仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜
多時照見五蘊皆空度一切苦厄
舎利子色不異空空不異色色即
是空空即是色……
時は元禄の世、夏の暑い盛り。徳川は五代将軍・綱吉の時世のことである。将軍の母たる桂昌院は、朝の日課となっている仏壇の前での般若心経の朗読を終える。そして、思わずため息をついた。
仏壇の灯明が揺れ、その淡い光が桂昌院の横顔を照らす。面長の輪郭に深い陰影が落ち、切れ長の瞳は、なお静かに燃えるような光を宿している。若き日には黒曜石のように鋭かった眼差しは、今や深い湖の底を覗くような静謐さを帯びていた。細く長い眉はわずかに弓なりで、怒りを露わにせずとも、その角度ひとつで周囲を従わせる威を秘めている。
桂昌院、元の名を玉という。ある意味、日本の歴史上、もっとも出世した女性といえるだろう。出自は市井の八百屋の娘でしかない。将軍の側室となったお万の方の一使用人として、江戸城大奥に上がったのは、わずか十三の時だった。
当時の玉は、華やかさよりも「気配」で人を惹きつける少女であった。言葉少なに、しかし相手の心の揺らぎを読むような眼差しを持ち、沈黙の中に強さを秘めていた。その静かな存在感が、やがて家光の目に留まることとなる。
のちに将軍家光の側室となり、綱吉をもうける。綱吉が五代将軍となると同時に、当然桂昌院はその母として、江戸城大奥の事実上の支配者となった。いわば和製シンデレラであり、「玉の輿」という言葉は、玉という元の名に由来するという。
実に信心深い女性であったともいわれる。仏教に傾倒し、毎日仏壇の前での祈りを欠かしたことがない。しかし、幾度般若心経を唱えたところで、彼女にはわからないことがあった。
「空とは何か?」
桂昌院は、年齢とともに苦悩を深めつつあった。その問いを胸に抱く横顔には、かすかな憂いが漂う。薄い唇は固く結ばれ、しかしその奥に、母として、そして一人の女としての深い情念が潜んでいる。
「己に信心が足りぬから、そして徳が足りぬ故、悟りきれぬのじゃ」
そう、思わず己を責めた。桂昌院は引き出しから琴を取り出し、奏ではじめた。白い指先は年齢を重ねてもなおしなやかで、その所作には若き日の名残があった。しかし、まもなく弦が切れてしまう。
「これではゆかぬ……なんとかせねば」
その声は低く、しかし揺らぎはない。切れた弦を見つめる瞳には、長年大奥を治めてきた者の静かな決意と、ふとした瞬間に覗く孤独が交錯していた。
まもなく、将軍綱吉の寵臣・柳沢吉保が、綱吉の将軍御休息の間へと呼ばれた。御休息の間は上段・下段それぞれ三十五畳の部屋である。中庭を挟み、御座の間と向かい合っている。
「吉保、大事ないか?」
と、綱吉は少し甲高い声で言った。綱吉はこの時すでに五十を超えていた。当時の成人男子の平均身長からしても、かなり背丈は低かったともいわれる。
「昨今、暑さのあまり少々体調を崩しましたが、さしたることではございませぬ。して、今日はいかなる用向きで?」
この綱吉の腹心中の腹心は、平伏したまま言う。綱吉は元館林藩主で、吉保はその頃から小姓として側近くに仕えていた。綱吉が兄である四代将軍・家綱の急死により、思いもかけず五代将軍となり、当然のように吉保もまた幕臣となる。御小納戸役から始まり、今は綱吉の側近中の側近、側用人である。
「頼みとは他でもない。そなたには京に赴いてほしいのじゃ」
「京に、でございますか?」
「実はのう、余と母上で、この国の美しき姿を取り戻すため、戦の世の最中に荒廃した寺院の修復を手がけてきた。なれど、昨今都では突貫工事を行い、工事負担金を己の懐にしまい込む者がおるそうじゃ。また、それを見張る者たちの中にも、工事に携わる者から賄賂を取り、見て見ぬふりをする者までいるという。
そこで、そなたが行って実態を把握し、余に報告してほしいのじゃ。もし明らかに目に余る者あれば、厳罰に処してもかまわぬ」
そこまで言うと、綱吉はかすかに表情を和らげた。
「少しゆるりとしてきてもよいぞ。京のおなごは、江戸とは違った色気があるぞ」
と、半ば冗談めかして言う。
主君の命とあらば致し方なく、吉保は旅支度を整え、わずかな供の者とともに炎暑の中、都を目指した。しかし、ようやくたどり着いた都は、さらに暑かった。そしてこの旅で吉保は、生涯忘れられぬ思わぬ邂逅を果たすこととなるのであった。
