「わあ、大きなおうちだあ」
睦美は木造家屋の前でぴょんぴょん跳ねた。
「そうだろう。睦美の部屋も、こんなに大きいんだぞう。サッカーができるかもな」
康介は両手を大きく広げて、おどけた。
「ねえ、格安で買ったって言ってたけど、ここ事故物件じゃないの?」
百合子は心配そうだ。
「事故物件なんかじゃない。前は養蚕家の一族が住んでいたんだ。ここは超お得物件さ」
百合子は改めて家屋を見上げた。そして大きく息を吐いた。それが驚きの嘆息なのか、落胆のため息なのかはわからなかった。
「さあ、我が家へ入ろうか?」
睦美は康介の前に横入りすると、ポラロイドカメラを手渡した。
「記念におうちの前で写真を撮ろう」
康介はじゃあと言いながら、カメラを構える。
「ねえ、これじゃあ、三人揃って写真が撮れないじゃない」
「ああ、そうだ。仕方ないさ」
その時、ちょうど家の前を地元の村人が通り過ぎようとしていた。
「すみません。写真を撮ってもらいたいんですが、よろしいですか?」
初老の男性は康介が手渡そうとしているポラロイドカメラをしげしげと眺めた。まるで原始人が文明の利器に遭遇したような顔だ。
村人は明らかに迷惑そうな顔をしていた。康介は断れないようにカメラを押し付けた。
睦美を真ん中に挟んで、親子揃ってピースサインを向けた。
村人は掛け声もかけないまま、シャッターを切った。撮られる準備をしていなかった康介は間抜け面のまま、写真に収まってしまった。
もう一回とは頼めず、康介は礼を言いながら、カメラを返してもらった。
村人は康介には目も合わさず背中を向けると逃げるように歩き去った。
「ねえ、ちゃんと写っているかしら?」
村人の背中が見えなくなってから百合子が訊いた。
「大丈夫だろう。ただ、掛け声がなかったから、俺は口をポカンと開いたままかもしれん」
ポラロイドカメラなので、数分経った後に写真が吐き出された。
果たして家族三人はちゃんと写っているのか。睦美はワクワクしていた。それに反して百合子は不安そうだった。
写真はピンボケしていた。それに手振れが重なって家族三人の顔がまったくわからなかった。
やはり村人にはポラロイドカメラの扱いは難しかったのだろうか。
「百合子、睦美、二人を撮ってあげる」
結局、家族三人のショットは幻になった。
家の中は管理人がケアしてくれていたおかげで、掃除が行き届いていた。睦美は自分の部屋を確認し、それからいろいろな部屋を回った。子どもはこちらが呆れるくらい元気だ。
百合子は荷物を下ろすと、ソファにどっかりと腰を落ち着けたまま、微動だにしなかった。最近、妻に元気がなくなったのが康介には気になった。
「ねえ、わたしの部屋、大きいよう。サッカーができるう」
やれやれ。おそらく今夜は興奮冷めやらぬまま、睦美は夜更かしをしてしまうだろう。
そんなことを言っている康介も、人のことは言えない。今夜は眠れぬ夜を過ごしそうだ。
「百合子、疲れているみたいだな。少し、休んだ方がいいぞ」
「言われなくても休んでいるわ。ねえ、睦美、少し静かにしてちょうだい」
イライラした百合子の声が耳に痛い。睦美は大人しく、百合子の言葉に従った。
「ほら、睦美、見てみろ。お母さんとのショットがしっかり撮れてるぞ」
先ほど撮ったばかりの写真には疲れた百合子と満面の笑みの睦美が収まっていた。
睦美は康介の傍らに寄り添って、写真を覗きこむ。
「わあ!ほんとだ。わたし、可愛く写ってる!」
「どうだ。これでも大学では写真部に所属してたんだぞ」
「さっきのおじちゃん、カメラ下手だったね」
「まあ、仕方ないさ。ポラロイドカメラなんてもの、触ったこともなかったんだろう」
「ふうん、ねえ、ここインターネットできるかな?」
「一応、ルーターは持って来ているからインターネットはできるよ。ただし、二時間までだぞ」
「はあい」
康介はティーバッグに水筒からお湯を注ぎ、一つを百合子に手渡した。
百合子はふうふうしながら、茶碗のお茶を飲んだ。
「とにかく落ち着いたみたいだな。最初は慣れないかもしれないけど、住んでいるうちに、居心地が良くなってくるさ」
「まず、村の人に挨拶して、ああ、それから、睦美の学校の転入手続きをして...。あ、そうだ。スーパーとか、付近にあるかしら?」
「百合子、慌てるな。まずは一つ一つ、ゆっくりこなしていこう。今日は一日、身体を休めた方がいい」
「言われなくてもそうするわ」
「俺はこれから、村役場まで行って住所の変更手続きをしてくるよ」
「ありがとう」
「何言ってるんだ。夫婦なんだから、互いに助け合わないと」
「あなた、それって、何かの罪滅ぼしのつもり?」
すると、康介は背中に電流でも流されたみたいにビクンと震えた。
「罪滅ぼし?一体、何を言ってるんだ?」
「あなた、浮気なんてしてないでしょうね?」
「バカ言うな。俺は百合子一筋だよ」
百合子は茶碗をテーブルに置くと、身を乗り出した。
「なんで移住しようなんて言い出したの?移住を理由に会社を辞めて、不倫相手から離れるつもりだったんじゃないの?あなた、あのタワマンの部屋、気に入ってたじゃない」
「とにかく、移住は前々からしたいと思っていたんだ。第一、不倫なんて、俺には無縁だ」
「まあ、いいわ。百歩譲って、あなたを信じるわ」
「おいおい、百歩譲ってって何だよ。全面的に信頼してくれよ」
すると、百合子は腹を抱えて笑い出した。
「ハハハ。あなたの焦った顔、ああ、カメラに収めたかったなあ。なんか気分が良くなってきた。三人で村役場まで行きましょう。ちょっと村の様子も見てみたいし」
百合子はソファから立ち上がると、康介に出かけるように促した。

