寝ずの番


「昔、神隠しの伝説のある村があったそうです。あと、中世ヨーロッパで魔女狩りがありましたでしょう。あれで大人だけじゃなく、幼い子どもも魔女狩りの対象になったそうです」
 安宿の部屋で高宮麻奈は披露した。
「ほう、それじゃあ、財糸村の子どもの失踪事件もそれらに該当するってわけか」
「それに近いかもしれません」
 ちゃぶ台から身を乗り出した時、少しだけ胸元が見え、尊は手元のお茶を飲もうとしたが、手が滑ってこぼしてしまった。
 お茶がちゃぶ台に流れ出し、麻奈が慌てて布巾を取りに行った。
「ごめん。粗相してしまった」
「先生、この安宿、結構雰囲気ありますね。まるで八つ墓村に登場した宿のようです」
「あれ、高宮麻奈ちゃん、探偵小説なんて、読むの?」
 麻奈はちゃぶ台を拭きながら、はいと答えた。
「意外だな。君は哲学書だとか学術書が合いそうだけどな」
「先生、人を見た目で判断しないでください。わたし、あとBLだって読みますから」
 お茶を吸った布巾を洗面台で洗いながら、麻奈は言った。
 やっと見つけた宿だったが、もちろん、部屋は一つだけだった。ここはかつて、養蚕業で栄えた一族が住んでいたが、今はその末裔が管理していた。使っていない部屋があるからと提供してもらったはいいが、部屋が一つしかないので、麻奈と同部屋になった。若い女性と二人、一夜を過ごすとなると、康介は困惑したが、麻奈はどこ吹く風である。
「話を元に戻します。ネバタマ様のネバは蚕が出す生糸で、タマは繭を意味するってことから、多分、ネバタマ様は村の道祖神だったのでしょう」
「道祖神てのは、村を守る神様だろう。そんな神の使いがどうして、子どもを攫ったりするんだ?」
「村から余所者を追い出すためじゃないでしょうか。先生はどう思われます?」
「まったく同感だ。昔から村社会は外から入ってくるものを拒むからな。だから、過疎化になって、やがて限界集落にまでなる」
「悪しき慣習ですね」
「それより、麻奈ちゃんは僕と同じ部屋でいいのかい?」
「仕方ありません。宿はここしかありませんから。先生、まさか寝込みを襲わないでしょう。先生はジェントルマンだと信じていますから」
 尊は一つ咳払いをすると、少し気晴らしに散策でもしようと言った。