観自在菩薩行深般若波羅蜜
多時照見五蘊皆空度一切苦厄
舎利子色不異空空不異色色即
是空空即是色……
時は元禄の世、夏の暑い盛り。徳川は五代将軍・綱吉の時世のことである。将軍の母たる桂昌院は、朝の日課となっている仏壇の前での般若心経の朗読を終える。そして、思わずため息をついた。
仏壇の灯明が揺れ、その淡い光が桂昌院の横顔を照らす。面長の輪郭に深い陰影が落ち、切れ長の瞳は、なお静かに燃えるような光を宿している。若き日には黒曜石のように鋭かった眼差しは、今や深い湖の底を覗くような静謐さを帯びていた。細く長い眉はわずかに弓なりで、怒りを露わにせずとも、その角度ひとつで周囲を従わせる威を秘めている。
桂昌院、元の名を玉という。ある意味、日本の歴史上、もっとも出世した女性といえるだろう。出自は市井の八百屋の娘でしかない。将軍の側室となったお万の方の一使用人として、江戸城大奥に上がったのは、わずか十三の時だった。
当時の玉は、華やかさよりも「気配」で人を惹きつける少女であった。言葉少なに、しかし相手の心の揺らぎを読むような眼差しを持ち、沈黙の中に強さを秘めていた。その静かな存在感が、やがて家光の目に留まることとなる。
のちに将軍家光の側室となり、綱吉をもうける。綱吉が五代将軍となると同時に、当然桂昌院はその母として、江戸城大奥の事実上の支配者となった。いわば和製シンデレラであり、「玉の輿」という言葉は、玉という元の名に由来するという。
実に信心深い女性であったともいわれる。仏教に傾倒し、毎日仏壇の前での祈りを欠かしたことがない。しかし、幾度般若心経を唱えたところで、彼女にはわからないことがあった。
「空とは何か?」
桂昌院は、年齢とともに苦悩を深めつつあった。その問いを胸に抱く横顔には、かすかな憂いが漂う。薄い唇は固く結ばれ、しかしその奥に、母として、そして一人の女としての深い情念が潜んでいる。
「己に信心が足りぬから、そして徳が足りぬ故、悟りきれぬのじゃ」
そう、思わず己を責めた。桂昌院は引き出しから琴を取り出し、奏ではじめた。白い指先は年齢を重ねてもなおしなやかで、その所作には若き日の名残があった。しかし、まもなく弦が切れてしまう。
「これではゆかぬ……なんとかせねば」
その声は低く、しかし揺らぎはない。切れた弦を見つめる瞳には、長年大奥を治めてきた者の静かな決意と、ふとした瞬間に覗く孤独が交錯していた。
まもなく、将軍綱吉の寵臣・柳沢吉保が、綱吉の将軍御休息の間へと呼ばれた。御休息の間は上段・下段それぞれ三十五畳の部屋である。中庭を挟み、御座の間と向かい合っている。
「吉保、大事ないか?」
と、綱吉は少し甲高い声で言った。綱吉はこの時すでに五十を超えていた。当時の成人男子の平均身長からしても、かなり背丈は低かったともいわれる。
「昨今、暑さのあまり少々体調を崩しましたが、さしたることではございませぬ。して、今日はいかなる用向きで?」
この綱吉の腹心中の腹心は、平伏したまま言う。綱吉は元館林藩主で、吉保はその頃から小姓として側近くに仕えていた。綱吉が兄である四代将軍・家綱の急死により、思いもかけず五代将軍となり、当然のように吉保もまた幕臣となる。御小納戸役から始まり、今は綱吉の側近中の側近、側用人である。
「頼みとは他でもない。そなたには京に赴いてほしいのじゃ」
「京に、でございますか?」
「実はのう、余と母上で、この国の美しき姿を取り戻すため、戦の世の最中に荒廃した寺院の修復を手がけてきた。なれど、昨今都では突貫工事を行い、工事負担金を己の懐にしまい込む者がおるそうじゃ。また、それを見張る者たちの中にも、工事に携わる者から賄賂を取り、見て見ぬふりをする者までいるという。
そこで、そなたが行って実態を把握し、余に報告してほしいのじゃ。もし明らかに目に余る者あれば、厳罰に処してもかまわぬ」
そこまで言うと、綱吉はかすかに表情を和らげた。
「少しゆるりとしてきてもよいぞ。京のおなごは、江戸とは違った色気があるぞ」
と、半ば冗談めかして言う。
主君の命とあらば致し方なく、吉保は旅支度を整え、わずかな供の者とともに炎暑の中、都を目指した。しかし、ようやくたどり着いた都は、さらに暑かった。そしてこの旅で吉保は、生涯忘れられぬ思わぬ邂逅を果たすこととなるのであった。
