろうとした。そこで信じられぬことが起こる。近くに置いてあったはずの着替えがないのだ。呆然とする吉保の背後で笑い声がした。見ると、先ほどの由希であった。
彼女は黒地に赤と白の鮮やかな模様が舞う振袖をまとい、そこに佇んでいた。艶やかな黒髪を後ろで緩やかにまとめ、赤い紐と花飾りが優しく揺れる。その姿は、まるで妖精のようにさえ見えた。
「己! 無礼にもほどがある!」
吉保は追いかけようとしたが、全裸ではそれもかなわない。
いかに暑い盛りとはいえ、やはり全裸では寒い。凍える吉保の耳に、やがて笛の音が聞こえてきた。
「これは……? もしや、先ほどの女が吹いておるのか?」
どこか哀しげで、それでいて人を惹きつける不思議な音色だった。思わず吉保はしばし聴き入ったが、すぐに正気に戻った。
かの武田信玄も、野田城攻めの最中、敵陣から聞こえてくる笛の音に魅せられ、城外へ出たところを狙撃され、その傷が命取りとなったという風説がある。
「いかん、身を引き締めねば」
と吉保は青ざめた顔ながら、すぐに現実へ帰った。
結局、明らかに主君の帰りが遅いことに気づいた左馬之助が現れるまで、吉保はそこから動くことができなかった。
「一体これは何事でござるか! こたびは子供のいたずらではすまされませぬぞ!」
「左馬之助、もうよい」
と吉保は止めたが、なおも左馬之助は和尚を厳しく問い詰めた。
「誠に申し訳なきこと、お詫びの言葉もござりませぬ。実を申しますると、由希には深い事情がありまして……」
と和尚が語って聞かせたことは、吉保にとり到底信じられない話だった。