 康介と麻奈は錆びれた神社の前に立っていた。
「社殿の奥の方にネバタマ様はいるらしい。実はね、ここへ来る前に元住民のお婆さんから事前情報を得ていたんだ。ネバタマ様をこの目で見た人は誰一人いないそうだ」
 康介が得意げに話す。麻奈は表情一つ変えず、スマホで撮影を始めた。
「先生、実はわたしもそのお婆さんに会って来ました。お婆さんも一人暮らしが長いせいか、わたしを孫娘みたいに思って、雑談に二時間もつきあわされました」
「え?ほんと?ということは、僕らは思考回路が似てるってことだね」
「お婆さんに言われました。あの男はやめなさいって。生活力もないし、結婚したらあなたが苦労するって。なるほど、やっぱり先生が独身なのがわかりました」
「お婆さんの言うことなんて、信じるの?一応ね、僕だって昔、結婚の手前まで行った相手がいて...」
「そこで何してる?」
 突然、背後から胴間声が響いた。康介と麻奈は同時に振り返る。
 そこには鎌を持った厳つい体格をした男性が立っていた。鎌はよく研がれていて、太陽光を反射して不気味に光っていた。
「すみません。わたしたち、ネバタマ様について調べています」
 麻奈が愛想笑いを浮かべて言った。
 男は別段、興味なさそうに頷くと、答えた。
「ネバタマ様なんて、本当にいるのかね?誰も見たことがないのに。見た人間がいないってことは存在しないってことだわな」
 村人は突然、岩の上に腰を落ち着けた。どうやら、僕らの話につきあうつもりらしい。
「あの、三年前にここへ移住してきた方のお子さんが突然、失踪して。未だに発見されていません。それはネバタマ様の仕業だと思いますか?」
「あんたらはどう思ってる?」
 康介と麻奈は互いに顔を見合わせた。
「ネバタマ様なんて都市伝説か何かでしょう。わたしは村の誰かが攫ったのではないかと思います」
「ほう。あんた現実的な考えしてるね。ふつうはそう考える。だけどな、ここではふつうの考えは否定される。未だこの村はネバタマ様に支配されているのさ」
「あなたはネバタマ様を見たことがありますか?または村人の中で見た人はいますか?」
 麻奈が訊いた。
「だから、おねえちゃん、ネバタマ様の習性は知っているだろう。誰か一人でも目を覚ましていたら、ネバタマ様は現れないんだ。どうしてそうなのかは、わからないが、ネバタマ様は見られてはいけないんだ」
 男は鎌を地面に突き刺した。
「確か、社殿の奥の方に祀られてると聞きました。そこへ行けば...」
「岩だよ。大きな丸い岩が鎮座してるだけさ。一応、その岩の中にネバタマ様はいるらしい」
「村役場で調べたら、この村で行方不明になった子どもが数人近くいました」
 男は突き刺した鎌を引き抜き、再び、突き刺す。
「あんた、日本全国で子どもが行方不明になるケースなんて、百以上はある。別に珍しいことじゃない。お隣の中国なんざ、子どもが消えたところで、事件にさえならない地域もある。だから、財糸村で子どもが行方不明になったところで騒ぐこと自体、おかしな話だよ」
「事件性もない時点で、警察も動きませんからね」
「そうだよ。それに、財糸村に限らず、限界集落で子どもがいなくなったりするのは、日常茶飯事だよ」
 まるで他人事のように話す村人を見て、尊はよく移住を考える人がいるものだと感心する。
「あんたら、この村はもう終わった村だ。今の時代からは完全に切り離された村だよ。悪いことは言わない。あまり長く滞在しない方が身のためだよ」
 男は鎌を持ち上げると、何も言わずに尊と麻奈の前から辞去した。
「わりかし、まともな村人だったな」
 尊が言った。
「先生、社殿の奥の方に行ってみましょうか」
「なんだか怖いな。祟られたりしないかな」
「都市伝説研究家が何をおっしゃいますか」
 麻奈は尊が止めるのも聞かず、社殿の奥の方へ向かう。
 先ほどまで明るかった場所が暗幕をかけたように暗くなった。そして、5℃ほど気温が下がったように感じた。
「そう言えば、蚕って暗い場所で飼育されていますね」
 麻奈が訊いた。
「うん。ネバタマ様は蚕そのものだって言われているけど、子どもを攫うような蚕なんて、いるのかな?」
「先生、今まで黙ってましたけど、わたし、この世界で一番苦手なのが虫なんです。それも、蚕やミミズみたいなの、ダメです」
「安心した。君でも苦手なものがあるんだね」

 奥へ向かえば向かうほど、体感温度は下がった。
 太陽光もいつの間にか遮断され、邪気すら感じた。
「昔、おばあちゃんが言ってました。蚕は天の虫と書いてカイコと読むから、天の使いだって」
「そんな天からの使いが子どもを攫うなんて、イメージに合わないなあ」
「天から来るものが善であるとは限りません」
「それもそうか」

 社殿の奥には村人が言った通り、大きな岩があった。太陽が届かない場所で人目に触れることもなく、ひっそりと息を潜めるようにある岩は、尊を圧倒した。思わず合掌したくなるほどの威厳がある。
「これ、写真に収めても大丈夫なやつですよね?」
 自身なさそうに麻奈が訊いた。
「まあ、写真くらいなら...」
「先生、もし、わたしに何かあったら、ミネオをお願いします」
「え!君、彼氏いたの?」
「いいえ。飼い猫です」
 岩に恐る恐るカメラを向ける麻奈の意外な一面に、尊はなぜかほっこりとした。